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第13話 風邪引き


 布団にくるまったまま、時計を見る。
 午前十時過ぎ。普段なら大学へ行っている時間だが、俺はベッドに寝たままぼんやりと時計を眺めていた。さぼりではなく、単純に風邪だ。
「喉痛い……」
 呻いてみる。喉が腫れて、喋るのもきつい。熱もあるし、ちょっと頭痛もする。
 最近は気温も下がり、朝も肌寒くなってきた。それに空気も乾燥し始めているので、例年のごとく風邪が流行っている。俺もその流行り風邪にやられたクチだった。去年は大丈夫だったんだけどな……。
 部屋の隅で湿気を吐き出している加湿器。
「起きてるー?」
 部屋のドアが開いて、皐月が入ってくる。ノックはない。ノックはする時としない時がある。人間を模しているとはいえ、無意味なところまで人間臭い。
 買い物から戻った所らしく、外出用の紺色ワンピース姿だった。首元にはアンドロイドであることを示す赤いチョーカー。俺を観察ながら頷いている。
「うん、相変わらず死にそうだね。ただの風邪だから、そのまま死ぬことはないけど。頼まれてたアイス買ってきたよ。これでいいんでしょ?」
 ベッドの隣まで歩いてきてから、ビニール袋の中からカップアイスを取り出した。商品名は『真っ白大バニラ』――バニラ味ビックサイズ五十クレジット税込み。
 俺はのそのそとベッドから起き上がり、アイスを受け取った。熱のせいか背筋が寒い。ついでに、差し出されたスプーンを掴む。蓋を取ると、白いアイスクリーム。
 スプーンでアイスをすくいながら、俺は皐月を見つめた。口に入れたアイスの冷たさと甘さが、喉の痛みを和らげる。はらはらと目からこぼれる涙。
「皐月が天使に見える……」
「いや、泣きながらそんなこと言われても怖いんだけど……」
 普通に引いている皐月。気圧されたように一歩下がる。
 目の前でぼろぼろの男が、アイス食って泣きながら訳の分からないこと言っていたら、俺も普通に引くだろうけど。今の言葉に偽りはない。
 皐月は肩を竦めてから、
「病人放っておくわけにはいかないしね。それに、私の仕事はあんたの生活の手助けをすることだから、看病くらいはしてあげるよ」
「本当に感謝してます。はい」
 アイスを食いつつ、俺は頭を下げた。
 風邪引きながら部屋で一人苦しむ。それは何度か経験したことがあるが、ろくなものではない。誰か看病してくれる人がいるのは本当に嬉しかった。
「あ、それとこれ。薬」
 トッ。
 という軽い音を立てて、ベッド脇の台にコップが置かれる。
「………?」
 俺はアイスを食う手を止めて、その薬を見つめた。
 コップの中には緑色の液体が溜まっている。量は二百ミリリットルくらいだろう。見たままを言うならば、青汁。しかし、青汁のような生臭い匂いはない。
 しばらくコップを見つめてから、俺はアイスを口に含んだ。口に広がる冷たさと甘さでちょっと現実逃避。でも、三秒で現実帰還。
「何コレ?」
「風邪用の生薬だよ。マスターが送ってきたものを、わたしが調合したんだ。見た目は悪いけど、よく効くと思うよ。薬のことはよく知らないけど」
 腰に両手を当てて、自慢げに言ってくる。
 俺が風邪の症状を訴えたのは昨日の夜。皐月はその時にハカセに連絡したのだろう。それで、今日になって薬が送られてきた。
 俺はコップを手に取り、じっと薬を見つめる。
「飲めるのか、これ? いかにも不味そうだけど」
「さぁ。わたしは機械だから飲食できないし、味は分からないよ。でも、吐くほどのものじゃないと思うよ。お薬だから……美味しいとは思わないけど」
 正論っぽいけど、それって屁理屈じゃないか?
 まあ、ハカセの処方した薬なら大丈夫だろ。
 自分を無理矢理納得させ、俺はコップを口に付けた。口に広がる苦みに眉間にしわを寄せながら、中身を一気に飲み干していく。
「ぷはぁ、マズイ。もう一杯!」
 コップを置いて力強く一言。青汁ほど強烈なエグ味はなく、濃い目の抹茶という感じだった。抹茶ほど旨味はないが、薬なので仕方ない。
 皐月は困ったように目蓋を下ろして、
「もうないよ」
「ボケに普通の答えは勘弁……」
 口直しのアイスを口に入れながら、俺は言い返した。もっとも、どんな返事を期待していたのかは自分でもよく分からんし、薬をもう一杯差し出されても困ったけど。
 しかし、皐月はおもむろに人差し指を立てて、真面目な口調で一言。
「秘技・ボケ殺し」
「余計悪い」
 空になったカップを置いて、言い返す。
 アイスの冷たさと薬のおかげの相乗効果か、喉の痛みはある程度引いていた。しかし、まだ痛みが残っている。今回の風邪では特に喉をやられていた。
 皐月がポケットから薬包を取り出す。
「はい、トローチ」
「ありがと」
 差し出されたトローチを口に入れ、俺は礼を言った。
 甘苦い薬の味とともに、喉の痛みが和らいでいく。鼻に抜けるハッカのような匂い。トローチだけで喉が治るわけではないが、症状の緩和にはなった。
 もごもごと口を動かしつつ、俺は尋ねる。
「昼飯何だ?」
 皐月はぐっと親指を立て、満面の笑顔で答えた。
「激辛スパイシーチキンライスと、300gチーズハンバーグのタルタルソース和え」
「おかゆとか普通の病人食にしてくれ」
 ため息とともに、俺は言い返す。健康状態でも食えないような、胃に強烈な負荷を掛けるような料理名。本気で言っているとも思えないし、本気で出されても食べる気はしなかった。元々食欲もない。
「反応が小さくてつまらない……」
 窓を方を向いてから、力無く肩を落とす皐月。普段ならツッコミとともに、拳骨のひとつで飛ばしているだろうが、風邪引き状態でそんな元気なことはできない。
「元気になったら相手してやるから、昼飯頼むぞ」
 右手を振りながら、俺はそう言った。
 居心地悪そうに指で頬をかきながら、皐月は窓の外を見やった。晴れた青空と、微かに散らばる羽のような白い雲。季節の変わり目、秋の空。
「さっさと元気になりなさい」
 そう言い残して部屋を出て行った。


