Index Top タドリツキ ~提督はスライムにつき~ |
|
第2話 いかにして提督は人間を辞めたのか |
|
油の匂いが漂う工廠の一角。蛍光灯が古くなっているのか、若干薄暗い。窓から差し込む夜の色を完全に退けることはできていなかった。 「どうもー。提督、お待ちしていましたー」 軽い敬礼とともに、無駄に元気な声が出迎える。 若干よれた制服を身に纏った工作艦明石だった。今時分滅多に見かけない牛乳瓶ようなぐるぐる眼鏡、ピンク色の髪の毛も所々寝癖になっている。身嗜みにはあまり気を遣わない性分らしい。 明石の横には、白い布を掛けられた大きな何かが置かれていた。 「明石、また君は勝手に資材を使って……」 第五海上基地提督である三千路タドリは、呆れたように小さく吐息した。跳ね気味の髪の毛に、しっかりした体躯を提督制服で包んだ若い男である。 明石は腰に手を当て、胸を反らしてみせた。ふんす、と鼻息を吐き、 「男が細かい事を気にしちゃいけませんよ! ふふん。今回はいつもよりすっごいモノを作りました! 是非驚いて下さいね?」 言いながら、真横に置かれた物体の布を引き、取り去った。 高らかにその名を叫ぶ。 「全自動改修装置!」 現れたのは銀色の巨大な箱である。電子レンジを人一人入れる大きさにすれば、このような形になるかもしれない。扉は金属板なので、巨大な冷蔵庫にも見える。 タドリが視線で促すと、明石は得意げに解説を始めた。 「これこそが超天才工作艦明石の知恵と技術の結晶です! この装置はなんとォ――! 通常の半分の改修資材で、さらに改修六段階まで改修できちゃうんです。しかも自動ですよ、自動! お手軽、簡単、そして高性能! どうですか提督!」 「どうですかと聞かれても」 タドリは曖昧な返事を口にする。何をする装置を作ったのかは理解できる。しかし、その原理は全く想像が付かない。本来改修は自動で行えるものではないのだ。それをとりあえず何とかしてしまうこの明石も色々とおかしいのだが。 「では、実演してみましょう。この12.7cm連装砲を入れて」 どこからともなく取り出した駆逐艦用12.7cm連装砲を装置の中へと収める。 「スイッチオン!」 起動と書かれたスイッチを押す。 そうしておよそ十秒。 タドリは装置を指差し、尋ねた。腰に手を当てて得意げに胸を反らしている明石に。 「動いてなくないか?」 「あれぇ?」 眼鏡を動かし、明石が装置を見る。全体を眺めて頭を掻いてから、側面を開けた。回路テスターを取り出し、中身の制御盤を調べ始める。 「さっきは上手く行ったんですけど。うーん、おかしいですね? えっと、すぐ直せると思うんで、ちょっと待って下さいね。えっと、ここかな? あー。やっぱり古い基板使ったのがいけなかったんですかねー――」 「まったく……」 手持ち無沙汰となり、ツクモはちらりと時計を見る。夜の九時。 明石は脇目も振らずに故障箇所を探している。 「ん」 不意に焦げた臭いが鼻をくすぐった。 しゅぅぅぅ……。 装置の扉の隙間から白煙が立ち上がっている。 ガッ、ガガッ! さらに何かが軋むような音も聞こえてきた。装置内部で何かが起っている。しかし、明石は気付いていない。ひとつの事に集中したら、他に意識が向かないのだ。 「明石っ!」 「へっ」 顔を上げる明石。 その腹にタドリは足を差し込んだ。間髪容れず、足を振り抜く。跳ね返ってくる人一人分の重さ。偽装を付けていなかったのは、幸運な事だろう。 「きゃあっ!」 ガシャン! 悲鳴とともに宙を舞い、積まれた箱の後ろに落ちる明石。艦娘は頑丈なのでこの程度で大きなケガをすることはない。多少の擦り傷や打撲は許容範囲だろう。 焦げる臭いの増す装置を一瞥するタドリ。 「くそっ」 単独で消火は無理と判断し、装置に背を向け走り出した。 ドッ――。 背後から聞こえた音。 不意に身体から重さが消えた。視界が白く染まり、何も聞こえなくなる。身体がふわりと浮き上がるような、心地よく場違いな浮遊感。不思議と痛みは無い。 そして、タドリは意識を失った。 「んあ……」 もぞもぞと身体を捩り、タドリは目を開ける。 窓から差し込む夕刻の日差し。白色を基調とした机と家具の置かれた執務室。執務椅子に寄りかかったまま、うっかり眠ってしまったらしい。陽気と疲労のせいだろう。 そして静かに、しかし素早く手を伸ばし。 