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第10話 トラブル発生


 皐月は眉を動かしてから、改めて尋ねた。
「キツネ子……」
「う」
 もう一度頷くキツネ子。
「もしかして、マスターが作ったの?」
 皐月の問いに、キツネ子はスケッチブックのページをめくる。新しいページにサインペンを走らせ文章を書き込み、見せてきた。
『以前からマスターの身の回りの世話をするためのアンドロイドという計画がありまして、アナタが葦茂さんの所へ行った直後に、ワタシが起動しました』
「えっと、マスターの身の回りの世話ってわたしの仕事じゃないの?」
 自分を指差し、何となく訊いてみる。
 ヒサメに作られてから今年で十九年目になる。その間は主にヒサメの助手のような仕事を主に行っていた。食事を作ったり、家事を手伝ったり、実験の手伝いをしたり、プログラムを組まされたこともあった。
 キツネ子がスケッチブックに書き込んで、
『あなたはマスターの任務を遂行するのが主な仕事です。助手の仕事を行うには、明らかにオーバースペックですし。今までの助手のような仕事は、その調整および準備期間でした。ハルさんとの生活が、仕事の予行練習だそうです』
「妹に親を取られる姉って、きっとこういう気分なのねー」
「うー」
 皐月の呟きに、困ったように狐耳と尻尾を下ろすキツネ子。
 もっとも、自分が離れることは以前から予想はしていた。ヒサメは時々親離れという言葉を口にしている。娘はいずれ親離れをしないといけない。
 さておき、皐月は思ったことを口にした。
「それで、何であなた『う』としか喋れないの?」
『丁度良い発声機がない
 → しばらく無いままで
 → なくても困らないな
 → 発声機高いしこのままでもいいんじゃない?
 → 今に至る』
 スケブに描き込まれた切実な言葉。発声機の値段は五万クレジットから三百万クレジット。ヒサメの収入で買うのに苦はないが、買うのに躊躇する値段ではある。
 皐月はキツネ子の肩をぽんぽんと叩き、優しく声を掛けた。
「ご愁傷様です」
「うう……」
 落ち込むように頭を下げるキツネ子。
 キツネ子という名前も、かなり適当な思い付きだろう。ヒサメはそういう人間だった。しかし、敢えて口にしないのも姉としての優しさである。
 代わりに別の問いを口にした。
「あなたは何しに来たの?」
「うー」
 スケブを脇に抱えてから、紙袋を差し出してくる。白と水色のチェック模様の紙袋。材質は普通の紙で、文房具屋で五十クレジットで売っているようなものだった。
「何これ?」
 中身を取り出してみる。
 いつもの紺色メイド服とエプロン、カチューシャ。そして、白いブラジャーとショーツ、タイツだった。材質は普通の布である。着替えらしい。
 皐月はその服を眺めてから、訊いてみた。
「あのボディスーツはないの?」
 白いレオタードのようなボディスーツ。いつも着ていたのだが、紙袋には入っていない。代わりに入っている下着。無くても困ることはない、無い理由は気になる。洗濯中ということもないだろう。
 キツネ子がスケッチブックに文字を書き込み、それを前に差し出した。
『壊れてしまったので修理中です。予備がないので、普通の下着で我慢して下さい』
「やっぱり壊れたんだ」
 地震のダメージを思い出し、皐月はぼんやりと納得する。
 内部機構まで突き抜けていた衝撃の波紋。あれほどの豪打を受けていたのだ。防護服が無事という理由もないだろう。もしボディスーツを着ていなければ、致命傷になっていたかもしれない。
『とりあえず服着て下さい』
「おっけい」
 皐月はシーツを払い退けて寝台から降りる。足裏に感じる冷たい床の感触。
 寝台の上に広げられた服から、ショーツを掴み両手で伸ばしてみた。
「ふむふむ。これが女の子の下着か……」
 左右に引っ張りながら、眉毛を動かす。三角形のショーツ。純白の綿100%。
 下着を着るのは初めてのような気がする。少なくとも記憶の中で人間用の下着を着けたことはない。今までは専用のボディスーツを着せられていた。取り替えることはあったものの、壊れることはなかった。
「うー……」
 キツネ子がどこか呆れたような眼差しを向けてくる。
 こほんと咳払いをしてから、皐月はショーツに右足を通した。続けて左足を通す。やんわりと足を締め付けてくるゴムの感触。両手で縁を掴み、腰まで持ち上げようとして。
 脈絡なく――
 フッという微かな空気音。入り口のドアが開く。
 部屋に入ってきたのは、若い男だった。
 年齢二十歳くらいで、短く刈った黒髪と気のない顔立ち。水色の半袖カジュアルシャツとジーンズという恰好。一度見ても翌日には忘れていそうな、特徴の薄い外見。
「よう、修理終った――」
 ドガッ!
 放り投げた寝台が、ハルを直撃していた。
 片手を上げて挨拶した所で、顔面に寝台が激突する。四十キロほどの質量が、一撃で意識を刈り取っていた。一般人であるハルが耐えられる理由はない。
 派手な音を立てて転がる寝台。頑丈に作られているので、この程度で曲がったりはしない。そちらの心配はしなくてもいいだろう。
 一方、ハルは廊下に倒れ伏していた。床を染める赤い液体。
「うー!」
 キツネ子がスケッチブックを放り捨てて走り出す。ぱたぱたと揺れている尻尾、床に落ちて白紙のページを見せるスケッチブック。
「あー。これはマズいかも」
 皐月は他人事のように呟いた。ショーツを腰まで引き上げてから、床に落ちていたシーツを身体に巻き付ける。白いマントを羽織っているようにも見えなくない。
 小走りにそちらへと向かった。
「………生きてる?」
 声を掛けてみるが、返事はない。
 うつ伏せで動かないハル。廊下を赤黒く染める血。辺りに漂う鉄錆のような匂い。そして、ゆっくりと広がっていく血溜り。
 尻尾と狐耳を垂らして不安げに見つめているキツネ子。
「もしかして動脈切ったかな? 顔面に当たったのは見てるけど」
「う……」
 皐月とキツネ子はお互いに顔を見合わせた。
 数秒ほど視線で会話をしてから、
「うー、う……」
 キツネ子がハルをひっくり返す。
 白目を剥いて気絶したハル。鼻孔から勢いよく血を流していた。動脈を切っているわけではないので、失血によるショック死はないだろう。
 脳震盪起こしているのは確実で、出血量も普通ではないが。
「鼻骨折れてるみたい」
「う」
 曖昧に頷くキツネ子。
 皐月はぴっと右腕を上げ、研究所の奥を指差した。
「医務室!」


