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第35話 積雪遊戯!


 布団がぬくい……。
 部屋が冷たい……。
 布団に潜ったまま、俺は目を覚ました。
「雪、か」
 昨日から降っている雪の事を思いだし、もぞもぞと身体を動かす。暖房付けっぱなしのまま寝ちゃったけど、それでもうっすらと冷気を感じる。海流と風の関係で、この街は雪が降るとがくっと気温下がる。
「寒いの嫌だなぁ」
 もぞもぞと身体を動かしていると。
 ぴと。
「あひょうおおぅおぉォ!」
 首筋に押し付けられた冷たい感触に、俺は悲鳴を上げて全身を跳ねさせた。布団を跳ね飛ばしながら壁に激突、そのままバネ仕掛けのオモチャのようにベッドに立ち上がる。形容しがたい衝動に突き動かされ、部屋中に殺気だった視線を飛ばした。
 時計が静かに朝の六時五分を示している。
「あ。起きた? おはよう」
 予想通りというか何と言うか、部屋の真ん中に皐月が立っていた。
 紺色のワンピースに白いエプロン、髪を赤いリボンで縛ったいつもの恰好。なぜか、両手で三個の雪玉をジャグリングしている。野球ボールくらいの白い雪。
「おはよう――じゃねぇええ! いきなり何してくれてるンですかァ! ちょっと訳の分からん悲鳴上げちゃっただろうがァ!」
 血の涙でも流しそうな勢いで泣きながら、俺は皐月を指差した。寝起きの朦朧としている時に首筋に雪を押し付ける。イタズラにしては質が悪すぎるぞ!
「目覚めはどう?」
「おうよ、目覚めバッチリだわ! てか、何考えてるんだ!」
 ごくふつーに訊いてくる皐月に、全力で叫び返す。俺の人生ん中でも、五指に入るくらいバッチリの目覚めだ。さっきまであった眠気は音方もなく吹っ飛んでいる。
「ほら〜、雪玉、雪玉〜♪」
 嬉しそうに、皐月が雪玉みっつをジャグリングしている。器用なヤツめ。
 それから、雪玉を掴んだ右手を後ろに振りかぶって。
「さらっと投擲体勢取るな……! 部屋ん中で雪合戦なんて出来るわけないだろ! あんまり無茶すると、ハカセに行動制限要求書送るぞ」
「むー」
 不服そうに頬を膨らませてから、雪玉を両手で抱える。
 行動制限要求書。名前の通り、あれするな、これするなという行動ロックを掛けるようにハカセに送る書類である。皐月は割とさくっと無茶な事をするので、ハカセからそういう話が来ていた。
「はぁ。仕方ないなぁ」
 雪玉を持ったまま、皐月が窓に近付く。
 窓の外は真っ白だった。灰色の空と、街を覆い尽くす白い雪。ため息が出るほど美しい光景だけど、寒そうだった。実際に寒いんだろう。
「現在積雪二十五センチ。外気温-4.3℃」
 窓を開けながら、皐月が振り返ってくる。何故か目をきらきらさせながら。抱えていた雪玉をベランダに捨てていた。
 開いた窓から部屋に入り込んでくる冷たい空気。
「寒っ……」
 俺は慌てて布団に入った。跳ね飛ばした布団と毛布を広げて中に潜り込む。部屋は暖房効いてるけど、外気温が容赦なく温度を下げていた。布団の中でも冷たい……! 
