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第16話 皐月の企み |
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窓から差し込んでくる、白い朝日。 俺は布団に潜ったまま、意識をまどろませていた。時間は朝七時半くらいだろう。何となく分かる。目を開けて枕元の時計を見ると、七時二十五分だった。 「あー……」 デジタル時計の日付を見ると、大学創立記念日だった。うっかり平日の感覚で起きてしまったが、今日は休みである。俺は二度寝しようと意識を閉ざしかけ、 「おはようございます、ご主人様。朝です、起きて下さい!」 「ちょっと待て――!」 俺は思わず跳ね起きた。 掛けていた布団が落ちる。さすがに秋も深けてきたため、部屋の空気はほんのりと肌寒い。今夜からは布団を一枚増やしてねよう。だが、今それはどうでもいい。 「皐月、か……? 何だ今のは?」 ベッドの傍らに立った皐月。優しい微笑みを浮かべて、お淑やかに佇んでいた。 服装は紺色のワンピースに白いエプロン、白いカチューシャといういつも通りのメイド服である。服装におかしなところはない。 しかし、今日は何故か怖いくらい正当派メイドな起こし方だった。普段はかなりぞんざいな起こし方なのに……。しかも、何故か丁寧語でご主人様とか呼んでいるし。 「何って、朝のご挨拶ですよ。朝食はもう準備してありますので、着替えてからダイニングへ来て下さい。パンとトーストとサラダですけど、美味しいですよ」 左手を持ち上げて、普通のメイドっぽいことを言ってくる。 異常だ。すっごく異常だ。 俺は胡乱な目付きで皐月を睨んだ。 「今日は何を企んでいる?」 「企んでいるなんてぇ。ご主人様も人聞きが悪いですねぇ。わたしはただ、メイドとしてのお仕事をこなしているだけですよ。何を疑っているのですかぁ」 うん。何か企んでるな。 俺は至って冷静にそう結論づけた。 しかし、こいつが何を企んでいるかは分からん。見た目は人間の女の子なんだが、中身は機械。考え方が人間のそれとは少しズレている。俺の知る限り、心当たりもない。いつもの思いつきかも知れないけど。 ベッドから下りながら、俺は口を開いた。 「何か頼まれても買わんぞ」 「………」 適当に言ってみた台詞に、皐月の笑顔が一瞬固まる。 当たり、か。 こういう所は妙に人間くさい。 俺は室内サンダルを履いて窓辺へと移動した。晴れた空にはいくつか白い雲が浮かんでいる。窓から差し込んでくる日の光を浴びていると、眠気も徐々に薄れていった。大きく背伸びをしながら深呼吸。身体の関節が伸びるような音が聞こえた。 「素敵な朝ですね。明るい日の光を全身に浴びていると、まるでこの青空のように大らかで優しい気分になれますよ」 振り返ると、皐月が元の位置に立っている。 笑顔は崩していないが、さきほどまでの余裕はない。 「一応訊くけど、何が欲しいんだ? お前には毎日色々と世話になってるから、俺の金で買えるものくらいなら買うけど」 「これをお願いします」 即答しつつ、皐月が差し出してきたのは、一枚の紙だった。 どこかのWEBページを印刷したものだろう。 「高級メイド服一式……。四万クレジット税込み……?」 紙に書かれた、文字を読み上げる。 名前通り、メイド服だった。至ってシンプルなものであるが、印刷でも分かるほどの高級感を漂わせている。生地から装飾品まで一級品で、さらに汚れなどにも強く作られているようだった。金持ちが使用人に着せるものなのだろう。 「却下」 言うが早いか、俺は紙を破った。五回ほどびりびりと破いてから、丸めて放り投げる。放物線を描いてゴミ箱へと飛び込んだ。よし、成功。 「って、いきなり捨てるなー!」 皐月が叫び声を上げる。口調は元に戻っていた。よかった、正常だ。 俺は呆れたようにかぶりを振ってから、 「買えるわけないだろ。四万クレジットだぞ、四万クレジット。俺はまだ学生だってのに、そんなに金に余裕あるわけないだろーが」 「わたしと一緒に暮らして日記もどきを書くだけで、一日三百クレジット貰えるでしょ? それに、マスターから時々ボーナスも貰ってるみたいだし、一ヶ月くらい前に、ヤマさんから図書券貰ってたじゃない。それ会わせれば四万クレジットは行くでしょ」 口元を引き締めながら、皐月が言い切る。確かに、皐月が来てからの諸収入を合計すれば、おそらく四万クレジットは越えるだろう。 「何でその収入でお前のメイド服買わにゃならんのだ!」 眼前に人差し指を突きつけ、俺は叫んだ。 