「……!」
 俺は勢いよく跳ね起きた。
 腰の上に落ちる布団。
 何度か荒い呼吸を繰り返してから、大きく安堵の息を吐く。全身にじっとりと寝汗が滲んでいた。両手を握って開き、無事を確認する。酷い夢を見ていたような気がするが、内容は思い出せない。風邪引きの時によくあるアレだ。
「ここはどこだ?」
 俺は周囲に視線を移した。
 頭に浮かんだのは学校の保健室である。
 清潔な白いベッドとよく洗濯された布団。辺りに漂う消毒液の匂い。どこか現実味の薄い白い壁やカーテン。薬の並んだ棚。書類の置かれた机。窓の外には夕刻前の空。場所は知っている。研究所の医務室だった。
 俺はパジャマ姿でベッドに寝かされている。首に巻かれた固定ギプス。
「うー」
 そして、茜色の制服を着た小柄な狐耳の女の子。
 世の中に狐耳の生えた人間はいないし、皐月と同じ機械か。ハカセが作ったんだろうけど、相変わらずノリで変なオプション付けてるな……狐耳に尻尾。尻尾なんかちゃんと左右に動いてるし、胸にキツネ子って書かれた名札付けてるし。
 似合ってるからヨシ!
 キツネ子はA4のスケッチブックを前に出した。文字が書かれている。
『お目覚めですか?』
「うん。それより、何で俺こんな所に寝てるの? 皐月の修理が出来たって聞いたから迎えに着たのに――研究所入った辺りから記憶ないんだけど」
 三日前にハカセからメールを貰った。皐月を修理するので預かるという内容。あんな人外の技食らったんだから当然だろうけど。んで、今朝方修理が終ったから迎えに来いというメールが届き、迎えに着たんだが……。
 気がつくとベッドの上。
 女の子はスケッチブックにサインペンを走らせていた。
『葦繁さんは事故に巻き込まれ、全治一週間ほどの傷を負い、気を失ってしまいました。駆けつけた皐月さんが急遽手術を行い事なきを得ましたが、しばらくは安静にしていて下さい。血で汚れた服は今洗濯しています』
 俺は額を押さえた。
 なるほど、そのせいでこんな姿か。首筋と鼻に鈍痛が残っているが、他に異常がある気配はない。素人判断じゃ分からないけど。そういえば、あいつは手術も出来るのか。一応高性能を謳ってるだけあるな。
「おっはー」
 明るい声ととも医務室のドアが開く。
 俺とキツネ子が視線を向ける。皐月だった。
 紺色のワンピースと白いエプロン、カチューシャ。修理されたらしいが、以前と変わった箇所は見られない。近くまで歩いてきて、ぱたぱたと気楽に右手を動かす。
「思ったりも元気そうね」
 そんなかけ声に、俺は力無く右手を挙げた。
「あんまり元気じゃないけどな。あ、俺の手当してくれたんだって? ありがとな」
「どういたしまして」
 笑顔で頷く皐月。見たままを言うなら、主の心配をする真面目なメイド。
 口調はそのままに俺は付け足した。
「俺に怪我させたのもお前なんだろうけど」
「………」
 笑顔のまま硬直する皐月。うん、図星か。予想通りだけど。
 俺はベッドから起き上がり、やはり口調は変えずに、
「ハカセには報告しておくから、廃棄処分されないように頑張れよ」
 皐月の返事はなかった。


 廃棄処分はされなかったが、行動制限を増やされたと嘆いていた。
 アンドロイド安全管理法違反だと思う。

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 キツネ子 Kitsune-Ko
 138cm 55kg(内蔵機械含む)
 書神ヒサメ制作のガイノイド。主に身の回りの世話をするために制作された。皐月がハルの元へ行った翌日に起動される。
 発声機を組み込まれていないため「うー」としか喋れず、主にスケッチブックを用いて会話をする。不便がないため、今後発声機が組み込まれる予定はない。
 容姿は完全なヒサメの趣味。皐月ほどの性能はないものの、一般のアンドロイドと比べれば十分に高性能。人間臭い皐月に比べてやや機械的。