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第5章 背水の陣 |
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商店街から離れた路地。周囲は雑居ビル街だった。休日のため人の気配は無く、静かな場所である。近くに小さな自動販売機とベンチが見える。 銀歌は路地の隅に立ち、両手で印を組んでいた。 「参ったな……。妖力が上手く錬れない……」 狐耳と尻尾を出したまま、呻く。早めに人間に化けないといけないのだが、妖力を練ろうとしても、集める側から散ってしまう。術が全く組み上げられない。 「なかなか楽しそうな事に……いえいえ、なかなか困っているようね、風歌」 「!」 いきなり掛けられた声に、銀歌は勢いよく退く。 十歳くらいの女の子が立ってた。長いプラチナブロンドの髪とグレイブルーの瞳、静かに閉じられた口元。青い半袖のデニムジャケットに、黒いホットパンツ、白いオーバーニーソックスに茶色の靴という恰好である。 ヴァルカリッチ=ヴェイアス=ヴィー=ヴォルガランス。 何故か両肩と頭に猫を乗せている。先ほどの白黒猫に三毛猫、そして虎猫。 いくつか思考を空回りさせてから、銀歌はジト眼でヴィーを睨んだ。 「今、楽しそうって言わなかったか?」 「気のせいよ、気のせい」 ぱたぱたと手を振りながら、ヴィーが否定してくる。表情は変わらず、グレイブルーの瞳からも思考は読み取れない。だが、誤魔化せてはいない。 あえて追求はせず、銀歌は次の質問を口にした。 「どうしてあたしがここにいる事が分かったんだ?」 雑居ビルに囲まれた静かな路地。銀歌自身行く当てがあったわけではなく、適当に逃げていただけだ。簡単に追い付けるようなものではない。 ヴィーはこともなげに答える。 「さっき吹きかけた瘴気の残滓を追ってきたのよ。普通は分からないでしょうけど、私には分かるわ。瘴気は私そのものだし」 「ほとんど術作れないんだが、どういうことだ?」 銀歌は人差し指を持ち上げた。その先から音もなく燃え上がる、青白い火。狐族ならば子供でも使える狐火である。だが、銀歌の作った狐火はロウソク程度の大きさで、不安定に揺らいでいた。この状態を維持するのでも、意識が削られる。 「んー」 狐火を眺めてから、ヴィーは数秒空を見上げた。青く晴れた空。雲はいくつか絹雲が浮かんでいるだけ。一度頷いてから、銀歌に目を戻す。 「あなたが吸い込んだ瘴気が、妖力の構成を邪魔しているんじゃないかしら? わかりやすく言えばアレルギーみたいなものよ。くしゃみしてたし。多分吸い込んだ瘴気を全部吐き出せば、術も使えるようになるんじゃない?」 「お前があたしから瘴気を取り出すって事はできないのか?」 眉を寄せ、銀歌は訊いてみる。 「できるでしょうけど、無理ね」 両手を腰に当て、ヴィーは胸を張って宣言した。何故か自信たっぷりの態度。両肩と頭に乗った猫たちは、器用にバランスを取っている。 「なんだそれ、どっちだよ……」 「瘴気のコントロールは可能だけど、あなたが吸い込んでしまったところまでは手が届かないわ。どうしてもというなら、あなたを傷つけないで瘴気をだけを取り除く魔法式を解析、構築するとこから始めないといけないし」 ヴィーの言葉を聞きながら、銀歌は片目を閉じる。 それは想定内の答えだった。銀歌の身体から、無傷で瘴気だけを取り除く。それは、難易度の高い作業になるだろう。魔法式を作るところから始めていては、瘴気を取り除けるのはいつになるか分からない。 「ぶっちゃけめんどくさいわ」 「無責任だな、オイ」 狐耳と尻尾を垂らし、銀歌は吐息した。体内に瘴気が残っている限り、術が組めない。妖力の制御力もかなり低下する。それは大問題だ。 「だって放っておいても治るもの、多分」 肩の力を抜き、ヴィーは両腕を広げる。 狐耳を指で弾き、銀歌は顔をしかめた。 「あまり当てにならないみたいだな」 渋々、最後の手段を口にする。 「……白鋼に頭下げるか」 「白鋼?」 肩に掴まっている猫を指でじゃらしながら、ヴィーが訊いてくる。ヴィーにとっては始めて聞く名前のようだった。猫が心地よさそうに喉を鳴らしている。 銀歌は大袈裟にため息をついた。 「あたしの師匠みたいなヤツだよ。変人だけど、実力は本物だ。あいつに頼めばこの瘴気も取り除けるだろ……あんま頼みたくはないけど」 「だから放っておいても治ると言ってるのに」 頭に乗せていた虎猫を胸に抱きながら、口を尖らせる。 「多分なんだろ?」 半眼で確認する。 ヴィーは横を向いて、小声で呟いた。 「そもそもそんな症状とか初めて見るのよね」 返す言葉もなく、銀歌は額を押える。 自分の身体に何が起っているか分からない。ヴィーの言う通り、一種のアレルギー反応なのだろう。妖力の制御が乱れる以外で、問題は起っていない。 「ところで、風歌」 ヴィーが人差し指を持ち上げた。 嫌な予感を覚えつつ、銀歌はそちらに向き直る。 「……!」 「ふぅちゃん発見!」 「見つけましたよー。風歌さんー!」 路地を塞ぐように仁王立ちする莉央。反対側では美咲が道を塞いでいる。