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第2章 従者を探せ |
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商店街を四人で歩いていく。 よく分からない展開に、銀歌はこっそりとため息をついていた。莉央が拾ってきた、アンデッドの少女。普通の人間である美咲や莉央は、あまり人外の世界に近づけたくはないのが本音である。 莉央がヴィーに声を掛けた。 「で、ヴィーちゃんの従者ってどんな人なの?」 「そうね……」 右手の人差し指を顎に当て、ヴィーが視線を上げる。その足元では、付き添うように猫が歩いていた。ぴんと尻尾を立てて。懐かれたようである。 「名前はアートゥラ。外見は……そうね……。身長二百十センチの大女……かしら。一目見れば、すぐに分かる姿をしているわ」 と、グレイブルーの瞳を銀歌たちに向ける。手短な説明だった。 莉央が首を傾げる。 「身長……210? インチの間違いかな? うーん、インチじゃ逆に大きくなるよね」 「一インチは二センチ半だから。それじゃ五メートル越えるぞ」 手早く頭の中で計算し、銀歌は莉央に眼を向けた。 ヴィーの口から出てきた二百十センチという身長。普通に考えると、人間の身長ではない。真っ先に単位の間違いを思いつくくらいに。 ぽんと手を打ち、美咲が口を開いた。 「二百十バーレインコーン、とか?」 「バーレインコーン?」 訊いた事の無い単位に、銀歌が聞き返す。莉央も同意見のようだった。 会話が止まり、周囲の雑踏が耳に入ってくる。他愛の無い話をしている友達や男女、親子もいるようだった。典型的な商店街の風景。店の売り子が元気に声を上げている。 しかし、答えたのは美咲ではなくヴィーだった。少し得意げに。 「インチの起原のひとつよ。イングランド王が大麦の粒を縦に並べて一インチとした。その大麦ひとつ分の長さをバーレインコーンと呼ぶ。つまり、三分の一インチ。マニアックな事を知ってるわね」 「そう、それ」 笑顔で頷きながら、美咲がヴィーを指差す。 「昔、単位の解説本で読んだのが、頭に残ってた」 「ヴィーちゃん、小さいのに物知りね」 莉央がヴィーの頭を撫でている。子供を褒めるように。 「雑学というものは、知らないうちに増えていくものらしいわ」 何か思う事あるらしく、遠い眼で空を見上げている。莉央に頭を撫でられたまま。なんともいえぬ、不釣り合いな光景を作り出していた。 銀歌は咳払いをして、強引に話を戻した。 「それで、執事の他に特徴は?」 「そうね……」 ヴィーが銀歌に向き直る。 莉央も手を引っ込めた。美咲は緩く腕を組み、ヴィーに眼を向ける。 「肌は浅黒いわね。髪の毛の色は赤いメッシュの混じった黒色、髪型は内巻きのマッシュショートヘア。眼は紫色で赤い眼鏡をかけているわ。スタイルはかなり立派ね。服装は普通の制服かしら。あと、腕が六本」 「……?」 その場の空気が固まる。 ごく普通の流れで付け足された、不可解な言葉。 「……六本って?」 莉央と美咲が顔を見合わせ、両手を持ち上げている。 腕が六本。普通にそんな人間がいるわけがない。しかし、人間でなければ、腕が六本というのも、身長が二メートル越えているのも、それほど不思議ではない。ようするに、ヴィー同様、人の姿をした人でない者なのだろう。 疑問符を浮かべる二人に、ヴィーが静かに声をかける。 「世の中には、人智の及ばない不思議な事が色々とあるらしいわ。ね?」 「なんで、あたしに振るんだよ」 不意に言葉を振られて、銀歌は慌てて言い返した。 ごくりと唾を飲み込み、冷や汗を流す。銀歌自身、半妖狐という、人間外の者だ。しかし、今はこうして女子大生の振りをしている。ヴィーもそれを分かっているので、軽くからかったのだろう。 美咲が背筋を伸ばし、額に手をかざした。遠くを眺めるように。 「とりあえず、そんなに目立つ姿してれば、すぐに見つかるんじゃ――」 「あ。いた」 莉央が人差し指を持ち上げた。 少し先の通りから、長身の女性が現れる。 二メートルを越える身長に浅黒い肌。赤いメッシュの混じった黒髪。紫色の眼に赤い眼鏡を掛けている。モデルばりのプロポーション。その身体を包むのは、ぴしっとアイロンの効いた高級そうな背広だった。