明石の手を掴んだ。 「あ」 目の前に佇む明石。寝癖気味に跳ねたピンクの髪の毛と、牛乳瓶の底のようなぐるぐる眼鏡はいつもの事だった。ただ、伸ばした右手に黒のサインペンを持っている。驚いたように動きを止めたまま。 「明石、君は『覚悟して来ているヒト』だよな?」 タドリは静かに話かける。 固まっている明石の手からサインペンを抜き取り、椅子から立ち上がった。そのまま腕を伸ばし、硬直している明石の頭を抱え込む。逃げられないように力を込めて。 明石の持っていた手提げ鞄が床に落ちた。 落ち着いた声音で続ける。 「人の額に『肉』と書こうとするって事は――逆に額に肉と書かれるかもしれないという危険を、常に『覚悟して来ているヒト』ってわけだよな?」 「へっ、あっ……いやあああああ!」 奪い取ったサインペンを、タドリは明石の額に走らせた。 アルコールを吹き付けた布で、明石は額を拭っている。 「酷いじゃないですか、女の子の額に肉なんて書くなんて。非人道的ですよ」 「自業自得だろう」 ジト目でタドリは告げた。机の向こう側にいる明石を。 額に描かれた肉の字はアルコールに溶けて消えていく。普通のサインペンのインクではないので、完全に消えるまでそう時間はかからない。 ほどなく明石の額は元の肌色に戻った。 布と小さなアルコールスプレーを手提げ鞄に片付ける明石。くいと眼鏡を動かし、 「なんだかうなされていましたけど、怖い夢でも見てたんですか?」 一拍おいて、タドリは答える。 「例の事故の夢だ」 「あー、ありましたねー! 懐かしいです!」 「気楽に言ってくれるな……。オレ、それで一度死んでるんだぞ」 脳天気に笑う明石を眺めながら、タドリは低い声で唸った。 かなり前の事である。余った部品やら機械やらを集め、明石が全自動改修装置を作り上げた。しかし、動かしてみたら不具合があり、大爆発。タドリが咄嗟に蹴り飛ばした明石は軽傷だったものの、そのせいで逃げ遅れたタドリは爆発の直撃を受けてしまった。 ぱんと手を叩いて興奮したように頬を染め、明石が頷く。 「あれは私もびっくりしましたよ。提督の背中と頭にでっかい破片が突き刺さってて、バケツひっくり返したみたいに血が流れてましたし。どばどば、と。私がいなかったら本当に死んでましたね。感謝してください」 「その部分だけは感謝しよう。生きている事は素晴らしい。人生万歳」 やる気無く呻きつつ、タドリは右手を挙げた。手の平を握って開く。その動きに違和感はなく、外見上はごく普通の人間の手のように見える。 明石が机に身を乗り出し、手を伸ばした。タドリの手の平に人差し指を触れさせ、 「不思議ですよね、これ――」 つぷり、と。 明石の指が手の平を貫通する。手の甲から突き出す指先。痛みはない。ただ身体を貫かれている感覚だけがあった。 「どういう構造になってるんですか? 前々から気になってるんで、ちょっとこの機会に精密解剖してみたいんですけど。いいですか? 痛くはしませんから」 手の平をかき混ぜるようにくるくると指を動かす。その動きにあわせて、水面のように手の皮膚が波打っていた。表面の色も溶けたような青色に変わっている。 「却下だ」 タドリが手を引くと、明石の指が抜けた。指先と手の平の間に、青い液体が糸を引いている。粘りけのある青色の半液体。そこはかとなく卑猥だ。 明石は指を振って青い液体を落とし、得意げに頷いた。 「スライム提督というのは個性的だと思いますけど、もう少しインパクトが欲しいですよね。ただのスライムでは、この個性の弱肉強食時代を生き抜くには力不足です!」 ぐっと拳を握り締め、力説する。 机に落ちている青い滴を手で撫で取り、タドリはちらと視線を上げた。この業界、何故か奇人変人が多い。横須賀の座敷童、呉の魔女、大湊の自称猫など――濃ゆい者は枚挙にいとまがない。スライム提督というだけでは、インパクトは薄いだろう。 「というわけで! 提督を改造してみたいと思いますので、許可を下さい」 「却下だ……」 「ケチー」 明石は露骨に肩を落として口を尖らせる。 小さく首を振ってから、タドリはしみじみと自分の手を見つめた。普段は人型に擬態しているが、その実その身体は青色の液体の塊である。本部の研究者曰く、人間の意識が宿った高速修復材の塊、らしい。 吐息してから、明石を見る。 