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第18話 追う者、追われる者 再び 後編 |
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「しかし、いつにも増して派手にやらかしたようだが……」 動けないサキツネを見下ろしたまま、男が続ける。 駐車場は変わらず静かだった。灰色の空と灰色の地面。暑くも寒くもない丁度いい気温。場所が良ければ昼寝には丁度いい気温だろう。しかし、この状態でのんびりと昼寝をすることもできない。全身から血を流したまま、サキツネは男の言葉をただ受け入れる。 ふと思い出したように、男が続けた。 「そういえば、前にたこ焼き盗み食いされたとか怒ってたけど、お前か? 緑色のセーラー服着た変なキツネって言ってたし。あん時はボロボロになって、病院に一週間監禁状態だったっけな」 そう目を移した先。 駐車場の隅に女が倒れている。うつ伏せで、血がアスファルトを黒く染めていた。ぶつかったらしいブロック塀が壊れている。普通の人間なら即死する力で女を蹴り飛ばし、それでも男は何とも思っていない。 男が近くに落ちていた黒刀を拾い上げた。 「こいつは回収しておく。入手経路は後で調べるとして――」 「兄さん、何してるんですか? 邪魔しないで下さい」 声の主に目を向ける。 女が立ち上がっていた。傷はそのままに、足取りもしっかりと歩いてくる。 どうやらこの男は女の兄のようだった。雰囲気が似ているのもそのためだろう。兄相手でも丁寧な言葉使いなのは、育ちがいいからだろうか? 眉を下ろし、男が呆れたように妹を見ていた。 「……お前、今どうなってるか自覚あるか? 右肺逝かれてるだろ」 「そうですね。右肺と肝臓が斬られてますから。物凄く痛いですし、呼吸もしづらいですし苦しいですよ。このまま放っておくと死んでしまうかもしれませんね」 脳天気にそう言ってから、横に血を吐き出す。死ぬかもしれないという事を至極簡潔に受け入れているようだった。自分の死すらあっさりと受け入れる、壊れた価値観。 男が右手で頭を押さえた。 「入院は五日くらいかな……?」 それから、不意にサキツネに目を向ける。 「おい、きつね」 「な、に……?」 思わず訊き返す。 「妹は俺が抑える。お前はとりあえず逃げろ」 口から出た言葉の意味は、よく分からなかった。 倒れたままのサキツネの脇腹の下に爪先を差し込み、身体を空中に放り投げた。サッカーボールでも蹴るように、あっさりと。動けないまま空中に浮かぶサキツネ。 その身体の下に、男が右足を差し入れた。 「……え?」 瞬きするが、現実は変わらない。 大きく息を吸い込み、男が足を思い切り振り抜く。 「行ッけええええッ!」 視界が白と黒に染まり、凄まじい加速度が全身を貫いた。満身創痍の身体があちこち悲鳴を上げている。だが、それを気にしている余裕は無い。今更痛みに意味も無い。サキツネは男の足に投げ飛ばされていた。 視界が元に戻ると、小さくなった駐車場が目に入る。 「ええ……ええー……?」 気の無い声が喉から漏れた。 人間大砲という単語が頭に浮かんで消える。 耳元で唸りを上げる風斬り音。 有り体に言って、サキツネは空を飛んでいた。さながら、遊園地のアトラクションを十倍にしたような規模で。くるくると回転しながら、街の上空を吹っ飛んでいく。灰色の空と色彩豊かな地面が交互に視界に入ってきた。 「きれいかもしれない」 場違いにそんな事を考える。 普通に生きていて、生身で空を飛ぶという体験は無い。二重の意味での人間大砲は、おそらく非常に希有な体験であると断言できる。サキツネは自分の身に起こった事をしみじみと噛み締めていた。 渦巻く空気を全身に感じながら、ふと閃く。 「あれ? これ、は……落ち、たら……?」 目見当でサキツネの飛行高度は二百メートル。およそ六十階建てのビルの高さに相当するだろう。