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第1話 キツネの別荘 |
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さて、いつからだろうか? 俺のアパートにこいつが遊びに来るようになったのは? いや、遊びに来るという表現はあんまり正しくないな。勝手にやってきて、勝手に食って寝て食って、勝手にいなくなる。鍵はかけてあるんだが、何故か部屋に入ってる。 地方にある2DKのアパート。田舎の一歩手前の環境なので家賃は安い。作家という自宅仕事なので、多少田舎でもそんなに問題はない――と思う 俺は持っていた紙袋をテーブルに起き、寝室へと移動した。 「あ。やっぱいた」 幾分の呆れとともに吐息する。 和室六畳の窓辺に、そいつは寝ていた。 見たまま狐の女の子。癖のある長い狐色の髪とそこはかとなく生意気そうな顔立ち。頭には狐耳が生えていて、腰の辺りからはふさふさの尻尾が伸びている。服装はセーラー服に黒いニーソックス。似合ってると思う。 名前はサキツネと言うらしい。 へそを出したまま、初春の陽気の下で幸せそうに眠っていた。 「相変わらず気持ちよさそうな顔して寝てるなー」 俺はサキツネの傍らまで歩いていき、そこに腰を下ろす。 寝室なので荷物は少ない。布団は押し入れに片付けてあり、散らかすものも無く、時折現実逃避で掃除をしているので、部屋はきれいなものだった。 暖かかな日の光を浴びながら、優雅に昼寝をしているサキツネ嬢。ここは日当たりが良く昼寝するには最適らしい。 「へへ〜。もう食べられないぞ〜」 寝たまま嬉しそうに口を動かしている。ベタな寝言だな。あんまりベタすぎて感動してるぞ俺。また何か食ってる夢でも見ているのだろう。 俺は人差し指を伸ばして、頬をつつく。ふにふにと柔らかい感触。指でつつくたびに、狐耳と尻尾が小さく動いている。 結構可愛い。……あくまで寝てる姿はだけど。 パチ。 脈絡なくサキツネが目を開けた。 黄色みがかった茶色の瞳で俺を見つめる。 頬から指を放して、俺はポケットに手を入れた。一言声を掛ける。 「おはよう」 「おはよう……」 短く挨拶を返し、サキツネはむくりと起き上がった。両腕を頭の上に持ち上げ、大きく背伸びをする。狐耳がぴんと伸びて、尻尾の先が痙攣するようにピクピクと動いていた。こりゃ相当寝てたな。 両腕を下ろして、手の甲で目をこする。 「よく寝た」 「そうか、よかったな」 俺はおもむろにポケットから取り出した飴玉を差し出した。 サキツネは当然のごとく右手を伸ばして飴玉を掴み、包み紙を取って口に放り込む。目を閉じて口を動かし、甘さを味わっていた。尻尾が上下に揺れている。 「しかし、兄さんの冷蔵庫はいつも通り空っぽですね」 飴玉を舐めながら、そんなことを言ってきた。 またこいつは勝手に人の冷蔵庫開けてるのか。まあ、俺はその日に買ってその日に食う主義なので、冷蔵庫はいつも空っぽに近かった。今あるのは、大根半分と牛乳だけだったと思う。確か。 「大きなお世話だ。てか、人の冷蔵庫を勝手に開けるな」 「今は外行き紳士モードだから、大根をツマミに牛乳呑んだりはしないぞ?」 よく分からないことを言いつつ、サキツネがその場に立ち上がる。 外行きモードじゃなかったら、食ってたんだ。てか、そんな変な食い合わせしても平気なのか。生大根と牛乳って……。いや、こいつは本当に何でも食うらしい。 まあ、それは俺にとってもありがたいんだけど。 「土産貰ったんだけど――」 「食う」 言い切らぬうちに頷き、とことこと台所へと歩いていく。左右に揺れる狐色の髪と尻尾と、ついでに緑色のミニスカートを眺めつつ、俺も立ち上がり後を追う。 サキツネはスリッパを履いてフローリングを数歩進み、テーブルの上の紙袋に近づいた。普通の模様入りの紙袋。中身を取り出し、眉根を寄せる。 「なんだコレは?」 四角い箱の菓子と硝子瓶に入った液体。 