「ただの人間に高速修復材かけるってのも、かなり無茶な事だぞ」 「提督が死んじゃうかと思って……」 視線を逸らし、明石が気の抜けた笑みを見せる。 「無事生き返ったのは、まぁ幸運なことだろう」 瀕死のタドリを目の当たりにした明石は、パニックになって近くにあった高速修復材をぶちまけたらしい。本来人間には効かない高速修復材。だが、おかしな反応を起こしたらしくタドリの身体が溶解し始め、さらに恐慌状態となった明石は資源材やら開発資材やら改修資材をぶち込んだという。 「結果オーライという事ですね。思い出したついでに、何かお礼の粗品を貰えると嬉しいです。珍しい資材とか装備とか、美味しいものでも可ですよ?」 キラキラしながら両手を差し出してくる明石に、タドリは苦笑いを見せる。 「お前が元通りに働けるように手を尽くしたんだ。それで十分だろ」 「むぅ。そこを突かれると、痛いですね」 手を引っ込める明石。緩く腕を組み、右手で額を押さえる。 資材横領から事故を起こし、さらに基地の提督を殺しかけたのだ。通常ならそのまま解体処分となるだろう。しかし、タドリが明石の工作艦としての実力を理由に上層部を説得したことで、解体処分は辛うじて取り消されることとなった。 「この天才的頭脳と技術が、司法の闇に飲まれて消えるのは、まさに世界の損失……提督は世界の至宝をひとつ救ったんです。大いに胸を張って誇って下さい!」 「頭は緩いけど、文句無しに仕事は出来るからな……。頭は緩いけど」 両目を閉じ、タドリは呟いた。明石には聞こえないような声音で。 話題を変える。 「それで、何の用だ? 世間話に来たわけではないだろう?」 「おっと、そうでした。ちょっと改修資材を注文したいんで、ハンコ下さい」 タドリの問いに、明石は折り畳んだ書類を机に置く。注文書だった。 タドリは注文書を眺め、書かれた文字を眺め、改めて読み、さらにもう一回読む。 『改修資材 3000』 「桁ふたつ間違えてないか……?」 鎮守府含む一部の大規模基地では数百の改修資材を保有しているが、中規模基地では保有数が百を超えることはない。小規模基地では全く保有していない所もある。 しかし明石は大きく胸を張り、断言した。 「あってます。問題ありません」 「何に使うんだよ。こんな大量に」 「そんな事、女の子に訊くんですか!」 両手で胸元を抑え、半身を引き、顔を赤くして叫んでくる。 タドリは身を乗り出し、明石に人差し指を突きつけた。 「無理に決まってるだろ! うちにそんな無駄遣いするような予算は無い!」 明石はすっと切腹のような仕草をして、にっこりと笑う。 「では、提督の自腹でお願いします」 「オレの貯金が全部借金になるわ!」 「……」 不意に表情を消して、半歩退く明石。両手を持ち上げ、指を折って手早く計算してから、頷いた。真顔で見つめてくる。 「……提督って意外とお金持ちですね」 こほんと咳払いをして、タドリは椅子へと腰を落とした。 「注文は却下だ。改修資材はまだ十分在庫があるし、大規模な改修をする予定も無い。そもそも横領前提の購入なんて認められるわけがないだろう」 「ケチー」 口を尖らせる明石。 机を回り込み、タドリの前までやってきた。両手を頭の後ろで組み、身体を捻って背筋を逸らし、胸を強調するポーズを取る。それなりに大きい。 「もし買ってくれるなら、この明石、ちょーっとサービスしちゃいますよ?」 「駄目なものは駄目」 「提督のへたれー。玉無しー、朴念仁ー。空気読めー。そこは男を見せろー。もう遠慮しなくていいんですよ? 勢いよく押し倒しちゃっても? うりうり。押し倒したら注文書にハンコくださいね?」 と、スカートを少し持ち上げてみせる。 細く引き締まった太股。きれいな肌。スカートのスリットからは、ピンク色のショーツが覗いている。艦娘は何故こんな際どい格好をしているのか、時々思う事があった。そのような形で顕現したのだから仕方ない。 挑発するようにスカートを揺らす明石に、タドリは犬歯を剥いて笑って見せた。 「よし。そのケンカ買った」 「はい?」 ぱっ。 と、明石の足を払う。 「あっ」 小さな声を上げ、あっさり床に尻餅を着く明石。変な姿勢の所に、不意打ちを受ければこんなものである。お尻を撫でながら、タドリを見上げ、 「うー、何するん……で……。えっ!?」 大量の青い液体が、明石に降り注いだ。 |
19/6/15 |