 とりあえず、昼過ぎまで寝てよう。昨日の夜、大学の臨時休校メール来たし。
 窓の閉まる音、ドアの開く音。それから皐月の声。
「とりあえず、朝ご飯作ったから食べて」
 布団から顔を出すと、皐月が雪の盛られた大皿を誇らしげに抱えていた。 
 大きなガラスの平皿に、大量の雪が乗せてある。山の名を冠す喫茶店よろしく無駄に豪快に。でも、ただそれだけ。シロップ類は無い。練乳とかみぞれとか、保護色系かとも考えたけど、そういう小細工も無いようだった。皿に盛られた雪。
「何それ」
 冷めた俺の問いに、皐月は胸を張って答えた。
「雪、極盛り!」
「……食わん」


 六時四十分。
 マンションの正面自動ドアが閉まる。
 色々あって、俺たちは庭に出ていた。
「呆れるくらいに積もってるなー」
 辺りに積もった雪を眺めながら、しみじみと呻く。
 灰色の空から音もなく降ってくる雪の結晶。雪は明日まで続くらしい。自動除雪車が道路などは除雪しているけど、車の通りはない。マンションの庭や近くの民家の屋根なんかには、もさっと雪が積もっていた。皐月の話では積雪二十五センチ。かなり分厚い。
 こうして外に出るってことは、やっぱり好奇心だと思う。
「うっわ、すごい、積もってる! うわー、雪ー!」
 ぱたぱたと雪の中に足跡を作りながら、皐月がはしゃいでいた。なんか犬っぽい。両手ですくい上げた雪を、空中に放り投げている。音もなく飛び取る雪の飛沫。
 メイド服にマフラー、手袋、長靴。似合っているのか変なのかは、分からない。
「しかし、昨日よりも寒いなぁ」
 ちなみに俺は、帽子コートマフラー手袋長靴、即席カイロのフル装備です。俺は人間だから寒さ感じるし、元々寒さに弱いし。首筋の辺りにひんやりとした冷気を感じる。
 ピンッ!
 背筋に走る直感。
「このタイミング!」
 俺は素早く皐月に向き直る。
「あれ、見つかっちゃった? 奇襲雪合戦は面白いと思ったんだけど……」
 皐月が両手に雪玉を持って俺に狙いを定めていた。俺の注意が逸れた隙に雪玉を作り投げつけてくる。普通に考えれば分かることだった。
 ただし、雪玉はバスケットボール大。
 ――これは、やばいよね?
 二人の間を無音で落ちていく、白い雪の結晶。
「でも。ま、いいや。えいっ」
 ひたすら軽いノリで、大雪玉を苦もなく投げる皐月。アンドロイドの視覚と腕力と運動計算式を以て。茶色い髪の毛が跳ねた。両手両足が流れるように動き、右手に持った大雪玉が放たれる。まさに雪の砲弾だった。
「おおおおッ!」
 考えるよりも早く、俺は動いている。真横に跳んで、飛来する雪弾を躱した。唸りを上げて、空間を引き裂く雪の塊。反応がちょっとでも遅れていたら、雪弾の直撃を喰らっていただろう。少なくとも一般人が喰らって平気な威力じゃない。
 かなり遠くで雪の砕ける音がする。
「洒落になってない……」
 寒さとは違う悪寒が背筋を撫でる。
 受け身も取れずに倒れたけど、下が雪で助かった。
「ナイス回避!」
 手袋をした手で拍手をしている皐月。
 雪まみれのまま跳ね起き、俺は皐月に指を向ける。
「ナイスじゃねぇ! 何でそんなにでっかいんだよ! 雪合戦って言ったら、普通は手に持てるくらいだろうが! こんなもん喰らったら痛いじゃ済まないィィィって!」
 雪ってのは、意外と重い。水に比べればかなり軽いけど、量があれば同じ大きさのボールよりも遙かに重いのだ。それを力任せにぶつけられて、無傷で済むわけがない!