「うぐ……」 問答無用の正論に、皐月が一歩後退する。 しかし、退いた左足に力を込め、両手を握り締め、歯を食いしばった。正面からの攻撃に耐えるような仕草。心が折れる寸前で踏み留まったらしい。諦めが悪いやつめ。 「それに、そのメイド服で十分だろ。見た感じ市販品だけど、特にそれで困るわけでもないし、外出かける時は私服に着替えてるみたいだし。俺の部屋の中だけで着るのに、そんな高級な服はいらんだろ」 「あうっ……」 俺の追撃に、皐月は仰け反った。 決まった……。そんな勝利感を味わっていると。 皐月はその場に膝を突いた。ぺたんと女の子座りをしながら、悲しそうな顔で目元を押さえる。悲劇の少女スタイル。まだ諦めてないらしい。 「だって、わたしアンドロイドだからって理由で無給でずっと働かされてるんだよ。どんなに頑張っても苦労しても、お給料もご褒美も貰えないし。せめて、メイド服くらいお願いしたっていいじゃないッ!」 芝居がかった仕草で右腕を伸ばしてくる。そういう風に作られているのか、こいつは演技が上手い。気を抜けば引き込まれそうな空気を作り出していた。 だが、俺はジト目で皐月を見下ろす。 「で?」 冷たい一言。 しばしの沈黙。 伸ばした右手を戻してから、皐月はゆっくりとその場に立ち上がった。紺色のスカートに付いた埃をぱたぱたと払ってから、拗ねたように唇を尖らせる。 「いーじゃん、メイド服の一着くらい。ケチな男は嫌われるよ」 「四万クレジットのどこがケチなんだよ」 「むぅ」 再び的確な反論を行う俺に、再び怯む皐月。一ヶ月の生活費を越える金額をほいと出せるほど学生は気楽じゃないってのに。 どうも完全に意志を折らないといけないらしい。俺は眉間に指を当てて、続けた。 「そもそも、そういうのはハカセに頼むべきもんじゃないか? ハカセなら沢山金持ってるし、俺に頼むよりも確実性あるだろ」 「だって、マスターってケチなんだもん」 皐月が頬を膨らませる。お前は子供か。 ま、確かにハカセは意外とケチだ。倹約家という方が正しいかもしれん。必要なことにはさくっと億単位の金を出すが、日常生活はかなり質素である。収入の大半を研究費につぎ込んでいるらしい。皐月に高級な服は買い与えないだろう。 「それは分かるんだが、何故にメイド服?」 「仕事服はしっかりしたものを着たいから! それが職人魂」 ぐっと拳を握り締め、力強い眼差しで天井を見上げる。何のポーズか分からんけど、こいつの考えていることはおおむね分かった。いや、分からんけど。 「職人なのか――?」 俺の素朴な疑問に、皐月は自信を以て答える。 「うん」 「違うと思うぞ」 首を振って否定する俺。 これ以上の問答は無意味。そう判断して、俺は皐月の横を通り過ぎた。部屋のドアを開けて、ダイニングへと移動する。 だが、肩を掴まれ足を止めた。 肩越しに振り向くと、笑顔の皐月がいる。 「逃げちゃイヤ♪」 「真面目に訊くんだけど、俺が四万クレジット出せると本気で思ってるのか?」 俺は真顔で尋ねた。親の仕送りと時々のバイト代で生活しているしがない大学生。皐月のレポートなどもしているけど、それで仕送り金額が減らされている。お世辞にも金があるとは言えない身分だ。 「絶対出せるわけないよね」 こちらも真顔で言い切る。 俺は身体の前後を入れ替えて、皐月に向き直った。両手を伸ばして、親指を皐月の口に突っ込み、思い切り左右に引っ張る。外装は強化シリコン製らしいが、手触りは人間と変わらない。ついでに思いの外よく伸びていた。 俺は笑顔のまま、額に青筋浮かべながら、 「何でそんなこと分かっていながら、四万クレジットのメイド服買えなんて出来もしないことを言うのかなぁ、このポンコツメイドはァ」 「うー!」 唸りながら、俺の腕を掴む皐月。 元々力の差はあるので、あっさりと手を引き離される。 「いいじゃん。わたしだって女の子なんだからオシャレのひとつもしてみたいんだもん。そして、夢はでっかい方がいいッ! 無理と分かっていても一分の望みにかけて言ってみる。それがわたしのジャスティス!」 「………」 拳を振り上げ高々と言い切る皐月に、目眩を覚える俺。 壊れているわけではないだろう。多分。言っていることは無茶苦茶だが、一応何が言いたいのかは理解した。 「分かった。二千くらいまでの予算で何かアクセサリ買ってやるから……」 「ありがとうございます、ご主人様」 満面の笑顔で、礼を言ってくる皐月。 最初からこの辺りが目的だったのだろう。最初からバカ高いメイド服を買って貰えるとは思っていない。最初に無茶を吹っかけ相手に妥協させる交渉術の一種だろう。 だが、俺は何も言わぬまま朝食を食いに向かった。 |