Index Top 第1話 契約、新しい生活

第6章 二人の生活


 風呂は十五分ほどで上がった。
 シャツと半ズボンという格好で、部屋を仕切る戸の前に立つ。高校時代の体操服。動きやすく、寝間着代わりにはちょうどいい。
「カルミア、入っていいか?」
 戸を叩いて声をかける。
 返事はない。
 慎一に声が届いていないだけけで、返事をしているのかもしれない。よく通る声といはいえ、妖精の声は小さいのだ。戸を隔てて聞こえないだけかもしれない。
 戸を叩いてから、再び声をかける。
「カルミア?」
 言ってから、戸に耳を当てた。
 やはり返事はない。声を出している気配もない。
 慎一は意を決し、戸を開ける。
 中の様子は前と変わっていない。卓袱台の上にお湯を張ったタッパが置いてある。カルミアはお湯に浸かったまま、目を回していた。タッパの横には、きれいに折り畳まれた服と下着、あと靴が置いてある。
「何やってるんだ?」
 タッパの中は泡が浮かんでいた。服を洗ったものと同種類の魔法だろう。
 慎一は卓袱台の手前まで歩いた。身を屈めて、お湯に指を入れる。
「なるほど」
 魔法でお湯を温めようとして失敗。熱くなってしまった。しかし、魔法で冷やすことも出来ず――加減が利かずに、水になってしまうだろう。暖めても直しても、丁度いい湯加減になるとは限らない。我慢して浸かり、のぼせてしまった。そんなところだろう。
 慎一は横に置いてあるハンカチを掴んだ。
「まあ、許せよ」
 タッパからカルミアをすくい出し、ハンカチで丁寧に泡をふき取っていく。
 透明な羽が生えていて、目と髪の色が違う以外、人間と変わらない身体。普段から飛んでいて手足を使う機会が少ないのか、さほど筋肉はついていない。細身というより、華奢といった感じだ。その割に、コップを持ち上げるほどの力があるのは謎である。起伏は少なく、胸は申し訳程度にしか膨らんでいない。肉感的な妖精というのも、うまく想像出来ない。血色はよく、きめ細かな肌。いかにも健康そうである。
「って、何じっくり観察してんだよ……」
 自分で自分に突っ込みを入れてから、慎一は布巾で卓袱台を拭いた。カルミアそこに寝かせ、もう一枚のハンカチを上にかける。
 辺りを見回し、リュックから下敷きを取り出した。
 下敷きでカルミアに風を送りながら、
「カルミア、起きろ」
「あ……う」
 カルミアはゆっくりと目を開ける。気を失っていた――というほどではいだろうが、意識はどこかに飛んでいただろう。
「あれ……シンイチさん? ……わたしどうしちゃったんですか?」
 慎一は下敷きを置いて、
「お湯に浸かったままのぼせてた。あと起き上がるなよ。服は着せてないから」
「え?」
 呆けたように呟き、カルミアは上体を起こした。話を聞いていなかったわけではない。いきなりのことで思考が追いつかなかっただけだ。
 かけていたハンカチが落ちる前に、慎一は目を逸らす。
「うわ! ……あわわ! あうう! えええ! うあああ!」
 慌てるカルミア。
 十秒ほどで静かになる。
 視線を戻すと、ハンカチに包まったカルミアがいた。
「……シンイチさん。わたしの裸見たんですか?」
「まあ、見たな」
 頭をかきながら、答える。さすがに気まずい。じっと観察してしまいました、とは言えない。言うわけにはいかない。怒るのは目に見えていた。泣かれても困る。
 カルミアが非難の声を上げた。
「ひどいですよー」
「仕方ないだろ。のぼせて目回してたんだから、僕が助けなかったらどうなってたか分からないぞ。あのままお湯に沈んで溺れてたかもしれない」
「ううぅ」
 思い切り不服そうに眉を傾ける。
 しかし、文句は言ってこない。のぼせたままお湯に浸かっていれば、溺れることも考えられる。危険なことは理解しているだろう。
「……着替えるので、あっち向いててください」
「了解」
 慎一は背を向けた。
 カルミアが着替える音が聞こえる。
 しばらくすると、カルミアが目の前に回りこん出来た。少し立ち直ったようだが、どこか元気がないように見える。
「これからどうする?」
 慎一は、壁にかけてある時計を見た。
 七時十二分。いくらなんでも、寝るには早いだろう。
「テレビでも見るか?」
 テレビを指差してみる。子供の頃からほとんどテレビを見たことはないので、どんな番組をやっているかは知らない。チャンネルを回せば、何か見つかるだろう。
「シンイチさん……わたし、もう寝ます。今日は色々あって疲れました」
「そうか」
 今日は色々あったのだ。疲れるのも無理はない。
 そこで気づく。
「布団はないけど、どうするんだ?」
「うーん。大き目の布を一枚貸してください。魔法で布団に加工します」
 カルミアは答えた。
「これでいいか?」
 慎一はたんすから取り出したタオルを、目の前に置く。
 カルミアはタオルを撫でながら、複雑な表情を見せた。
「ごわごわしてます……」
 カルミアは人間の八分の一ほどの大きさ。体感する繊維の粗さは、八倍以上。そこまで極端ではないにしろ、タオルの粗さは不快に感じるだろう。
「人間用の布だからな。ここに、君の服みたいに細い繊維を使っている布はないよ。タオルが嫌なら、シャツくらいしかないけど」
「それ、お願いします」
 慎一はタオルをしまい、薄手のシャツを取り出した。手触りのよい布はシャツくらいしかない。適当な大きさに折畳み、カルミアの前に置く。
「ちょっと大きいです」
 具合を確かめるようにシャツを撫でてから、口元を緩めた。合格らしい。
「ハンカチと同じくらいですね。これなら大丈夫です」
 カルミアは印を結び、呪文を唱えた。
「布よ」
 シャツの繊維が勝手に切れて、解け、瞬く間に姿を変えていく。見えない小人が、神速の裁縫を行ってるようだった。魔力の構成は見えるが、読むことは出来ない。霊術や妖術なら読めるのだが、やはり原理が違うらしい。
 五秒ほどで、布団と枕が出来上がった。
「凄いな」
「それほどでもないです」
 照れたように頭をかくカルミア。
 布団を両手で抱え上げ、たんすの上に移動する。結構重いが、苦にしている様子もない。布団を下ろしてから、慎一に一礼した。
 布団に入ろうとしたところで、慎一は声をかける。
「羽は大丈夫なのか? ……僕も結構大雑把に扱っちゃったけど」
「それは、大丈夫です。しわになったり折り目がついたりしても、すぐに元通りに出来ます。万が一切れても、直せますから」
「よかった」
 カルミアの答えに、とりあえず安心する。
「それでは、おやすみなさい。シンイチさん」
 就寝の挨拶をして、カルミアは布団に入った。
 目を閉じて、動かなくなる。
 慎一は立ち上がり、タッパを持ち上げた。台所に歩いていき、お湯を捨てる。スポンジで洗ってから、元の場所に置いた。
 肩を動かしながら、押入れの前に移動する。
 ちらりとカルミアを見やった。既に眠っているらしく、動かない。寝息は聞こえない。小さすぎて聞こえないのだろう。
「さてと、僕もやるか。……風呂に入った意味ないけど」
 慎一は押入れを開けた。

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