「ふぅ」
 俺は皿のお粥を食べ終わり、一息つく。量、味ともに普通の玉子だった。変な香辛料や変な味付けなどは施されていない。
「全部食べちゃったね」
 ベッドの近くに座った皐月が、瞬きして空の皿を見つめる。
 服装はメイド服に戻っていた。なぜか家に居る時はいつも、メイド服姿である。ハカセに命じられたとか、プログラムを掛けられているとか、そういう理由ではないらしい。本人曰く仕事着だそうである。いまいちよく分からないけど。
「随分と良くなったよ。あの薬ちゃんと効いてるんだな」
 昼前に皐月に呑まされた薬。あれが効いているのだろう。風邪の時は大抵夕方杉まで寝込んでいたが、今はもう大分良くなっている。加えて看病してくれる人が近くにいるという安心感もあるだろう。一人の時は、レトルトのお粥を寂しく食っていた。
「何……?」
 俺の視線に気づいて、皐月が首を傾げる。
「日常生活で誰かが一緒にいるって、素晴らしいことなんだな、と再確認しているところだ。いや、お前には感謝してるぞー、皐月」
「………」
 焦げ茶の眉根を寄せて、胡乱げな眼差しを向けてくる。単純な訝しさに、警戒心の混じった視線。未知の生物でも見つめるように。
 そのまま、真顔で言ってくる。
「あんた――熱で頭やられた?」
「いや、普通に感謝してるだけだけど……」
 俺は乾いた笑みとともに答えた。
 ……お前、俺のことを一体どんな人間だと思ってるんだよ。ヒトがせっかく真摯に感謝してるのに、その反応はないだろ、フツー。
 呆れを含んだ俺の眼差しに、しかし皐月は納得したように一人勝手に頷いて。
「うんうん。人間病気になると気が弱くなるんだよ。どんな傲慢な人間だってね。今はそんな真人間っぽいこと言ってるけど、きっと明日になって元気になればまた元の内弁慶な性格に戻ってるよね」
「……お前なぁ」
 さすがに呻く。
 だが、皐月は聞いている素振りもなく、おかゆの皿を掴んで立ち上がった。首を左右に動かすと、焦げ茶色の髪の毛が左右に揺れる。
「ま、午後まるまる寝てれば夕方には元気になってるでしょ?」
 そう言って部屋を出て行った。


「んあー」
 俺は背伸びをしながら、身体を起こした。
 元々南向きの部屋なので、窓から差し込む光は斜めの壁を照らしていた。その光も、夕刻の陰りを見せている。かなり長い時間寝ていたようである。
 枕元のデジタル時計を見ると、夕方の四時前だった。
 寝過ぎたせいだろうか。頭がぼんやりする。部屋を見回してみても、皐月はいない。
「夢オチ?」
「何寝ぼけたこと言ってるの?」
 ドアが開き、皐月が登場した。まるで狙い澄ましたような登場。
 俺は率直に思った事を口に出した。
「お前……部屋の外で登場の機会でも窺ってたのか?」
「ちょっと出掛けてただけだよ」
 言われてみると、外出用のワンピースを着ている。本当にどこかに出掛けていたらしい。行き先は訊くこともないだろう。こいつが出掛ける先と言えば、買い物かハカセの元くらい。分かっていることを訊く必要もない。
「それより、あんた風邪そろそろよくなってっるんじゃない?」
「……んー」
 皐月の問に、俺は喉をさすってみた。喉の痛みはなくなっている。鼻詰まりなどもない。熱も引いているし、頭痛もない。身体はちょっと重いが、起き抜けだからだろう。
 多分治っているようだけど、俺は首を傾げて見せた。
「どうだろう?」
「そこで、コレの出番です。マスターから貰ってきました」
 満面の笑顔で皐月がポケットに手を入れる。経験上分かる。この笑顔の時はろくな事を考えていない。そして俺の予想通り、ポケットから取り出したモノは。
「患部で止まってすぐ融ける! 狂気の――」
 メコッ。
 俺の踵蹴りが顔面にめりこんだ。右手に持った座薬が床に落ち、皐月がひっくり返る。機械を拳で殴ったら痛いけど、足で蹴ったらそんなに痛くない。最近気づきました。
 左足を突き出した姿勢から足を押して、ベッドに腰を下ろす。
「風邪は治った問題ない。俺は健康だ」
 床に手を突いて、皐月はくるりと器用に起き上がった。殴ったり蹴ったりしても、持ち前の自称高性能のおかげで何ともない。だからこそ、思い切りツッコミが可能だ。
「そうだね。良かったね……」
 皐月は残念そうに床に落ちた座薬を見つめている。
 俺は腕組みをして、きっぱりと言い切った。
「ああ。おかげさまでな」

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