Index Top 我が名は絶望―― |
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第3節 アースティア |
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周囲に広がる景色は、ほとんど変わっていない。幾重にも重なり、どこまでも続く、無数の木々。生い茂る葉に日を遮られた、薄暗い地面。 しかし、三人を包む空気は重いものへと変わっていた。 「気がついたら、病院のベッドの上だったわ」 目を伏せたまま、ミストが言う。 クロウの発掘隊が通った跡を辿りながら、ディスペアは表情ひとつ変えずに、ミストの話を聞いていた。フェレンゼも神妙な面持ちで話を聞いている。 「あたしが放った魔法で小火が起こって、近所の人が駆けつけてくれたのが幸運だったみたい。あたしは死ぬ寸前に見つけられて、村の病院に運び込まれた。医者の話だと、病院に来るのがあと十分遅れてたら命はなかったって――」 ミストは自嘲するような笑みを浮かべ、 「傷が塞がるまでに、約三ヶ月。まともに動けるようになったのは、つい最近よ……。後遺症がなかったのは奇跡ね。傷痕は残ってるけど」 言いながら、自分の背中を撫でた。服の上からでは分からないが、右肩から左腰まで伸びる傷痕が想像できる。その傷痕は一生消えないだろう。 ディスペアは眉を動かした。疑問が浮かぶ。 「しかし、お前は何で自分の家を襲った奴がクロウだと分かったんだ? 話を聞いた限り、お前は一度も相手の名前を聞いてないようだが」 「あたしが退院した時に噂を聞いたのよ。フルゲイトを探す発掘隊が結成されたって。それで、もしかしてって調べてみたら、発掘隊を結成したクロウ・ガンドがあたしの家を襲った奴だった……」 うつむいて、ミストが答えた。声が擦れている。クロウが自分の家を襲った奴だと分かった時を思い出したのだろう。 ディスペアとフェレンゼは黙ってそれを聞いていた。かける言葉はない。 「あたしはクロウへの復讐を誓った」 今までの声とは反対に、その声には深い憎悪が込められていた。それは生半可なものではない。指が手の平に食い込むほどに、右手が固く握り締められている。自分の一番大切な人を殺された憎しみというのは、決して薄れるものではない。 「そのために、あたしは全てを捨てた。家にあるものは全部売り払った。家のお金も全部持ち出した。通ってた学校も辞めた。村に戻らない決心もできてる――」 一度言葉を区切り、ミストは深く息を吸い込んだ。 「それからあたしは、噂を頼りにクロウの発掘隊を追いかけた。そうして、何とかカーントまでやって来た。だけど――」 そこで黙り込む。 その姿を眺めながら、ディスペアは腕を組んだ。後のことは見当がつく。 「そこで行き詰った、か……。自分だけの力では、この森に入った発掘隊に追いつくことはできない。仮に追いつけたとしても、自分の力だけでクロウの発掘隊と戦うことはできない。そこで、フルゲイトを横取りするって名目で俺を雇った――クロウへの復讐を手伝わせるために」 「そうよ」 むしろきっぱりと、ミストが頷く。それは開き直っているようにも見えた。睨みつけるようにディスペアを見やり、 「フルゲイトを横取りするっていっても、一度も発掘隊に会わずにフルゲイトまで行き着くことはできないでしょ。発掘隊に会えば必ず戦いになる。真正面からの総力戦でも小競り合いでも、戦うのはあなたとクロウの部下たち。あたしはそのどさくさに紛れてクロウを殺すつもりだった」 「随分と粗い計画だな――。だが、お前の計画通りにことが進んでも、逆にお前が殺されるのがおちだろう。どのみち、お前の実力ではクロウには勝てない」 ディスペアは告げた。明確で、冷徹な現実。 ミストは護身用の呪符魔法を操るが、所詮は素人だ。一流の魔道士であるクロウとは実力の差がありすぎる。反則じみた幸運でもない限り、ミストがクロウに勝つことはできない。互角に戦うこともままならないだろう。 その自覚があるのか、ミストは何も言ってこなかった。 「とはいえ、俺がこれから発掘隊と戦わなければならないのも事実――。ついてくるのはお前の勝手だ。