Index Top 第3話 蟲使いの結奈

第2章 日暈 対 沼護


 屋上のど真ん中に、仁王立ちする女。
 身長は百六十センチほど。芯の通った体躯。眼鏡をかけた気の強そうな顔立ちに、自信たっぷりの笑み。長い黒髪をポニーテイルにして、風になびかせている。緑色の半袖ジャケットに、白いスラックスという格好。暑そうである。
 武器は持っていないようだった。間合いは二十メートル。
「木野崎?」
 慎一はきょとんと呟く。
「知ってるんですか?」
「木野崎結奈。去年の学園祭の大食い大会でカレー十二杯半食べた猛者。ちなみに僕は十三杯食べて優勝。賞金で一万円分の図書券もらった」
「…………」
 目を点にするカルミアから目を離し、結奈を見る。
「沼護家の分家に木野崎ってのがあったけど……。なるほど、お前かぁ。まさかこんな身近にいるとは思わなかった。全然気づかなかったよ」
 普通、宗家と分家は同じ苗字であることが多い。日暈家は宗家も分家も名字は日暈だ。しかし、沼護一族は沼護の性を持つのは宗家だけである。しきたりらしい。
「あたしも隠してたからね。あんたみたいに能天気じゃないわよ」
 笑う結奈に、慎一は尋ねた。
「で、何で僕に攻撃を仕掛けたんだ? 沼護に狙われる心当たりがないんだけど」
「これといって目的があるわけじゃないわ」
 結奈はさらりと言ってのける。
「でも、ちょっと理由があってね。あたしと戦ってほしいの」
「うむ」
 頷いて。
 ドン!
 慎一は動きを止めた。
 結奈の左手から伸びた、暗い灰色の蟲の塊。突き出された木刀を止める。
 砂を突いたような感触に、慎一は舌打ちをした。高い物理攻撃力と硬度を持つ、鉄鬼蟲。砂の塊なら突き通せるはずだが、頑丈である。
「時速百四十キロの瞬身の術から、喉下狙っての容赦ない突き……。しかも、剛力の術と破鉄の術をかけて。やっぱ日暈ね。やることがエグい」
「子供の頃から、初手で相手を戦闘不能にしろって習ってるから」
 頬を引きつらせる結奈に告げてから、慎一は離脱した。
 十五メートルの距離を、コンマ五秒で移動する。足音ひとつ立てず、体勢すら崩さない。剣気による強化に加え、ずば抜けた身体制御術がないと出来ない芸当だ。
 蟲が結奈を包むように漂っている。
「行け!」
 右手の動きに従い、蟲が触手のように伸びた。黒鬼蟲と鉄鬼蟲の混合。
 慎一は木刀を構え、その場で一閃させる。攻撃を飛ばす、飛燕の術。放たれた刃のような剣風が、伸びる蟲を吹き飛ばした。しかし、元々一定の形があるわけはない。ばらばらになっても、すぐに元の形に戻ってしまう。
 蟲が、慎一のいた場所を直撃した。
 その時には、すでに結奈の背後に回りこんでいる。
「速い……!」
 呟きを無視し、慎一は木刀を袈裟懸けに振り下ろした。
 ボスッ、という気の抜けた音と、えらく軽い手ごたえ。結奈がばらばらに崩れ、無数の蟲へと姿を変える。蟲を自分の姿に擬態させていた。
「本物は……!」
 崩れたまま取り付こうとする蟲から離れ、慎一はカルミアの傍まで移動する。姿が見えない相手が狙うのは、カルミアだ。
「シンイチさん、大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫……でもない」
 呻きながら、足元を指差す。
 慎一の足を見て、カルミアが肩を跳ねさせた。
「うわわ、どうするんですか! 足が、足が!」
 両足の膝下を、黒鬼蟲が覆っていた。アブラムシがたかってるようにも見える。
 痛みはない。しかし、足から力が抜けていく。力を喰われているのだ。霊的防御の訓練を受けているので大したことはないが、普通の人間なら立っていられない。
 これが鉄鬼蟲だったら、足を押し潰されていたかもしれない。
「発!」
 慎一は右足の太ももに、剣気を叩き込んだ。
 内側から爆発するように放たれた気が、まとわりついていた蟲を内側から吹き飛ばす。気や霊力を喰うといっても、衝撃を与えれば引き剥がすことも出来た。
 同じようにして、左足の蟲も引き剥がす。
 散らばった蟲は、灰色になって死滅した。
 カルミアが呟く。口元に手を当てて、
「……痛くないですか?」
「すごく痛い」
 答えながら、慎一は足を動かした。
 骨、関節、筋肉、血管。どこにも傷はない。蟲に力を喰われたせいで、スタミナを消耗しているものの、動きに支障が出るほどでもない。
 背筋を伸ばしてから、屋上を見回す。人の姿はない。気配もないように思える。
 が――
 慎一は木刀を横一文字に構えた。横薙ぎに振るう。
 放たれた剣風が、屋上の一角を撃った。
 紙が破れるように風景が崩れ、結奈が姿を現す。
「よく分かったわねー」
 驚いたような感心したような顔で、慎一を見ていた。光と色に作用する白鬼蟲を光学迷彩のように使い、姿を消していたのだろう。器用なものである。
 結奈の使役する蟲は、今のところ三種類。力を喰う黒鬼蟲、高い物理攻撃力を持つ鉄鬼蟲、光と色に作用する白鬼蟲。他にも持っているだろうが、勝てない相手ではない。
 床を蹴って、瞬身の術を使い、風のように走り――
 急停止した。
「あ。気づいた?」
「床の中に蟲を潜らせてるな。僕が突っ込んだ瞬間を狙って、攻撃させる気だろ? 瞬身の術じゃ、振り切るのは難しいかな……」
 式鬼蟲は隙間のない物質中にも潜り込める。金属や石など、ほぼあらゆる物質の中に潜むことが出来るのだ。見えていないからといって、いないとは限らない。明確な物質体でないので、出来る芸当である。蟲に飲まれるのはぞっとしない。
「じゃあ、どうするつもり?」
 楽しそうに訊いてくる。
「飛燕の術を使ってもいいけど、鉄鬼蟲で防ぐつもりだろうな」
 慎一は床を眺めながら答えた。
 攻撃を飛ばしても、鉄鬼蟲を飛ばして迎撃する。相殺は出来ないが、威力を削ることは出来るはずだ。威力が落ちれば、防ぐなり躱すなり出来る。
「せっかくだからな」
 結奈を見つめ、慎一は右手の親指を下の犬歯に引っ掛けた。
「こうする」
 親指を下に引っ張る。
 ズン――!
 身体を貫く衝撃。
 慎一は不気味に微笑み、肺の中の空気を吐き出した。
「限開式……また無茶なことを」
 表情を引きつらせる結奈に構わず。
 慎一は木刀を左手に持ち替えた。柄頭を握り、弓を引き絞るように左手を引く。右手を前に突き出し、腰を落とした。全身の筋肉と骨が軋んでいる。
「左片手平突き――日暈流・刺突『雷』だ」
「いいわ」
 結奈は頷いた。

Back Top Next