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第11話 最初に食べた者を尊敬する |
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最初にキノコを食べた者を尊敬する…… ジョジョ六部のプッチ神父の台詞だったな。 幸運なバカがたまたま平気だったのか、飢えの必死さが切り開いた発見なのか。世の中を見てみると、そういう料理は多い。日本だとクサヤや納豆、ナマコにホヤ、イナゴや蜂の子も。納豆の原型は普通の豆料理だったようだけど。 「さて――」 台所にテーブルに置かれているのは、アルファベッドが書かれた真新しい木箱。 ヨーロッパ旅行中の友人の旅行作家が送りつけてきたものだ。先日はシュールストレミングを送りつけてきたけど、今回はそれを上回るものを送りつけて来やがった。 「おや、珍しげなものが」 聞き慣れた声に視線を動かす。 椅子に狐の女の子が座っていた。 見た目十代半ばくらい。癖の付いた狐色の髪の毛と、狐耳と尻尾。いまいちやる気の感じられない黄色い瞳と、痩せ気味の身体。セーラー服と緑色のスカートという格好で、黒いオーバーニーソックスを穿いている。時折思うのだが、こいつはこのセーラー服以外の服を持っていないのだろうか? 「いつの間にそこにいた……?」 前触れ無い登場に戸惑いつつ、俺はサキツネを見つめた。ドアの開いた音はしてないし、さっきまではいなかった。だというのに、何の脈絡もなく椅子に座っている。 「時空間忍術で」 得意げに鼻を鳴らすサキツネ。俺の意表を突けて満足らしい。 まあ、とりあえずこいつがここに来てくれたのはありがたい。飛んで火に入る夏の虫ってヤツだ。使い方は間違っているけど、おそらく本質は間違っていない。 「貰い物のチーズがあるんだが、食うか?」 「食う」 俺の問いにサキツネが即答する。 お前ならそう言ってくれると信じていたよ、うん。食い物を勧められれば、サキツネがそれを断ることはない。たとえ非常識に不味くても、普通は食わない劇物料理でも、半分腐っていようとも。こいつは、本当に何でも食べる。 俺は無言でサキツネの前に木箱を差し出した。 「チーズ?」 木箱の蓋を開けると、中にはビニールに包まれた白い箱が収められていた。どうやら梱包用の箱らしい。サキツネは小さなナイフを取り出し、梱包箱を破り捨てる。 「………」 そして、動きを止めた。 中に入っていたのは、表面が黒っぽく変色したチーズだった。日本のスーパーなどで売っているような小さく切ったものではなく、型から取り出したそのままの円筒形状。重さは七、八キロはあるだろう。普通はここから適当な大きさに切って食べる。 中のチーズを凝視しながら、サキツネが狐耳を立てていた。 「これは一体……?」 「カース・マルツゥ。通称ウジ虫チーズ」 俺は静かに答える。 チーズ表面にはうにうにと動く小さなウジ虫が見えた。体長一センチにも満たない半透明の白い虫。表面に少し見えるってことは、チーズ内部には大量にいると言うことである。話によると、このウジ虫によって発酵を促進させるらしいが。 「これが……。噂には聞いていたが……」 顎に右手を当て、サキツネは神妙な面持ちで頷いた。 casu marzu――意味はそのまま腐ったチーズ。羊乳のチーズにチーズバエの幼虫を寄生させて過剰発酵させた、衛生感覚を半ば無視したトンデモチーズ。 アレルギー反応やウジ虫の腸内寄生の危険性から、現地でも作るのは違法行為。闇市場で取引はされてるようだけど……。それをどう誤魔化して日本に持ってきたのかは不明である。でも、目の前にあるのだから仕方ない。 大きく吐息してから、俺は蛆チーズを見下ろした。 臭いはちょっとカビ臭い程度かな……? 「にしても。分かってはいたけど、実物見ると凄いなァ……」 最初にキノコを食べた者を尊敬する。 最初にウジ虫の沸いたチーズを食べたのは、どんな物好きだったんだろう? もったいないから食べてみたのか? 他に食べる物が無かったから決死の覚悟で仕方なく? 食べてから中にウジ虫がいることに気付いた間抜け? それとも、納豆みたいに最初は普通の食べ物で、変化の過程でゲテモノ化していった? 「自分で勧めておいてなんだけど、食べたくないなら食べなくていいぞ。全部無かったことにして、捨てるから。明日燃えるゴミの日だし」 コルクボードに貼られた家庭ゴミ収集表を見ながら、俺は気の抜けた苦笑いをした。腐りかけでも普通に食べてるから蛆チーズも大丈夫かなー、とか思ったけど、冷静に考えれば無理だろ、コレ。蛆涌いてるってことは、腐敗してるってことだし。 しかし、サキツネは微かに口の端を持ち上げて見せた。 「この程度のゲテモノ、恐るるに足らん」 緩く腕を組んだまま、威風堂々と言ってのける。背筋を伸ばし、狐耳と尻尾をすらりと伸ばしていた。