Index Top 第1話 雨の降る日に |
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前編 窓の外にいた女の子 |
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窓の外では雨が降っている。 「雨だな」 多田原慶吾はアパートから窓の外を眺めていた。 今年で二十五歳になる、しがない会社員である。身長や体格は普通で、どこにでもいる男だろう。特筆するような特徴もなく、目立った傷跡などもない、普通の人間。 灰色の空と、降りしきる雨。気温はさほど高く無いが、湿度は高い。雨の日は外に出掛けるのも大変で、部屋にいてもあまりやることもない。 「今日はどうやって時間を潰そう?」 そんな事を考える。ようするに、退屈だった。 「うーむ………」 声は唐突に聞こえてきた。 数秒考えて、窓に目を向ける。 声は窓の外から聞こえてきたようだった。野良猫の呻きが人の声のように聞こえたのだろう。まさか外に誰かが倒れていることはありえない。 そう判断して、慶吾は窓を開けた。 「え?」 思わず動きを止める。 ベランダに置かれた、靴脱ぎ台。そこに少女が一人腰掛けていた。ドアを開けた慶吾の気配に気付き、振り向いていくる。日本人形を思わせる、小さな女の子。比喩ではなく、本当に身長が五十センチくらいしかない。 「お前、アタシが見えるのか……? 珍しい人間だ」 驚きに眉を持ち上げ、声をかけてくる。 見た目は十代半ばくらい。長い植物の葉を思わせる長い黒髪が、身体にくっついていた。落ち着いた光を映す瞳。紺色の縁取りのなされた白衣に、紺色の袴という出立である。色合いは違うものの、巫女服を思わせるような衣装だった。足は裸足に下駄を履いている。 ずぶ濡れというほどではないが、かなり濡れていた。 女の子が、珍しいもの見るように、慶吾を眺めていた。 「ええと、あんたは何者だ……?」 我に返り、慶吾は単刀直入な問いを口にする。窓を開けたら、三分の一サイズの女の子が雨宿りをしていた。これは明晰夢の一種だろうか? そんな考えまで思考に浮かぶ。 「アタシの名前は沙雨だ」 「ささめ……」 軽く顎を持ち上げ、名前を繰り返す。 状況が呑み込めない慶吾を置いて、沙雨は自己紹介を続けた。 「分類としては――雨神の一種だろうか? 見ての通りの小さな神様だ。あちこち旅をしている。近くを歩いていたら、雨が降り出したから雨宿りしていた」 と、右手を真上に持ち上げる。 二階のベランダがあるため、そこはさほど濡れていない。奥行きがあるわけではないので、雨粒は吹き込んでくるし、微妙に寒い。 少し考えてから、慶吾は自分の部屋を指差した。 「よかったら、部屋で待たないか?」 「そうさせて貰う」 小さく笑い、沙雨が下駄を脱ぐ。 六畳二間のアパート。酷いというほどではないが、やや散らかっている。男の一人暮らしなので、こんなものだろう。一人暮らしを始めると途端散らかってしまうこともあるようだが、慶吾の部屋は一応きれいな部類にはいるだろう。 鴨居に渡された棒に物干しが下げられ、服やタオルが干してある。 珍しげに部屋を眺めてから、沙雨は自分の身体を見下ろした。 「すまぬが、タオルか何か、貸してくれないか?」 ずぶ濡れというほどではないが、上着や髪の毛が濡れている。今まではさほど気にしていなかったようだが、さすがに濡れたままは、居心地が悪いだろう。 「これで大丈夫かな? バスタオルも持ってきたけど」 慶吾は風呂場から持ってきたタオルを沙雨に渡した。細長いフェイスタオルが二枚に、大きめバスタオルが一枚。これだけあれば十分だろう。 「感謝する」 頭を下げてから、沙雨はタオルを受け取る。 それから、フェイスタオルの一枚で濡れた髪の毛を拭き始めた。身体が小さいせいか、普通サイズでもバスタオルを使っているように見える。やや乱雑に両手を動かし、髪の毛から水気を拭き取っていった。 髪を拭き終わり、ボサボサに逆立った黒髪。 もう一枚のタオルを手に取ってから、ふと見上げてくる。 「濡れた服を脱ぐから、あっち向いててくれ」 「了解」 素直に頷き、慶吾は沙雨に背を向けた。 すぐに服を脱ぐ布擦れの音が聞こえてくる。あまり聞き耳を立てるものではないが、自然と意識が向かってしまう。