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第16話 追う者、追われる者 再び 前編 |
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サキツネはふと足を止め、目を留めた。 白いテーブルの上に無造作に置かれたフルーツパフェ。それは、スーパーマーケットの片隅にあるオープンテラスだった。近くに売店があり、クレープやアイスクリームなどをを売っている。目の前にあるパフェもその店のものらしい。 「むぅ?」 首を傾げて、辺りを眺めた。周囲に人の姿は無く、パフェの持ち主もいない。売店のアルバイトらしき青年が、計算機を弄っている。 ただ、テーブルにパフェが置かれていた。無防備に。 ふらふらと引き寄せられるサキツネ。 テーブルの前で足を止め、パフェを見る。透明な容器に、生クリームとチョコとフレークといくつかの果物が乗ったパフェ。特筆することもない、普通のパフェだった。店先にならんだメニューを見ると、四百円らしい。 「罠くさいが、周囲に人の姿無し。トラップも無し」 サキツネは周囲を改めて眺め、腰を曲げてテーブルの下を見る。当たり前だが、誰もいないし何もいない。リズムを取るように尻尾を動かし、五感を四方に向けた。 パフェの持ち主らしき人はいない。 「食べ物を粗末にしてはならない」 自分に言い聞かせるように呟いてから、パフェに手を伸ばし。 その手を引っ込めた。 「でも、盗み食いはよくない。うむ」 腕組みしつつ、神妙な顔で頷く。 冷製に考えれば、パフェの持ち主はトイレにでも行っているのだろう。全く手を付けていないパフェがテーブルに捨ててあるのはあまりにも不自然だった。ここで手を出せば、持ち主が困るだろう。 一時の食欲に心奪われた事は反省しなければならない。 ニヒルに微笑み、サキツネはその場から立ち去ろうとした。 「何してるんですか?」 声がかけられる。 サキツネは一度足を止め、声の主に目を向けた。 「あ」 長い黒髪の女が、驚いたように見つめてくる。 年は二十歳前後であるが、やや幼い印象を受けた。背は高くもなく低くもなく、体格も普通だろう。腰の辺りまで伸ばした艶やかな黒髪が目を引いた。着ているものは、水色の半袖ジャケットと、白いワンピース、足は裸足で白いサンダルを穿いている。 シンプルなようでかなり目立つ、お嬢さんという言葉が似合う容姿。 それはさておき、向こうはこちらに見覚えがあるらしい。 「キツネさん?」 女がそう口にした。 「………」 無言のまま、サキツネは一歩後退する。尻尾を伏せつつ、頬を引きつらせた。 嫌でも蘇る記憶。ホームセンターでたこ焼きを盗み食いした事が原因で、死ぬほど追い掛けられた記憶。ロケットランチャーまで使って、なんとか逃げ切った思い出。 名前は知らないが、その時の女だった。見間違えるはずもない。 女は両目を一度閉じ、にっこりと微笑む。 「今、わたしのパフェ盗み食いしようとしていましたね?」 「いえ、勘違いです。断じて勘違いです」 右手をぶんぶか振りながら、サキツネは全身全霊を込めて否定した。 食べようとしたのは事実だが、手は出していない。ちょっと誘惑に駆られもしたけど、今はそんなに空腹ではないので、耐えた。だが、説得力はないだろう。疑問に思われるような行動を取ってしまったことをかなり本気で後悔する。 「言い訳は聞きません」 そう言い切り、笑顔のまま続けた。 「あと、いつだったかわたしのたこ焼きを盗み食いしたお仕置きはまだでしたよね? あの時は買ってくるように頼まれたものを色々壊してしまい、お父さんとお兄さんに色々怒られてしまいました」 そう頷く。何故か楽しそうに。 昼下がりのスーパーマーケット。晴れていた空に雲が伸びてきている。暑くもなく寒くもない丁度いい気温。風が微かに吹いて、女の長い黒髪が少し揺れていた。 サキツネの癖の付いた髪はあまり揺れない。 女が右手を持ち上げた。その腕は細いようで、しっかりと筋肉が付いている。 「その時の分も合わせて、きっちりお仕置きしたいですね。ふふ」 盗み食いのこと、それとも怒られたこと? 咄嗟にそう考えたが、口に出す余裕は無かった。 既に"お仕置き"は決定事項らしい。前回の記憶を思い返す間でもなく、凄まじくサディスティックでスプラッターなことをする気のようだ。自分が持つ選択肢は、逃げるか退けるかの二択。後者はかなり不可能っぽい雰囲気なので、選択肢は逃げるのみ。 だが、逃げ切れるかどうか、非常に怪しい。 捕まってお仕置きを受けるは、論外。 「ならば――」 サキツネは勢いよく右手を伸ばした。 テーブルに置いてあったパフェを掴み、口を大きく開ける。パフェを全部口に放り込んでから、咀嚼せずに一気に呑み込んだ。