黄色い目に映る刃物のような強く鋭い輝き。 ちょっと格好いい……。 サキツネは箱に両手を入れ、おもむろにチーズを持ち上げる。 「えっと……スプーンとかフォークとか」 俺がネットで調べた写真だと、適量をパンやクラッカーなんかに挟んだり、直接食べるにしてもスプーンなんかですくっていた。でも、サキツネは両手でチーズを持ち上げている。特大ハンバーガーでも食べるように。 「小細工は無用!」 断言するなり、サキツネは道具も使わぬままチーズを丸囓りし始めた。円筒状のチーズを端からむさぼり食っていく。マンガのような豪快な食べっぷり。見ている方が気持ちいい食べ方するな、サキツネは。 と―― 「のおおおおッ!」 間の抜けた声とともに、俺は後退った。 音もなくウジ虫が跳ねている。 チーズから小さいウジ虫が飛び出し、テーブルの上や床に落ちていた。落ちた先でうねうねと蠢く小さい虫。忘れた――! こいつは跳ねるんだっけな……! 掃除するの俺かー? 俺だよな! 他にいないしな……。 「凄い狐だな。全然羨ましくはないけど」 跳ねたウジ虫が顔に当たるのも気にせず、サキツネは元気にチーズを食べていた。チーズとは思えないほど柔らかい音を立てて咀嚼されている。ウジ虫ごと食べているのだが、その辺りは問題ないようだ。今更気にするほど繊細な神経は無いだろう。 三割ほどを食べ終えてから、一度口を放す。 口の中で噛んでいたチーズを呑み込み、軽くゲップを吐き出す。 「意外と美味しい」 尻尾を動かしながら、そんな感想を口にした。 でも、テーブルや床や椅子、サキツネの服の上なんかにウジ虫が落ちているんだけど。一センチにも満たない小さな半透明の虫がうぬねしてる。見ているだけで、首筋から背中にかけてぞわぞわとした悪寒が……。 サキツネがチーズをひとかけ手に取り、俺に差し出してきた。 「お兄さんも一口どう?」 「全身全霊で遠慮します!」 断面で蠢くウジ虫を凝視し、全力で拒否する。 はっきりと言わせて貰おう! ウジ虫涌いてるチーズを食うってのは、正気の沙汰じゃないッ! こいつを食えるのは、勇者か無謀者か、もしくはただのゲテモノ好きか。サキツネは多分無謀なヤツ! 「美味しいのに」 狐耳を伏せてから、サキツネはチーズを食べるのを再開した。 むしゃむしゃと水気を含んだ咀嚼音を響かせ、チーズをウジ虫ごと腹に収めていく。実に美味しそうに食べているけど、蛆チーズなんだよねー……。 チーズは既に七割方食べ終わり、今は右手で残った欠片を握って食べている。 てか、両手で抱えるのもちょっとキツい重量を問題無く腹に入れられるってのも、どうかと思うぞ……。いつだったか豊穣祭の大食い大会でうどんを五十杯近く食べてたし、あの時六十杯以上食って平然としていた男はどうしているだろう? 現実逃避している間に、サキツネはチーズを全部食べ終わったようだった。 「ごちそうさまでした」 両手を合わせて頭を下げている。 でも、近くには飛び取ったウジ虫がうにうにしていた。 「サキツネ、ちょっと動くなよ」 俺は近くに老いてあった対ゴキ用殺虫ジェットを構える。 シューッ! ノズルから噴射された殺虫剤が、テーブルや椅子、床やサキツネの服に落ちていた蛆を直撃した。薬品耐性を持っていることもなく、数秒で動かなくなるウジ虫。 でも、片付けるのは気が進まない。 サキツネが椅子から立ち上がり、服に付いていたウジ虫を払い落とした。女の子って男よりタフな精神力してるよな。 俺は殺虫剤を片付けながら、気のない笑みを見せた。 「まあ、変なもの食わせちゃってすまんな」 「おきになさらず」 「お詫びと言っちゃ何だが、後でカレーライスでも食わせてやるから……ん」 目の前にサキツネが移動していた。足音すら立てず、瞬間移動でもしたかのように。俺の前に右手の小指を突き出している。口元に素敵スマイルを浮かべ、黄色い瞳に煌めく星を映し、ぱたぱたと尻尾を動かしていた。 言いたいことは言葉にせずとも分かる。 何も言わぬまま、俺はサキツネの小指に自分の小指を絡めた。 「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲〜ます♪ 指切った!」 サキツネが勢いよく小指を引き抜く。 どうやら、カレーを食わせることを誓約させられたっぽい。ウジ虫チーズ食わせた引け目あるからちゃんと食べさせる予定だけど……もし約束破ったら、サキツネは本気で針千本持って呑ませに来るだろう。 「それでは、約束のカレー待っています!」 きっちり宣言してから、サキツネが両手で印を結んだ。人差し指と中指を伸ばした刀印を両手で縦に重ねるような形。マンガの忍者が使うような印である。 ぽん。 軽い破裂音とともに白煙が生まれる。 そして、その白煙が消えた時には、サキツネの姿は跡形もなく消え去っていた。 「忍者かよ……」 一応ツッコミを入れておく。 さて、ウジ虫の死体片付けるか。 |