慶吾がいることに躊躇はせず、手早く脱いだようだった。 背後から、沙雨が声を上げた。 「お主、名前は何だったか」 「慶吾だ」 背を向けたまま、答える。 「ふむ、いい名前だ。さて慶吾ちょっとこっち向いてくれ」 振り向くと、沙雨がバスタオルを身体に巻き付けていた。さながらマントのように。もしくはてるてる坊主のように。身長五十センチほどの沙雨だと、何もせずとも裾が床に付いてしまう。 横には脱いだ上衣と袴が落ちていた。 バスタオルの隙間から手を出し、沙雨は脱いだ服を示した。 「少々手間をかけさせてすまないのだが、これを物干しにかけてくれないか? アタシの背丈じゃ、さすがに手が届かない。いや、身軽さには自信がある。自分でできないわけではないが……多分、物干しが落ちる」 「はいはい」 苦笑してから、慶吾は脱いだ服を拾い上げた。 袖口や襟、裾を紺色の布で縁取りのしてある白衣。縁取り部分は頑丈な布で、白衣の補強の意味があるのだろう。袴はスカートのような行灯袴だった。 「案外普通なんだな。人形の服みたいなの想像してたけど、作りはちゃんとしてるし。普通の服よりも布のきめは細かいかな? あと、結構使い込まれてる」 思わず観察してしまう。 ふと目を移すと、沙雨が呆れたように眉を下ろしていた。 「女の着物をじろじろ眺めるものではない……」 「こりゃ失礼――」 軽く右手で額を叩き誤魔化す。 慶吾は白衣と婚袴を物干しの開いている所に留めた。 とりあえず一段落付いただろう。 慶吾はベッドに腰を下ろし、窓辺に立つ沙雨に目を向けた。 「改めて訊くけど、君は何者だ? 雨神とか言ってたけど。神様って」 正直なところ、自分の身に何が起こっているのか分からない。いきなり神様と名乗る小さな少女が現れた。常識的に考えてそんな事が起こるはずがない。自分は気が触れてしまったか、やたらと現実味のある夢を見ているか。 バスタオルが揺れる。腕組みをしたらしい。 「神といっても、大物から小物まで人間以上に幅があるあらな。アタシは神社にいるような立派な連中とは違う。まぁ、上司は凄い神だが、アタシは見ての通りちんちくりんだ。大した神格も持ってない。拝んでも何も出ないぞ?」 濡れた髪を手で後ろに払い、得意げに笑ってみせた。妙に気取った仕草である。もしかしたら拝まれたことがあるのかもしれない。 何と返していいのか分からないので、次の質問をしてみる。 「旅とか言ってたけど、どこか行く予定だった」 沙雨はバスタオルから右手を出し、指を動かした。印だろうか。 ぽっ、と音を立てて、右手に小さな本が現れる。どうやら術の類らしい。小さいといっても実際の大きさは手帳ほどで、沙雨にとっては十分に大きいだろう。 表紙には"記録帳-056"の文字が記されていた。 「アタシの仕事は日本中を巡って、空の気の流れを記録することだ。環境調査――というのが、一番近いか……? 閑職なんて言う奴もいるが、アタシはそのために作られた神なのだから文句は言えん」 本を消し、ため息をつく。 その姿を想像し、慶吾は首を捻った。 「日本中を巡るって大仕事だな」 狭い日本という割には、やたらと長くて広い日本列島。山、川、海の障害物も多数。その日本を旅して空の気の流れを記録する。さすがに一人でやっているわけではないだろうが、小さな身体の沙雨にとっては大仕事だろう。 「公共機関にタダ乗りすればさほど疲れはしない」 慶吾の心配を余所に、沙雨はこともなげに言った。 「いいのか……」 肩をコケさせ、思わず訊く。 沙雨は軽く鼻息を吹いた。 「もう少し大きな神ならともかく、アタシは犬や猫のペット類と同じくらいの扱いだ。無賃乗車しようと、罰則は受けないはず。もし罰を受けるような事になったら、上司が何とかするから問題無い」 軽く胸を反らし、自慢げに断言する。 言うべき言葉が思いつかず、慶吾は額を押えた。色々とツッコミ所があって、どこから指摘すればいいのかもわからない。どうやら沙雨の上司は偉い神様らしい。そして、案外気楽に自分の仕事をこなしているようだった。 「そもそも、普通の人間にアタシは見えん。お主は偶然波長があったのだろうな」 慶吾に目を向け、沙雨は気楽に続けた。 |
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