Index Top 第2話 慎一の一日

第1章 慎一起床


「シンイチさん、シンイチさん」
 声をかけられ、慎一はもぞもぞと身体を動かした。意識が朦朧としている。身体が重い。布団を押しのけて、枕元の時計を見る。
 朝の七時五分前。窓から朝日が差し込んでいた。
「うう……」
 朝は苦手である。起床三秒で意識を覚醒――そんな人間は何人も知っているが、慎一にはそういった真似は出来ない。
 慎一は時計を置いて、布団をかぶった。
「あと五分……」
「起きてくださいよぉ。朝ですよ」
 声をかけられて、顔を出す。
 目の前に妖精が浮かんでいた。小さな妖精。薄紫色の髪。制服と修道服を足したような青と白のワンピースを着ている。
 昨日拾った妖精。
「名前……えと、何だっけ?」
「カルミアです。カルミア」
「あー。カルミアかー」
 頷きながら、慎一は身体を起こした。
 頭の中がぼんやりする。
 洋間に置かれた折畳み式ベッド。自分はその上に寝ていた。昨日寝たのが、夜の十二時頃。大体七時間寝たことになる。
「大学に遅刻しちゃいますよ」
 カルミアが言ってくる。
 慎一はベッドから起き上がり、思い切り背伸びをした。身体中の関節に軋んだような痛みが走る。苦痛は感じない。全身が伸びたような感じだ。
「遅刻はしないよ。授業が始まるのは、九時十分からだ。大学までは自転車で十分。あと二時間寝てても間に合うよ」
 スリッパを履いて、台所に移動する。
 冷蔵庫を開けて――
「ネギしかないんだっけ……」
 ため息をついて、扉を閉める。
 近くに、カルミアが浮いていた。
「朝御飯ですか?」
「ああ。何か食べる予定だったけど、何もない。学食でパンでも買うかな」
 言いながら、思いつく。
「カルミア、大学について来るつもりなんだろ?」
「はい。ついていきます。家にいても退屈ですよ」
 思った通りのことを言ってくるカルミア。
 アパートにいてもやることがない。一人でいても退屈の極みである。それに、カルミア一人をアパートに置いておくのも不安だった。
「来るのはいいけど、ひとつ言っておくことある」
 慎一は告げた。
「何です?」
「カルミアの姿は普通の人間には見えないし、声も聞こえないんだろ?」
「はい」
「ということは、僕がカルミアと話しているのは、他人から見るとぶつぶつ独り言を言っているように見えるわけだ」
 今の状況も、霊感を持たない人間には、独り言を言っているように見えるだろう。今は一人なので大丈夫だが、大学で同じことをやれば社会的に危ない。
「そうですね」
「だから、大学にいる時は不用意に話しかけないでくれ」
「分かりました」
 元気よく返事をするカルミア。
 思い出したように訊いてくる。
「昨日の夜、どこかに出掛けていましたよね。どこ行ってたんですか?」
「ああ。ちょっと街の周りを走ってきた。大体二十キロくらいかな。あと素振り五百回。さすがにちょっと疲れたよ」
「凄いですねぇ」
 慎一の答えに、感嘆の声を漏らした。
 およそ二十キロを一時間半で走り抜き、休憩なしで木刀の素振り五百回。生半可な体力で出来ることではない。翌日に疲労も筋肉痛も残さないとなると、もはや人間ではない。兄や父、祖父は、さらに人外であるが。
「……カルミアって、キロメートルって単位分かるのか?」
 気になったので尋ねる。
 妖精が国際基本単位を使っているとは思えなかった。こちらに来る際に色々と勉強したのかもしれない。それにしてはどこか不自然な印象を受ける。
「翻訳の魔法のおかげです。言葉だけでなく、相手の考えていることも、漠然と伝わってくるんですよ。二十キロがどれくらいの距離かも、ぼんやりと分かりました。でも、わたしの考えていることは、上手く伝わらないんですよね。もう少し魔法の技術があれば出来るんですけど……」
 カルミアは残念そうに肩を落とした。会話するだけで、相手の考えが漠然と分かる。便利であるが、誤魔化しが利かないのは結構怖い。
 話を逸らすように、慎一は屋の中を見回した。
「荷物を召喚するとか言ってたけど、どうするんだ?」
「あ。それなら、もう大丈夫です」
 カルミアは畳部屋に移動する。
 たんすの上の寝床。その横に置いてあった紙をつかんだ。A4の紙。部屋の隅に置いてあった、使用済みの大学のプリントらしい。
「召喚用の魔法陣は描き終わっています」
 紙には複雑な魔法陣が描かれていた。何と描かれているのかは不明だが、うっすらとした力を感じる。魔力。
「これを日の当たる所に一日置いておけば、召喚出来るようになります」
 光合成か? とも思ったが訊かないでおことにした。
 代わりに別のことを訊く。
「いつ作ったんだ?」
「朝起きて作りました」
 カルミアは慎一よりも早く起きたようなので、その間に作ったのだろう。インクや墨ではなく、魔法を使って描かれている。
「これを日の当たるところに置いておくか」
 慎一は手を出した。
 カルミアの持っていた紙を受け取る。紙を持って、ベランダに向かいながら、
「魔法とどういう関係があるんだ?」
 魔法は管轄外なので、どういったものなのかよく知らない。日光に反応するものなのだろうか。原理が気になる。
「日の光を魔力に変えるんですよ。わたしが直接魔法陣に魔力を込めてもいいですけど、時間がかかりますし、魔力のほとんどを使っちゃうんです。こっちの世界で魔力が尽きるのは危険なので、日光を魔力に変換します」
「やっぱり、光合成みたいなものか」
 納得してから、フローリング部屋の窓の前に紙を置いた。
 洗濯物のように外に干すことも考えたが、魔法陣を干しているのを見られて、あらぬ噂を立てられるのも嫌である。
「夕方くらいには、召喚出来るようになると思います」
 カルミアの言葉を聞いてから、慎一は背伸びをした。
「着替えるか」

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