前後で逃げ場は無いようだった。さらに上に目を向けると、ビルの屋上からアートゥラが見下ろしている。逃がす気は毛頭無いらしい。 「そもそも何でここまで来てるんだよ! 何でここにいるって分かるんだよ」 理不尽なものを覚えつつ、銀歌は叫んだ。 逃げる時は痕跡になるものを残していない。少なくとも銀歌が今ここにいると分かる情報は無いはずだった。しかし、莉央たちはこうしてやってきている。 美咲が目を見開き、拳を握り締めた。 「無論、勘と気合い!」 「そして愛!」 両腕を左右に広げ、莉央が言い切る。理屈では無いらしい。 アートゥラが右手で眼鏡を持ち上げた。 「知っていますか? ある種類の雄の蛾は、空気中に漂う僅か数個程度のフェロモン分子でさえ感知し、それを辿って雌の元へ向かうと言います。すなわち、風歌さんを追い掛けるなど、実に簡単なこと――!」 「蜘蛛にもフェロモンってわかるのかしら?」 ヴィーが首を傾げている。 ヴィーと同じように銀歌に付いた瘴気の匂いを無意識に追ってきたのかもしれない。本気で匂いを追ってきたのかもしれないが、それは考えないでおく。ともあれ、目の前にいるのは事実。術が使えるなら何とかなるだろうが、今の状況は分が悪すぎる。 銀歌が逃走方法に頭を巡らせていると。 両脇から差し込まれた腕が、銀歌の腕を捕まえる。羽交い締めのような体勢だった。いつの間にか後ろに回り込んでいたヴィー。 「何すんだ!」 肩越しに睨みながら、銀歌は腕を振る。だが、振り解こうとしても、上手く外れない。しっかり捕まえられているわけではないのに、上手く身体が動かせなかった。 「ナイス、ヴィーちゃん!」 莉央がパンと手を叩く。 後ろからヴィーの気楽な声が聞こえてくる。 「折角だし、私も混ぜてもらおうかと思って。特にその尻尾。整った毛並みといい、柔らかな膨らみといい、艶やかな毛色といい、とても気持ちよさそう。アートゥラたちが我を忘れて魅入られる気持ちも、とってもよくわかるわ」 「さすがヴィー様! よくわかってらっしゃる!」 アートゥラが跳んだ。三階建てビルの屋上から、術も使わず躊躇無く飛び降りる。元々身軽なのだろう。軽い音を立て、アスファルトに着地した。 「離せ! てか……何した、力が入らない――!」 微かに震える足を見ながら呻く。背筋を駆け上がる悪寒。ヴィーは銀歌を捕まえると同時に何かしたようだった。手足から力が抜けていく。 「私はアンデッドよ? パラライズくらい使えて当たり前ね。術が使える状況だったら何とかなったかもしれないけど。あなたをモフってみたいと思う気持ちは、私も一緒」 「くそ……!」 駆け寄ってくる莉央と美咲を見ながら、銀歌は顔を引きつらせた。術が使えたらどうにかできたかもしれない。しかし、ヴィーに捕まり、まともに動けない状況。逃げることもできない。絶体絶命の危機。 「さてここで問題よ。この脱出不能の状況で、どうやって三人を退けるかしら? 三択――ひとつだけ選びなさい。 答え@可愛い風歌は突如反撃のアイデアが閃く。 答えA仲間がきて助けてくれる。 答えBモフられる。現実は非情である」 背後から聞こえる、暢気な言葉。 既に、美咲と莉央、アートゥラがすぐ目の前まで迫っていた。目をきらきらと輝かせながら、突き抜けた笑顔を浮かべて。 「答えB」 「のあああああああああ!」 数分か、数十分か、数時間か。 それほど時間は経っていないが、とにかく長く感じた。 「うう……」 無遠慮に狐耳と尻尾を弄り回され、銀歌は近くのベンチに突っ伏していた。意識が飛ぶかと思うほどもみくしゃにされて、途中から記憶が飛んでいる。全身が痺れ、力が全く入らず、動けない。立つこともできないようだった。 傍らに立った莉央が、頭を撫でてくる。 「大丈夫、ふうちゃん? 芯が抜けちゃったみたいだけど」 「大丈夫と心配するなら……最初からやるな……。腰が抜けて動けない……」 目元に涙を浮かべながら、銀歌は莉央を睨み付けた。ひとしきり尻尾と狐耳を触って満足したようで、今は大人しくなっている。 美咲が不思議そうに尻尾を指でつついていた。 「その尻尾に狐耳、まるで本物みたいだな。ちゃんと動くし、繋がってるし。どういう仕組みだ? 最新のコスプレ?」 「みたい、じゃなくて本物だよ……」 ヤケ気味に告げる。銀歌は半妖狐の身体であり、狐耳も尻尾も紛れもなく本物だ。神経も繋がっているため、感覚もあるし、ちゃんと動く。 「?」 しかし、美咲と莉央は不思議そうに首を傾げていた。 頬を緩めて、紫色の瞳を輝かせながら、アートゥラが両手の指を組んでいる。 「ああ、風歌さんの尻尾、モフモフ感が実に素晴らしかったですー。毛並みといい柔らかさといい、癖になりますねー。わたしの目に狂いはありませんでした」 六本の腕で自分の身体を抱きしめ、余韻に浸るようにくねくねと身体を捩っていた。 ヴィーが近付いてくる。満足げな顔で緩く腕を組みながら、 「実によかったわ。機会があったらもう一度モフらせてもらえないかしら?」 「絶対に嫌だ!」 牙を剥くいて威嚇しながら、銀歌は唸った。 |
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