Index Top 不思議な屋敷と不思議な住人

第1章 侵入者発見……?


 林の中にある獣道のような砂利道を歩いていく。
「本当にここか?」
 白いワンピースのポケットから取り出した手描きの地図を眺めながら、アタシは訝しげに呻いた。右手には小さな手提げ袋を持っている。中身は白い包装紙に包まれた箱。その中身までは知らない。知らんし、興味もない。
「まったくソーマの婆さんも変なこと頼むよな。てか、アタシじゃなくてもいいんじゃないか、こういう荷物運びってのは?」
 愚痴ながら辺りを眺める。砂利道の左右に広がるのは、針葉樹と広葉樹の混合林だった。木々は鬱蒼としているわけでもなく、まばらでもない。有り体に言えば普通の林だろう。日差しは少ないせいか、それほど雑草も茂っていない。
 草眞から頼まれた仕事。今右手に持っている荷物を、地図の示す場所に住む相手に直接届けることだった。ただ――誰が描いたか知らない手描きの地図は微妙に間違っているようで、ここにたどり着くまでに少し迷った。地図くらいちゃんと書けよ。
 そうしているうちに林を抜ける。
 明るくなった風景にアタシは少し目蓋を下げた。
「ここか?」
 林を抜けた先に、三階建ての古い洋館が佇んでいる。それほど大きいものではないものの、浩介の住んでいる家の二倍以上の規模はあるだろう。日本ではあまり見かけないような家だった。今通ってきた林は洋館を包むように広がっている。
 そして、アタシが出てきたのは庭の横手だった。どうやら、正面からの道と裏道を間違えたらしい。誰だか知らんけど、下手な地図書きやがって……。
「さって、どうしたものかな?」
 尻尾を左右に動かしながら庭を歩いていく。本来なら正面から入るものだが、地図が間違っていたので仕方がない。というわけで、アタシは悪くない。
「ん?」
 少し歩いたところで足を止め、アタシは銀色の眉を寄せた。
 庭に並んだ洗濯物。物干し台から伸びた糸に、女物の上着やシャツ、シーツなどが並んでいる。干されているものは普通のものだった。午後の風に揺れている。
 そして、それを満足げに眺める女が一人。
「何だ?」
 身長二メートルを越える大女だった……いや、ホント、無駄にでかいな。赤毛の混じりショートカットの黒髪と、凛々しい顔立ち。しっかりした体躯に麻黒い肌、ワインレッドのベストに純白のシャツとスラックスという服装も相まって、どこか男のようにも見える。意志の強さが見える紫色の瞳に、赤い縁の眼鏡をかけていた。
 見た感じ執事っぽいけど。
 そして、肩から腕が三対――六本生えている。
「蜘蛛の化生か?」
 女を眺めながら、アタシはんなことを考えた。もっとも、日本の妖怪じゃないな。国籍までは分からないが、多分欧州系だろう。どうでもいいことだけど。
 今まで洗濯物を干していたらしく、近くに洗濯カゴが二つ置いてあった。
 ふと女が視線を向けてくる。
 右手の一本で眼鏡を動かし、レンズ越しに見つめてきた。そのまま、両目を見開く。
「……」
 アタシは無言のまま両手に力を込めた。嫌な予感がする
 よく見ると眉毛かと思った三筋の部分も、大きく開いて三つの目になっている。面白い身体構造してるな――。その瞳が光ったように見えた。
 そのまま見た目とは対照的な軽い声音で、小さく呟く。
「あらー、とてもカワイイ子発見しましたー」
 アタシは動きを止めた。



