Index Top 第4話 ルクの調整

前編 濾過装置


 使わない原稿用紙の裏側に書き込まれた粗っぽい設計図。
「こんなものかな?」
 設計図通りに組み上げられた木枠を眺め、サジムは頭をかいた。赤い髪の毛を指で梳いてから、首を傾げる。おおむね設計通りに出来ただろう。
 寸胴鍋の上に底を抜いた桶が木枠で固定され、中に濾し布を留めた道具。いわゆる濾し機だった。ワインなどを作る時に使うものを、素人拵えに再現したような構造。横には踏み台が置かれていた。
「ご主人サマ……どうでしょうカ?」
 目を移すと、ルクが濾し機を眺めていた。
 身長は百六十センチくらいの少女である。全身が透明な青い液体でできていて、手や足はうっすらと向こう側が透けて見える。背中の中程まで伸びた青緑色の髪と、女性特有の凹凸のある身体。何を考えているのか読みにくい瞳は緑色だった。今は白いワンピースを着て、木のサンダルを穿いている。
 恩師から貰った半液体魔術生命体のお手伝い少女。
 カイムは濾し機を軽く叩きながら、
「言われた通り作ってみたよ。そんな複雑なものじゃないから、苦労はしなかったけど。でも、これで大丈夫かな?」
 と、視線を泳がせる。
 街外れの見張り台。元々は兵士の詰め所だったが、今は使われなくなり、色々あってサジムが居着いている。そして、ここは風呂場だった。元々大人数で入る風呂であるため、一人で使うにはさすがい広い。
 ルクの横には脱衣所から持ってきたカゴが置かれている。
「ンー」
 ルクがぺたぺたと濾し機を触っている。大きさや布の荒さを確かめているようだった。真剣に観察しているようだが、表情に目立った変化は見られない。
 この濾し器を作って欲しいと言ったのはルクである。大体の形状を聞き、サジムが材料を買ってきて組み立てたのだ。
 風呂場の窓から見える日の光。今日は雨期には珍しく晴れていた。風呂場は北東向きのため、直射日光は入ってこない。背の低い雑草と灌木、雲の多い空が見える。
「大丈夫デス。これで問題ありまセン」
 濾し器を撫でながら、ルクが振り向いてきた。問題部分は無かったようである。
「本当に、こんなんで何とかなるのか? 濾すって……」
 眉間にしわを寄せつつ、サジムはルクを見やった。
 右手を持ち上げるルク。青いゼリーを手の形に固めたような右手である。手触りもゼリーのようで、半透明で向こう側が透けていた。元々は治療用の魔術薬という話である。
 一度瞬きをしてから、緑色の瞳で自分の手を見つめた。
「なにぶん、こんな身体ですカラ、人間と同じ食生活をしているト、不純物が溜まってしまうんですよネ。最近、ちょっト手足が重くなっているノデ」
「全身を濾す、と」
 サジムはそう続ける。
「はい」
 頷くルク。
 最近身体の調子がよくないと言ったのは、三日前だった。身体が濁っているとの事。どうすればいいかを訊いたら、濾し器が欲しいと答えたので、その通りに材料を集め、濾し器を作って今に至る。
「色々腑に落ちないんだけどな」
 額を押え、サジムは呻いた。
 スライム状の身体なので、普通の生き物とは違うのは分かる。かといって、ここまでお手軽に身体の掃除ができるというのは納得がいかない。
「あまり難しく考えないで下さイ。そういうモノですかラ」
 淡泊に言ってから、ルクはワンピースの裾に手を掛けた。
 サジムに見られていることを気にする様子もなく服を脱ぐ。それを手早くたたみ、横のカゴに入れた。両足を通しているサンダルも脱ぐ。
「こうしてみても色気は無いな……」
 声に出さずに、サジムは苦笑する。
 半透明の青い身体で、胸に赤い核が浮かんでいた。胸の膨らみや、腰のくびれ、腰回りなどは人間の女性と変わらない。他人に見られる事を気にしていないためか、マネキンのような粗っぽさである。
 一方で、魔術の補助を用いれば、色彩も含めて人間と変わらぬ姿を取る事も可能だ。服なども身体を変形させて、本物のような見た目を作る事ができる。人前に出る時はサジムの遠縁の親戚として振る舞っていた。
「ご主人サマ、ひとつお願いがありまス」
 ルクが右手を持ち上げる。
「何だ?」
「これ、預かってて下さイ」
 言うなり、右手を自分の胸に差し込んだ。文字通り、自分の手を自分の胸の奥へと差し込む。半透明の青い皮膚をすり抜け、右手が胸の奥に浮かぶ赤い球体を掴んだ。
「え?」
 サジムは眼を点にする。
 固まるサジムを余所に、ルクは何事も無かったかのように右手を引き抜いた。
 その手に赤い球体が握られている。野球ボールくらいの大きさの、ルクの核である。自身の最も重要な部位を、あっさりと体外に取り出していた。
「お願いしまス」
「え……と」
 差し出された核を、思わず両手で受け取る。
 思考が追い付かない。
 両手の平に乗せられた、赤い球体。手触りと見た目は堅めのゼリーである。赤い部分は不透明で、奥がどうなっているのかは分からない。表面には厚さ五ミリほどの透明な膜が作られていた。重さは見た目通りだろう。
 ルクを見つめ、サジムは一言尋ねる。
「いいのか?」
「はイ」
 首を縦に動かしてから、ルクは右手を持ち上げ、自分の身体を指差す。青い半液体でできた胸の奥。元々核が浮かんでいた場所を。
「こっちの身体よりハ、かなり頑丈にできていますノデ、落っことしたりしても大丈夫ですヨ。多分、包丁トカでも傷付けるのは難しいデスし。でも、三十メートル以上離れると、魔力の共振が消えてしまうのデ、濾し終わるまで近くにいて下さイ」
 説明された内容を頭の中で繰り返し、サジムは要点を咀嚼した。
 それなりに頑丈である。離れるとルクは動けなくなる。
 身体から取り出しても直接的には影響が無いようだった。
「濾せないのか?」
「そうですネ。そこは複雑な部分ですカラ」
 手を顎に当て、ルクは視線を持ち上げる。
 身体全体を制御する中枢核。生物でいう脳にあたる部分。容易には破損したり壊れたりしないように保護されているらしい。作り主であるフリアルの性格を考えるに、頑丈さは相当なものだろう。逆を言えば他の部分のように融通が利かない。
「それで、僕に預ける、と」
 サジムは核を右手に乗せ、左手の指でつつく。うにうにとした弾力があり、思いの外柔らかい。ルクの身体の弾力を強くしたような感じだった。
「ん……!」
 ルクの声に動きを止める。
 両手で身体を抱きしめながら、ルクが目を閉じている。
 一拍置いてから眼を開け、サジムに視線を向けてきた。感情の映らない緑色の瞳。それでも、少し怒っているようだと分かる。
「敏感な部分でスから、あんまり弄り回さないで下さイ」
「ああ、ごめん……」
 素直にサジムは謝った。
「それでハ、お願いしまス」
 軽く一礼してから、ルクは踏み台に両足を乗せ、濾し器に身を乗り出す。人型だった上半身が崩れ、青いゲル状の液体になって濾し器の桶に流れ込んでいった。腰や足も崩れながら、上半身に引っ張られるように桶へと収まった。
 しばらく見ていると、濾し布から濾過された青い液体が落ちてくる。
 サジムの手の中にある、ルクの核。
「やることないかも」
 浴槽の縁に腰を下ろし、サジムは窓の外を眺めた。

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11/6/21