Index Top 不思議な屋敷のお呼出

第4章 不可思議な少年


 二人が少年を連れて来たのはダイニングだった。最初にアタシたちが作戦会議を開いていた場所である。案内されるままに、少年は椅子に座っていた。
 肩を縮めて茶色い目を辺りに向けている。不安らしい。当たり前だけど。
 その横にはヴィーが座っていた。
「どうぞー」
 白いエプロンを付けたアートゥラが、少年の前にどんぶりを置く。蓋のされた青いどんぶり。一緒に割箸も置かれる。蕎麦屋の出前のような見た目だった。
 どんぶりを興味深げに眺めてから、少年はおずおずと蓋を取る。
 中身はカツ丼だった。適当な幅に切ったトンカツを、タマネギと割り下と溶き卵でとじたものを、ご飯に乗せる料理。カツの上にはミツバが乗っている。これは旨そうだなぁ。アタシも腹が減ってくる。しかし、この短時間によく作れたな、蜘蛛執事……。
「なぜですか?」
 湯気を漂わせるカツ丼に、少年がヴィーを見やる。
 どっから取り出したのか、古風な電気スタンドをテーブルの上に置きながら、ヴィーは眉を内側に傾けた。ブルーグレイの瞳に力を込め、
「取り調べにはカツ丼を出すのが、この世の掟よ」
 カチリと電気が付いて少年の横顔を照らす。蛍光灯ではなく、ご丁寧にも白熱電球らしい。でも、部屋自体に電気が付いているので意味は無い。
 テーブルに頬杖を突き、アタシは半眼を向けた。
「掟なのか?」
「掟よ。安っぽいスチールデスクがあればもっと嬉しいんだけど」
 残念そうにテーブルを撫でるヴィー。取調室の雰囲気を出したいらしい。
 二世代くらい前の刑事ドラマの見過ぎだろ――とも思うが、ぶっちゃけ機会があるならアタシもやってみたい。
 アートゥラが笑顔でどんぶりを示す。
「どうぞ、遠慮無くお召し上がり下さい。美味しいですよー」
「はい。いただきます」
 少年は一礼してから、箸を右手に持った。拙い箸使いながらも、カツ丼を食べ始める。まるで普通の人間のように。肉とご飯を箸ですくい、口に入れて、咀嚼し、呑み込む、一連の動作。腹が減っているのか、いい食いっぷりだ。
「食ってるな」
「食べてるわね」
「食べてますねー」
 その様子をまじまじと見る、アタシたち。
 普通、幽霊の類は食事をしない。消化器官全般が無いからだ。逆に、実体が濃くなってくると食事を出来るようになるけど、この少年はそこまで濃いようには見えない。でも、なぜかカツ丼を食ってる。
 アートゥラが指先から数十センチの糸を伸ばす。指を振って、糸を動かしながら。
「さっきドアをすり抜けたり、わたしの糸をすり抜けたりしてましたけどー。なんでお食事できるんでしょう? 実体薄いならお食事なんて出来ませんよねぇ?」
「ぼくもよく分からないです。普通のものなら頑張ってすり抜けたりできるんですよ。魔術とかが掛けられたものは無理のようですけど」
 カツ丼を食べるのを一度やめて、少年は左手をテーブルに押し付けた。一度抵抗はあったようだが、無視して押し込むと腕がテーブルの表面にに沈んでいく。手は裏側に突き抜けていた。手だけでなく、修道服の裾も一緒に透過している。
 そこに術式のようなものは見えない。
 左手を戻すが、テーブルに傷はなかった。当たり前だけど。
「不思議とお腹は空くんですよね」
 そう言って、食事を再開する。
「薄いのか濃いのかどっちなんだよ……」
 アタシは大袈裟にため息をついた。一度椅子の背に体重を預け、尻尾を動かす。
 一応アタシにも幽霊とかの知識もあるけど、この少年はおかしい。薄い幽霊は食事をできないし、逆に食事出来るほど濃い幽霊――というか妖怪みたいなヤツは、押し付けただけで身体の透過はできない。わけわからん。
「お前はどっから来たんだ?」
 身体を戻し、アタシは眉根を寄せつつ少年を見る。
 少年は左手で頭の金髪を撫でてから、曖昧な笑みを浮かべた。
「それもいまいち……。気がついたらこの屋敷にいまして……。自分が誰かも思い出せませんし、何故ここいるのかも分かりませんし、屋敷から出ようにも出られず。仕方なく、日用品とか盗んで生活していました。すみません」
 と頭を下げる。
 これだけ聞くと地縛霊っぽいものに見えるけど、違う。少年は普通に分類される幽霊の類ではない。ここは幽霊の専門家の意見を聞くべきだろう。
 アタシの視線に気付き、ヴィーが右手を軽く動かした。
「多分、ドッペルゲンガーの一種ね。いびつに実体化してるから、透過もできるし、逆に食事もできるんじゃないかしら? 濃さと薄さを同時に持つものは私も初めて見るけど。見た限りじゃ、危険性とか敵意はないわね」
 言い終わってから、頷く。
 ドッペルゲンガー。いわゆる、もう一人の自分だ。それが生まれる課程は、意図的なものから偶然まで多々ある。平たく言ってしまえば、自覚のない分身の術か。会ったら死ぬとか言うけど、危険性のない類なら別に問題はない。