 いや待て、お前。今何て言った?
 背筋に悪寒が走るのを自覚しながら、アタシは半歩後退る。ピンと尻尾が伸び、口元が引きつった。アレだアレ、壊れた時のコースケやリョーコと同じ目付き! 
「捕獲けって〜い♪」
 言うなり三本の左腕を一閃、手の平から放たれた糸が空を走る。凧糸ほどの白い糸が三本、矢のような速度で空中を飛んだ。速い! けど、反応できない速度でもない!
 アタシは左足で地面を蹴って右へと跳ぶ。自分が立っていた位置を糸が撃ち抜き、後ろの木へと張り付いた。予想通りの蜘蛛の糸ってところかね?
 視線を戻すと、数十本もの糸が迫っていた。上四本の腕を大きく広げた女。
「ちとマズいかな?」
 まるで意志を持っているかのように空中を走る白い糸。縦糸の先には水滴のような丸い粒。捕獲用の粘液兼錘なのだろう。アタシを包み込むように跳んでくる。ここから横に逃げたんじゃ、次の糸を食らうだろう。女の下の両腕が新たな糸を作ってる。
 しゃーねーか!
「Fire Storm!」
 呪文一言で巻き起こった赤い炎が、糸を呑み込む。赤い炎の熱風。魔力の圧力と一千度近い高熱が、糸を勢いよく燃焼させた。所詮は蜘蛛の糸、炎の前では炭も残らず空へと散る。ま、術などで防御されていないのは幸いだったな。
 と――。
 左足首に軽い衝撃。
 視線を落とすと、太い糸が一本、足に張り付いている。しまった……
 女が嬉しそうに微笑むのが見えた。
「捕まえたー♪」
「待ッ――」
 呻いた時には、身体が浮く。身体に激しい加速度が掛かった。凄まじい勢いで女の方へ引き寄せられる。さながら、ゴム仕掛けのおもちゃのように。風圧に白いワンピースが腹の辺りまでめくれ上がった。前見えねえぇぇッ!
 慌てて左手で裾を抑えつつ、視線を動かす。
 糸を放ったのは左上の手。残りの五本の手から、さらに十数本の糸が放たれている。空中に緩い螺旋を描きながら飛んできた。徹底的にヤル気か、この蜘蛛女は……!
 糸でぐるぐる巻きにされた昆虫の姿が、脳裏に浮かんで消える。
「Wing――Starting……!」
 ここまでヤるなら、アタシも本気出させてもらうぞ。背中から展開される二枚の翼。そして、左手の影から手の中に現れる銀色の十字剣。鍛冶師ガラカの作った業物、緋色の魔剣。銀色の両刃が一瞬で緋色に染まり、高熱を帯びる。
 糸が縮む勢いのまま、アタシはその場で身体を翻した。剣閃――。
 緋色の刃から放たれた炎の帯が、身体を絡め取ろうとした糸を焼き斬る。足に張り付いていた糸も斬り捨てた。これで、糸に捕まる心配はなくなった。ただ、一秒程度。
 だが、一秒もあれば十分だ。空中を滑るように、女に向かって突っ込む。
「あららぁ、意外と素早い方ですー」
 気楽に言いながら、女が六本の手を大きく広げた。あやとりのように指の間に張られた数十本の糸。今までの糸よりも細く、色も薄い。見た感じ、普通の蜘蛛の糸。だが、普通の糸じゃないだろう。今までの糸よりも危険な匂いがする。目的は防御か――。
 アタシは緋色の魔剣を軽く放り投げ、空いた左手に魔力を収束させる。魔法は一瞬で完成していた。軽く羽ばたき身体の高度を上げてから、
「Bastard Sword!」
 キンッ!
 刃渡り百センチほどの透明な大剣を、女の作った糸が受け止めた。
 その一撃で数本の糸を切れたものの、全てを斬るには至らない。予想以上に硬い……。控えめに言っても鋼線並の強度。太さは文字通り蜘蛛の糸程度だってのに。
 だが、左手の剣は囮。
 アタシは女の張った糸へと右足を叩き付ける。魔法強化されたサンダルの中程まで斬り込む糸――って、思いの外良く切れる……。だが幸いなことに、糸の数が多いせいで、足まで糸が届くことはない。ぎりぎりアタシの勝ちかな?
 魔力の剣を持った左手と糸に食い込んだ右足を支点にして、身体を大きく回転させる。尻尾が緋色の魔剣を空中で掴み、切先を女の眼前に突きつけていた。
「チェックメイトだ」
 お互いに動きが止まる。

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