喉を通り過ぎていく、生クリームの甘さとチョコのほのかな苦み、フレークのさくさく感。 小さくゲップをしてから空のカップをテーブルに置く。 「美味しかったです……」 両手を合わせ空の容器に一礼してから、女に向き直った。 女の笑顔は変わらない。優しく笑ったまま、右手を握り締める。小指から親指まで握り込む動作。それは女が戦闘態勢に移ったことを示していた。 狐耳と尻尾を立て、黄色い目を見開き、サキツネは咆える。 「来い!」 来た。 開いていた距離を一拍で詰める。間合いを一瞬で詰めるという行為。マンガなどではよく見かけるが、実際に受ける立場になってみると――洒落にならない。 ドンッ! 拳がサキツネの頭があった場所を撃ち抜く。 左足の蹴り込みから、右半身の重心移動。まっすぐに伸ばされる右腕。筋肉と関節がきれいに連動した一撃だった。顔面ではなく、喉を狙っている。 「手加減無し、迷い無し、容赦無し……!」 頭の真横を貫く拳圧を頬に受けながら、サキツネは右横に跳んでいた。 椅子の背を両手で掴む。白く塗装された四角い木の椅子。持ち上げるにはやや重めのその椅子を、全力で女の頭に叩き付けた。椅子が壊れるほどの力任せに、その角を。攻撃性全開の相手に、手抜きする理由は無い。 こめかみに強烈な一撃を食らいながら。 「あぅ?」 サキツネは視線を落とした。 女の左掌底が、腹にめり込んでいる。開いた手が、へその真上へと。頭の急所に椅子のフルスイングを受けて、しかしそれを意に介していない。色々と人間ではない。 無音……。 世界から音と色が消える。 空、雲、アスファルト。目を点にしている売店の男。 それらが瞬く間に入れ替わり、思考の外でサキツネは両手を突き出した。地面を叩いて跳ね起きる。尻尾を振って転がった勢いを殺し、直立の姿勢を取った。幸運にも左手に弾き飛ばされ間合いが開いている。 「ぐ!」 直後に襲ってきた激痛に、奥歯を噛み締めた。両目から涙を流し、胃から逆流しそうになったものを強引に呑み下す。口の中が苦酸っぱ甘い。 「むちゃくちゃ、痛ひ……」 内蔵を貫き、背骨から脳髄まで響くような痛みだ。視界が暗くなり、足腰から力が抜ける。立っているのも辛うじて。横隔膜が固まって呼吸もままなならい。たった一発でヒットポイントの半分以上を持っていかれたような有様だった。 やや遅れて、背の折れた椅子が地面に落ちる。 壊れた椅子を一瞥してから、女が左手を握って開いた。 「キツネさん、思ったよりも軽いですね。ちょっと入りが甘かった……」 「全然効いてないし」 理不尽さを噛み締めながら、後ろに手を回す。 予想はしていた。わかっていた。椅子の角で殴ったくらいでは怯みもしないことは。しかし、どこかでこの黒髪の女が人間であることを期待していた。至近距離から徹甲弾受けて生きているバケモノが人間である理由もないが。 右手を背に回し、わさわさと武器庫を探る。 「とりあえず――」 女が右手を持ち上げた。 いつの間にか、その手に奇妙な武器が握られている。鉈と鋸を組み合わせたような外見だ。実体も外観通りだろう。刃渡り五十センチほど、先端に向かって僅かに細くなっている肉厚の刀身に、ギザギザの鋸歯が付いている。 拷問具と言われれば、普通に納得しそうな物体。 女の顔には場違いな笑顔が映っていた。子供のように無邪気で残酷な笑顔。 「今日は武器になりそうなものを持っていないので、これ使わせてもらいます。斬られたら凄く痛いですけど、大丈夫です。意外と殺傷力低いですから、これ」 と、先端をサキツネに向ける。 普通の刀のように尖った先端は無い。刺突に向いた形状ではないので、突いてくることはないだろう。その形状から繰り出される攻撃は、叩き付け、そして削る。 「………」 サキツネの頬を冷や汗が流れた。尻尾の付け根が縮む。 この狂気――もとい、凶器の目的は、いかに相手に痛みを与えるか。本来の刀に必要な殺傷力は二の次。そんな本末転倒な設計思想が滲み出ていた。 刃を受けなくとも分かる。斬られたら、泣くほど痛い。 女が鋸鉈を構える。 「それでは、改めて」 「逃走、一択」 サキツネは右手を振った。取り出した武器を、女目掛けて投げつける。 空を切り飛んでいく、穴の空いた黒い筒のような物体。女の目がそれを捉えたのが、見えた。これは、並外れた反射神経が逆効果となる武器。同時に、爆発が起こった。 「――ッ!」 直視すれば気絶するほどの閃光と爆音が、一帯を埋め尽くす。視覚、聴覚、平衡感覚を一時的に麻痺させ、相手を無力化させる閃光手榴弾だ。あの女は閃光と爆音を、思い切り直視したはずである。小さな悲鳴が聞こえたような気がした。 しかし、あのバケモノにどこまで通じるかは未知数。 期待はせずに、サキツネは一目散に逃げ出していた。 |
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