 この少年は、偶然に生まれた類なんだろう。
「お茶をどうぞー」
 感心している少年の前に、アートゥラがお茶を出していた。湯飲みに入った緑茶。さっきはお茶とお菓子とか言ってたけど、何でカツ丼とお茶なんだろう? おそらくヴィーが取り調べごっこを思いついたからだろう。
「ありがとうございます」
 少年が礼を言って、お茶をすする。
 ジト眼で少年を眺めるヴィーと、楽しそうに眺めるアートゥラ。
 にしても、分からん。
 悩むのをやめて、アタシは率直に尋ねた。
「それより、お前何で日本語喋ってるんだ?」
「はい?」
 訝る少年に、続ける。
「どうみても西欧人なのに、ごく普通に日本語喋ってるのはおかしいだろ? 日本育ちなら理解できるけど、箸の使い方からして日本育ちじゃないようだし」
 最初に違和感覚えたのは、箸使い方が拙いことだった。そこで、この少年が外国人であることを思い至り、色々な不自然さに気付く。
「そういえば、そうですね?」
 少年は湯飲みを置いて、首を捻った。やっぱり自覚は無かったらしいな。
「自然すぎて気付かなかったわ……」
 アートゥラとヴィーが、少年に目を向けた。
 日本育ちでもないのに、流暢に日本語を喋っている。流暢すぎて、アタシもさっきまで気付かなかった。だが、一回気付いてみると、もう無視できない。
 一度天井を見てから、ヴィーが口を開いた。
「Good afternoon,Bonjour,Guten Tag,Buon pomeriggio,God morgon,Dzien dobry……」
 口から出てくるのは、欧州各国の挨拶。あちこちの国を旅していたと言うだけあって、発音は流暢である。何語に反応するか調べているらしい。
「イタリア語で反応しましたねー」
 少年の反応を眺めながら、アートゥラが楽しそうに笑った。
 Buon pomeriggio――イタリア語で"こんにちは"を意味する。つまり、この少年はイタリア人かイタリア在住者。最低でも身近にイタリア語を喋る者がいた。
 ヴィーがテーブルに頬杖を突いて、瞳に憂鬱な色を浮かべる。
「イタリア語……。予想はしてたけど、やっぱりヴァチカン関係ね。この服からして、見習いの祓魔師かしら? あそこはあんまりいい思い出が無いのよね……」
 少年の着ている、白い修道服のような服。普通の修道服に見えるが、動きやすい造りをしている。幽霊化しているけど、キリスト系法術による簡易守護の形跡もあった。ヴィーの言う通り、カトリック系の祓魔師の見習いだろう。
「何かあったんですか?」
「昔の思い出よ」
 少年の問いに、妙に大人びいた顔でヴィーが肩をすくめた。
 似合わねー……。あたしはこっそりツッコんでおく。
 しかし、見た目は子供だけど三世紀以上生きてるらしいしな。そうは見えないけど。望まぬ形で無茶な力を手に入れたタイプだ。今まで相当な苦労をしてたんだろう。
 ヴィーはこほんと咳払いをしてから、
「ところで――Cosa faceva il pranzo di ieri, Lei mangia?」
 イタリア語で"昨日のお昼は何を食べましたか?"という質問を投げかける。教科書に載ってるような基本的な発音と内容だ。別に昨日食べたものを訊いているわけではない。
 しかし、少年は困ったように首を傾げただけだった。
「えと、何言ってるんでしょうか?」
 おずおずと尋ねる。
 やっぱりだ……。色々とおかしい。アタシと同じ事を考えたのか、ヴィーが顎に手を当てて口を尖らせている。頭の上にもじゃもじゃしたものが浮かんでいるのが見えた。
 腕を組みながら、アートゥラが少年に話しかけた。
「日本語は話せるのに、イタリア語は分からないようですねー。逆なら納得できるんですけど、こういう事ってあるんでしょうか? 不思議です」
「あ」
 ぽんと手を打つ少年。
 ふと見ると、カツ丼を全部食べ終わっていた。いつの間に……
 アートゥラが期待の声をかける。
「何か思い出しましたか?」
「そうです。ぼく、日本語を練習してたんですよ。長期的に日本にいなければいけない用事があって。日本語の本を読んだり練習CD聞いたり、ビデオみたり。毎日朝から晩まで日本語漬けで。用事の内容は、思い出せないんですけど――」
 一度強い口調で話してから、気まずげに頭をかく。
 なるほど、ね。日本に来るために日本語を勉強していたから、日本語は喋れる。けど、故郷の言葉は喋れない。過去の事も思い出せない。透過も食事も可能な奇妙なドッペルゲンガーで、害意などはなく危険性は薄い。
 なんか胡散臭いなぁ――。アタシが今までの情報をまとめていると、ヴィーとアートゥラと、ついでに少年まで三人そろってこっちを見ている。
「あなたの意見を聞きましょう」
 芝居がかった口調で、ヴィーがアタシに右手を振った。

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