書かれている文字は日本語ではなく、どこか外国のものだった。 「友人が中東の方に旅行に行って買ってきた。食えるなら全部食っていいぞ」 俺がそう告げると、サキツネは一瞬の沈黙を置いて箱を開ける。中には大きなクッキーのような菓子が並んでいた。ひとつ摘んで匂いをかぐ。 そして、口に入れてもそもそと囓っていた。ゆらゆらと尻尾が左右に揺れている。何度か頷いているところを見ると、美味しいのだろう。 「どうだ?」 こいつは本当に何でも食うから、味覚関係は知らんけど。御菓子類が苦手な俺にとって、こいつは処分要員として重宝している。ついでに残り物処分係。 「甘いけど、ぱさぱさしてる」 サキツネが箱を持ったまま、冷蔵庫に移動して扉を開けた。 「お前は……。せめて断り入れろって」 俺の言葉に一度こっちを向き、こくんと頭を下げる。それが断りか? ジト目で見つめる俺から視線を離し、サキツネは冷蔵庫から取り出した牛乳を飲んでいた。菓子を口に入れてから牛乳を飲んで呑み込むという動作を繰り返し、一分ほどで箱と牛乳パックを空っぽにする。 「美味かったか?」 「美味かった」 満足げに頷いている。 それから、テーブルに残った瓶を見つめた。 狐耳が動き、尻尾がぱたりと跳ねる。 「あれ飲むか? 飲めるなら、全部飲んじゃっていいぞ」 俺は瓶を指差した。 紫色でブドウジュースっぽい見た目。ただ、張ってあるラベルと微妙に古びた瓶の見た目から怪しい酒にも見える。中身の液体も微妙にとろみ帯びてるし。俺はかなり処分に困ってる。だって飲んだら腹壊しそうなんだもん。 「勧められた食事は、それが何であろうと食べぬわけにはいかん」 眉をV字に傾け、厳かにそう言い切った。 何か格好いいようで、言ってることおかしくない? 俺の心中をよそに、サキツネはテーブルの傍らまで歩いていき、右手で瓶を掴んだ。左手で無造作に蓋をむしり捨てる。床に転がる蓋。 「ちゃんとゴミ箱に捨てようね、サキツネちゃん」 ため息混じりの俺の言葉には構わず、サキツネは背筋を伸ばして薄めの胸を張り、左手をおもむろに腰に当てる。おお、この体勢は伝統的一気のみスタイル! 思い切り仰け反るように瓶の中身をラッパ呑み。 「うお……すげ」 思わず唸る。 ごくごくと喉が動き、瓶の中身が一気に減っていった。まともな神経じゃこんな怪しい飲み物を一気飲みは出来ないだろうけど、さすがというか何というか。全く羨ましいとは思わないその勇気、というか無謀さ。そこに痺れる、憧れないッ! ものの十秒で中身を空にした。 口元に残った紫色の液体を無造作に手の甲で拭い、サキツネは得意げに口を笑みの形にして、俺に向かって瓶を突き出す。勝ち誇ったように。 「ごちそう、さ……」 コトン。 瓶が床に落ちた。 瓶は割れずに床を転がり、サキツネの足に当たる。 「あ」 視線を戻すと、サキツネの顔色が明らかにおかしくなっていた。青いというか、まあ青い。視線も焦点も合ってなく、手も震えているし、口の端から飲み込んだはずの紫色の液体が……。一目で分かるほどヤバいですよ、狐さん。 大丈夫か? いやー、大丈夫なわけないよな? 「うぼぁー」 どこぞの皇帝のような断末魔を残し、サキツネはその場に崩れ落ちた。長い狐色の髪と尻尾が翻り、前のめりに床に突っ伏す。ガツンと何か痛そうな音が聞こえたけど、とりあえず無視。ひくひくと痙攣しているので、生きてはいるらしい。 こいつ賞味期限一週間過ぎの牛乳呑んでも平気だったのに、さすがにこの謎液体は無理だったか。あー、呑まなくて良かった。俺。 じゃなくて。 「おい、生きてるか?」 俺はサキツネの隣にしゃがみ込み、肩を掴んでひっくり返した。 蒼白のまま白目を剥いて口をぱくぱくさせているが、生きてはいるようだった。布団に寝かせておけば、大丈夫かな? いつだったか、自分は凄く頑丈とか自慢してたような気がする。 そう勝手に判断し、俺は両手でサキツネを抱え上げた。 仕事を少し進めて寝室に戻る。 大体二時間ほどだろうか。外は微かに夕焼け色に染まり始めていた。 サキツネは布団に寝転がったまま眠りこけている。