そして、腕が六本。 「蜘蛛の化生――?」 銀歌は小声でそう独りごちる。微妙に違うが、大体あっているだろう。魔術を纏って人外な姿を微妙に眩ませているようだった。 大女はごく自然な足取りで道を横切り。 「ん?」 何故か銀歌の前まで歩いてきていた。それが当たり前の動きのように。意識の向きと行動の向きをズラすという、意味もなく行われる高度な技術。六本の腕を広げ、幸せそうな笑顔で抱きついてくる。 タッ! 煉瓦敷きの地面を叩くように蹴り、銀歌は大きく跳んだ。意識だけをその場に置き去りにするような錯覚とともに、地面を二度蹴って三メートルほど後退する。 「さすが、素早いなー」 美咲が感心している。銀歌の行った後退だろう。体勢を崩さずに後ろに跳ぶというのはかなり難しい。陸上競技をやってる美咲は、銀歌の身体の柔軟性が分かるようだった。 さておき。 何も無い空間を抱きしめ、女が肩を落とす。 「あらー、残念」 「なにさらっと抱きつこうとしてる!」 緩く戦闘態勢を作りながら、銀歌は叫んだ。 女は落ち着いた笑みを浮かべたまま、右手を一本を左右に動かしてみせる。 「変な事をおっしゃいますねー。可愛いものを発見したら、とりあえず抱きついたり撫でたりすりすりしたりして愛でるのは、世界の常識ですよー?」 きらりと紫色の瞳が輝いた。謎の論理を謎の自信を以て言い切っている。冗談などではなく、本気だろう。そんな独自の価値観を持つ者は、時々存在していた。 返す言葉が浮かばず、銀歌は口を閉じる。目蓋を下ろし、肩を落とす。 背後から静かな声が聞こえてきた。 「うむ。まさに常識だ」 「義務って言い換えてもいいかもしれないね」 腕組みしている美咲と、深々と頷いている莉央。 「そっちもおかしいぞ」 銀歌は力無くそうツッコミを入れた。分かってはいたが、この二人も向こう側の住人である。そこにいる自分自身。正常と異常との境界が曖昧となり、自分がどこに立っているのか分からない。どこか船酔いに似た感覚に、頭を抑える。 混乱する銀歌を余所に、美咲が声を上げていた。 「ところで、あなたはアートゥラさんですか?」 「はいー」 と頷いてから、女は不思議そうに首を傾げた。 「確かに、わたくしがラートロデクトゥス・ルビル・アートゥラですが……。あなたは、どちらさまでしょうかー? どこかでお会いしたという記憶はございませんがー?」 「この子が探してました」 莉央がヴィーの肩を掴み、アートゥラの前へと差し出す。 一度呆気に取られたように瞬きをしてから、アートゥラがヴィーを凝視した。紫色の瞳を大きく開いて。紫色の眉だと思った部分も眼らしく開いている。 ヴィーの表情は変わらず。軽く右手を持ち上げた。足元には猫。 「ヴィー様! こんな所にいたんですかー」 そう叫ぶなり、ヴィーに抱きつくアートゥラ。六本の腕で小さな身体を抱きしめ、頬摺りしたり頭を撫でたりしている。それはさながら蜘蛛の補食を思わせた。 「ようやく見つけました。探しましたよー。何してたんですか?」 「ちょっと誘拐されかけてただけよ」 あっさりと、ヴィーが答える。こちらも冗談とも本気ともつかぬ口調で。そして、アートゥラにもみくしゃにされながら、意に介していない。微かに眉を動かす程度だった。このような状況に慣れているのかもしれない。 銀歌は舌で唇を舐めた。 ヴィーから離れたアートゥラが、唇を少し曲げる。 「誘拐ですか。それは不穏当ですねー」 ヴィーが乱れた髪の毛や衣服を直していた。 「話によると――」 話がおかしな方向に行かないうちに、銀歌は口を挟んだ。軽く吐息し、前髪を左手で払う。ヴィーの足元に座っている猫を指差しながら、 「その猫眺めてたら、莉央に猫ごと連れてこられたらしい。誘拐ってのは誤解だ。でも、可愛いからって子供を連れてくるってのは、充分に問題だからな。あとで莉央には言い聞かせておく」 「すみません」 あまり悪びれる様子もなく、莉央が頭を下げる。 腕を組みつつ、アートゥラも頷いた。頬を赤くして、満足げな表情で。 「ヴィー様、可愛ですからねー! それなら仕方ありませんねー」 「そういう問題かしら?」 こっそりとヴィーが呟いた。 |
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