まあ、お前だけで街道まで戻るのは無理だから、必然的についてくることになるだろうが……。あとはお前の好きにすればいい。ただし、戦いに乗じてクロウを殺せるとは思うなよ」 「……分かったわ」 ミストは小声で答える。 だが。 「しかし、分かりませんね」 声を発したのは、今まで黙って話を聞いていたフェレンゼだった。何か不自然なものを感じたのだろう。何かを思索するように視線を泳がせている。 「分からないって、何が?」 ミストが訊くと、フェレンゼは頭をかいて 「なぜ、フルゲイトに関する文献がミスト君の家にあったのか……。フルゲイトに関する文献というのは、極めて少ないのですよ。そこらの民家にぽんと置いてあるものではありません。それなのに、君の家にはあった」 そこで言葉を区切り、ミストに目を向けた。 「これは、明らかにおかしなことです」 「それは、あたしが一番分かってるわよ……」 低く唸るように、ミストが呻く。自分の家にあるはずのないものが、なぜか自分の家にあり、そのせいで自分の両親を失ってしまった。その理不尽さは、当事者であるミストが一番よく知っているだろう。 フェレンゼは銀縁眼鏡を指で動かし、 「ですが、何か心当たりはありませんか? 例えば、家に何かの言い伝えがあったとか、君の故郷に何か伝説があったとか――」 「心当たりないわ」 ミストはかぶりを振る。 それを眺めながら、ディスペアは眉を動かした。脈絡もない些細な閃き。だが、それは決定的なことかもしれない。直感が告げるままに、問いかける。 「なあ。まだ聞いていなかったが、お前の名字は何ていうんだ?」 「あたしの名字……?」 一度訝しげに呟いてから、ミストは答えた。 「アースティアよ。あたしは、ミスト・アースティア」 「サニシィ・アースティア……!」 それを聞いて、ディスペアは囁く。 「そういうことでしたか――」 フェレンゼも理解したらしい。 これで、大方の経緯は呑み込めた。なぜミストの家にフルゲイトの文献があったのか。なぜミストの両親が殺されたのか。なぜミストがここにいるのか……。 だが、ただ一人当事者であるミストだけが事態を把握できないようだった。ディスペアとフェレンゼと交互に睨みながら、声を荒げる。 「ちょっと、何二人だけで納得してるのよ! あたしにも分かるように説明しなさい!」 その台詞に、フェレンゼがミストに目を移した。その瞳には少なからぬ迷いが映っている。何と説明すればよいか考えているのだろう。 一呼吸置いて、フェレンゼは言い聞かせるように告げた。 「サニシィ・アースティアとは――六百年前に存在した、その時代最高の魔道士にして、フルゲイト研究の中心的人物です。おそらく、君は彼女の子孫なのでしょう。だから、君の家にフルゲイトの在り処を示す文献が眠っていた」 告げられて、ミストは言葉を失う。当然だろう。自分が知らなかった、突拍子もない事実を突きつけられたのだ。平静でいられるわけがない。 ディスペアとフェレンゼは足を止めてミストに向き直る。 十秒近い沈黙を挟んで、ミストは何とか声を絞り出した。 「どういうことよ……それ……?」 「言ったままですよ。君の先祖であるサニシィが、フルゲイトの研究の中心的人物だった。だから、君の家にフルゲイトの在り処を示す文献があった」 説得するように、フェレンゼは同じ言葉を繰り返す。 ミストは感情の複雑に入り混じった表情を見せた。それは泣き出すのをこらえているようにも見える。再び十秒近い沈黙を置いて、言ってきた。 「じゃあ……あたしの家族が殺されたのは、あたしの先祖のサニシィって人がフルゲイトの研究に関わってたからなの……?」 「そうだな」 口を動かしたのは、ディスペアだった。 その返答に、ミストが驚いたような視線を向けてくる。しかし、ディスペアは構わなかった。ミストに目を向けることもなく、言葉を連ねる。 「だが、サニシィはもうこの世にいない。六百年も前に死んでしまった。死んでしまった人間に文句を言うことはできないし、恨んでも意味がない」 「そう、だけど……」 ミストが気弱に肯定する。 だが、ディスペアは聞いていなかった。 怪訝な視線を向けてくるフェレンゼも無視し、真直ぐに前を見つめる。 |