最初の頃は顔色悪かったのに、今では元に戻っていた。確かに頑丈なやつだな。丸めた布団に抱きついたまま、気持ちよさそうな寝顔を見せている。 「しっかし……」 俺はじっと髪と尻尾を見つめた。 癖っ毛なのは見て分かるのだが、それとは別に毛並みが荒れている。何をやっているのかは知らないけど、結構無茶なことしてるらしい。 俺はタンスの引き出しからブラシを取り出した。髪の毛を梳くブラシであるが、ちょっと高級なものである。俺はあんまり使わないんだけど。 「じゃ、失礼して」 俺は布団の横に腰を下ろし、サキツネの髪の毛を持ち上げた。 柔らかな毛並みだが、思った通り毛が絡んだり跳ねたりと荒れている。元々の癖に加えて、毛荒れでボサボサだった。積極的に手入れをしていないようである。 「かなり乱暴に扱ってるんだな。少しは大事にしろって……」 仰向けのままのサキツネの髪の毛を手ですくいあげ、丁寧にブラシを掛ける。ブラシが毛を撫でる微かな音が部屋に響いていた。 サキツネを見るが、にへら〜と笑ったまま眠っている。 「お前、起きてる?」 返事はない。 ま、じっとしてるならその方がありがたい。 俺はサキツネの髪にブラシを掛けていく。狐色の髪の毛が少しづつきれいになっていった。きれいにといっても少しすっきりした程度であるが、贅沢は言えない。 一通り髪の毛にブラシ掛けを終わり、少し横に移動する。 「次は尻尾か」 狐の尻尾にしては大きいだろう。 俺は右手にブラシを持ったまま、尻尾を抱え上げた。思いの外軽く、柔らかな毛並み。指を差し入れると、呆気なく奥まで入っていく。なかなか気持ちがいい。 さて、続き、と。 俺は左手で尻尾を抱えたまま、右手で尻尾の毛にブラシを掛けていく。狐色の毛で先端部分が白っぽい。さすがに尻尾の毛を弄られるのは違和感があるらしく、ブラシを動かすたびにぴくりと狐耳が動いている。 しかし、俺は気にせずブラシを続けた。 ブラシを動かすたびに乱れていた毛並みが整ってくる。 数分ブラッシングを続けるだけで、毛並みは大分きれいになっていた。元からある癖は抜けないものの、まあ及第点だろう。 「こんなもんかな」 俺はそっと尻尾を撫でた。 手の平を撫でる毛先に、ぞわぞわとしたくすぐったさが前腕を駆け上がっていく。かなり気持ちいいけど、あんまり触るのは良くないだろ。 「さてと」 俺はふとサキツネの顔を眺めた。 さすがに起きてると思ったんだけど、至福の表情で眠りこけている。てか、もしかしてアレ、睡眠薬っぽい作用でもあったんだろうか? つくづく飲まなくてよかった。 そんなことを考えつつ、俺は一応糖分補給用のチロルチョコを置いておく。軽くサキツネの頭を撫でてから立ち上がった。 「現実逃避はおしまい、と」 自分に言い聞かせるように一言。 さて、仕事再開。 俺は一度深呼吸をして、部屋を出た。 さらに二時間が過ぎて晩飯準備の時間。 寝室に入ると、サキツネはいなくなっていた。チョコも無くなっている。 「帰ったか」 空っぽの布団を眺めながら、俺はそう呻いた。来るときに挨拶もなく、帰る時に挨拶もない。ま、いつものことと言えばいつものこと。 俺は布団に手を伸ばし、落ちていたぬいぐるみを拾い上げた。 サキツネを小さくしてデフォルメしたようなぬいぐるみである。気の抜けた表情で、猫口のような笑みを浮かべていた。誰が作ったのかは知らんが、本人ではないだろう。多分、きっと。素人目にもよくできていることが分かった。 「お礼なのか? これ」 あいつは時折変なモノを置いていく。きらきら光る硝子のような石だったり、小さな鉢植えの草だったり。統一性はない。お礼のつもりか、単に捨てているのかは不明だが、使えるものは遠慮無く貰うことにしていた。 俺はサキツネのぬいぐるみをタンスの上に置く。 「晩飯くらい食ってけばいいのに」 ため息混じりにそう言ってから、台所へと向かった。 冷蔵庫を開けると大根が無くなっていた。 食ったらしい。 あと、味の素の瓶が空になっていた。 舐めたらしい……。 |