その位置エネルギーを運動エネルギーに変換すれば、十二分な破壊力と化す。落下と同時に身体は粉々になって砕け散るだろう。 「凄く、マズいかも?」 目を向けた先には、大きな川があった。街外れを流れている川。 サキツネはそこに向かって落ちている。 (人は死ぬ時に今までの一生が走馬燈のように見えると言うけれど、走馬燈とは一体どういうものなのだろう? 馬が走る燈?) 微妙な疑問が浮かぶが、答えは無い。手の届く所に辞書は無く、答えてくれる者もいない。答えを知ることもなく、死ぬらしい。今までの出来事が脳裏に閃くこともなく、サキツネは感慨も無く落下と激突を受け入れた。 つもりだった。 ぼむん! 「おうっ」 気の抜けた爆音とともに、身体が大きく跳ねる。 地面にぶつかる直前に、巨大なクッションのようなものが身体を弾き飛ばしていた。目に見えない風船のようなものが、衝撃を呑み込む。男が何か仕込んだのだろう。 「あれ。助かった?」 次の瞬間見えたのは、水面だった。 灰色の水面に突っ込む。今度はクッション効果は無かった。それでも、衝撃はそれほどでもない。数メートルの高さから落ちた程度だろう。下が地面ではなく水面であったのも幸いしたかもしれない。 一度沈んでから、ゆっくりと浮かび上がった。 「助かった……だろうか?」 仰向けに浮かんだまま、サキツネは川を流れていく。 川の水は冷たかった。 それに文句を言うこともなく、ただ流されていく。 空を覆っていた灰色の雲が風に流され、青い空と太陽が戻ってきた。明るいはずの空はそこはかとなく暗く見える。冗談のような出血量なので、仕方がない。意識が残っているのが奇跡だった。 川に放り込まれてから、何分経ったかは分からない。 時間感覚が無茶苦茶になっている。 「これは、どうしよう?」 サキツネは首を傾げた。 身体にまともな箇所など無い有様で、岸に向かって泳ぐこともできない。腕も脚も動かない。流れゆく水に身を任せ、ただ流れていく。そのうち岸に流れ着くだろうと、サキツネは楽観的に考えていた。 まさか海まで流れ出ることはないだろう。 視界に影が差した。 視線を移すと、橋が見えた。 コンクリートの橋脚に支えられた大きな橋。上を走る車の音が耳に届く。車道の横には歩道が作られていた。鉄製の柵に囲まれた橋。 「あ」 その柵の上に、女が立っていた。 長い黒髪と赤く染まったワンピースを風になびかせ、鉄柵の上に立ったままサキツネを見下ろしていた。落ち着いた表情で、口元に淡い笑みを浮かべて。身体に包帯を巻いているが、その包帯も赤く染まっている。 ホラーゲームのクリーチャーだった。 「今度は、逃がしませんよ」 その口がそんな言葉を紡ぎ出す。 タンッ。 女が鉄柵を蹴った。 人間の限界を無視した脚力で高々と跳び上がる。青い空を背景に、長い黒髪と血塗れのワンピースを翻して空を舞う女は、現実離れして美しかった。 右手に握られた鋸鉈。 重力に引かれ、女が落下してくる。 その先にはサキツネがいた。 「逃げ、られない……」 逃げることはおろか、動くこともできない。冷たい川の水に浸かったまま、サキツネは襲い来る女をただ凝視することしかできない。 頭に浮かんだのは、フルーツパフェだった。女に襲われる原因となった、テーブルに置かれていたパフェ。生クリームの甘さとチョコのほのかな苦み、フレークのさくさく感が口に蘇ってくる。 「美味しかったです……」 幻の甘味に、静かにそう呟いた。 それから一時間も経っていないはずだが、それは数日前の出来事のように思える。 思い返してみれば、最後にパフェを食べたのは正解だっただろう。食べていなければ、後悔していたはずだ。やらずに後悔するよりもやって後悔するべきというのが、サキツネの考えだった。もはや後悔という次元ではないが。 現実逃避が遮られる。 「これで終わりです」 ヒュゥ――! 真上に落ちてきた女が、首目掛けて鋸鉈を閃かせた。 |
11/2/10 |