 雪合戦ってのは、人間同士が雪玉で遊ぶもんだからな。
「だいじょーぶ! 次は当てるから」
 自身満々に怖い事を言ってから。
 皐月は横から雪玉を持ち上げた。保護色で気付かなかったけど、どうやらこっそり作っていたらしい。直径約五十センチでバランスボールくらいの大きさ。雪だるまの頭に使えそうな大雪玉だった。当然、人に向けて投げるものじゃない。
 それを喰らうというのは、正直……ぞっとしないです。
「マジでちょっと待て――!」
 俺の言葉に耳を貸すこともなく、皐月は抱えた雪玉を投げた。俺に向けてではなく、軽く上に。微かな放物線を描いてから落ちてくる。
 皐月が右足を大きく後ろに引いた。茶色の髪が跳ねる。
「空軍〈アルメドレール〉! スノウ、シュートッ!」
 ドバァッ!
 振り抜かれた皐月の右足が、雪玉を派手に粉砕した。雪の破片が花火のように四方に飛び散り、降り注ぐ。白いエプロンと紺色のスカートが、大きく翻った。
「あれ? 思ったよりも脆かった」
 雪まみれの皐月が、砕けた雪を見つめている。
 その場で砕けたおかげで、俺の方にはほとんど雪は跳んでこない。
「助かった……」
 ひとまず胸を撫で下ろす。
 蹴りを用いて雪玉を撃ち出すつもりだったんだろうが、強度が足りなかったらしい。仮に撃ち出されたら、洒落にならんけど。
「気が済んだだろ、もう帰るぞ。俺は雪玉の的じゃないからな」
 俺はそう皐月に声を掛けた。
 しかし、皐月は不敵に口元を歪める。手袋を脱ぎ捨て、両手で足元の雪を握った。
 ……嫌な予感。
「ユキユキの〜」
 両手で握り締められた雪。今までの無茶な雪玉ほど大きさはないが、投げやすい大きさである。奇をてらわず、定石に切り替えたらしい。
 俺は一歩後退った。
 これはそんなにマズくないけど、地味にマズいなぁ。
「JET――」
 JETかよ!
「ガトリング!」
「あべし!」
 雪玉が俺の顔面を直撃した。小さいけど、速いから結構痛い。
 でも痛がってる暇は無い。超高速の腕の動きから作られる雪玉が、俺目掛けて立て続けに跳んでくる。雪を握って固めただけの小さな雪玉。当たっても大して痛くはない。一発だけならば。しかし、皐月は周囲の雪を弾倉としている。
 飛来する雪玉は、白い弾幕だった。
「おごば、べあばばふぉ――!」
 全身に直撃する無数の雪玉に、俺は悲鳴を上げながら後退していく。思考を刈り取るような超連射に、抵抗も回避もできず、俺は無数の雪玉を被弾した。
「行っけええッ!」
 雪の隙間から、異様な速度で雪を掴んでは投げる皐月の姿が。
 両手で顔を防御するがそれも気休めにしかならん!
 てか、口の中にも雪入って喋れない!
「おおおぉ……!」
 全身を打つ雪玉に、俺はあっさりと打ち負けた。積もった雪に足を絡め取られ、背中から雪に倒れる。受け身も取れなかったけど、下が雪だからそんなに痛くない。
 気が済んだのか、雪の弾幕が途切れる。
 助かった。
 ――と思ったら、皐月が雪玉を持ち上げてるのが見えた。さっき蹴り砕いたのと同じ大型の雪玉。手早く作ったのか、予備があったのかは知らん。
 分かったのは、雪弾幕はあくまで前座ということ。
 大きく目を見開き、皐月が朗々と咆える。
「これでトドメだ! 喰らえ――必殺、雪弾爆撃彗星!」
「待……っ」
 声でない! 出ても皐月は止まらないけど。
「とりゃ」
 かけ声は軽かった。皐月が雪玉を投げる。
 時間にすれば一秒程度だっただろう。だが、体感時間は酷く遅い。雪玉が皐月の手を離れゆっくりと放物線を描いてから、俺の上に落ちてくる。見ているけど身体は動かない。横に転がって逃げる余裕もない。諦める時間的余裕すら……
「うぼぁ……」
 そして、俺は雪に埋もれた。

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11/2/15