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中編 酔っぱらって


「ご主人サマ、大丈夫ですカ?」
 ルクはサジムを見つめながらそう尋ねた。
 ルクが作った料理を全て食べ、カラサから貰った酒を全部飲み干し、さらに台所に置いてあった酒瓶二つを空にして、椅子に背中を預けている。静かに息を吐き出してから、身体を起こし、コップに入った水を飲一口飲んだ。
 不思議そうに見つめてくる。
「ん? 美味しかったよ。ちょっと食べ過ぎたけど」
「そうですカ。それはよかったデス」
 頷きながら、ルクはそう答えた。
 起こったことは事実として受け入れるべきだと思う。サジムはカラサから渡された強い酒と、家に置いてあった普通の酒の合計三本を全部飲んでて、普通にしていた。
 アルコールに対する人間の生理現象は詳しく知らないので何とも言えないが、サジムの反応は不自然なものと言えるだろう。おそらく。
 そう判断を下し、ルクはサジムの傍らに移動した。
「でも、こんなにお酒飲んデ大丈夫なんですカ? 普通こんなに一気に三本も飲んだラ酔い潰れてしまうと思いますヨ」
 空の酒瓶三本を手で示す。
 サジムは何かを考えるように一度眉を寄せてから、身体の酒瓶を掴み上げた。微かに中身が残っている情熱の白。底には色素の抜けて白っぽくなった香草が沈んでいる。
「自慢じゃないけど、ぼくは酒には強いんだよ。血筋の関係でね。ザルとか言われるくらいに。カラサさんのことだからぼくを酔い潰そうとしてこんな強い酒渡したんだろうけど」
 ラベルを眺めながら、そう笑ってみせる。
 頬がほんのり赤くなっているが、それ以外に変わったところない。強いて言うならば、饒舌になっていることくらいか。
「情熱の白。アルコール度数が高い割に飲みやすい酒。元々山岳救助で凍えた人に飲ませる酒だから、そう作ってある。これは一般向けに造ってあるけど。こっちの地方じゃ酒飲み自慢に飲ませて酔い潰すなんてイタズラにも使われるようだね」
 サジムが酒に強いというのは事実だろう。空になった酒瓶とほとんど酔いつぶれた様子のないのを見ればすぐに分かる。
 カラサの計画は失敗したようだった。
「そうなんですカ。カラサさんも変なことしますネ」
 もっとも、ルクにとっては失敗したことはそれほど気に留めることでもない。元々乗り気ではなかったし、何となく進めていたことである。しかし、カラサに言われたことを口にするつもりはない。
 サジムは酒瓶を置いて、椅子から立ち上がった。
「いつだったか……奢りで飲みまくって平然としてたのが気に入らなかったのかもしれない。あの時は悔しそうな顔してたし。ふふ」
 その時の顔を思い出したのだろう。口元を左手で押さえて笑いを堪えている。身体の動きに赤い髪が小さく跳ねていた。
 カラサの残念がる顔を想像しながら、ルクは口を動かした。
「そうですカ。それでは、片付けはワタシがしておきますのデ、ご主人サマはお部屋で休んでいて下さイ。食後に無理をするのは身体に悪いデスから」
「そうだな。そうさせてもらう」
 口元から手を放し、サジムは額を押さえて首を左右に振る。酒は別としても、普段の食事の数倍の量を胃に収めたのだ。しばらくは大人しくしていた方がいいだろう。
 ルクの頭を右手で撫でてから、
「ありがと。美味しかったよ」
「どういたしましテ」
 頭を下げるルク。
「それじゃ、休んでるから後はよろしく」
 手を振りながら台所のドアへと向かうサジムに、手を振り返す。向かう先は自分の部屋だろう。食後は部屋で寝ていることが多い。
「はい。ごゆっくりどうゾ」
 台所の入り口に向かって歩いていくサジムを眺めながら、さきほど撫でられた頭に手を触れる。ほんのりと手の温もりが残っていた。
 パタリ、とドアが閉る。
 それを確認してから、ルクは皿に目を移した。
「片付けを始めマしょウ」


「これで、おしまいデス」
 ルクは拭いた皿をカゴに入れた。
 皿を洗剤で洗って水気を拭き取り、水切り皿に入れておく。しばらく放っておけば乾くのだが、雨期の今は湿気が多いので乾くのは遅かった。遅いといっても、明日の朝には乾いているだろうが。
 時計を見ると、午後九時前である。
「結局、ご主人サマ酔っぱらいませんでしたネ」
 テーブルの上に並んだ酒瓶を眺め、ルクはため息をつくような仕草をした。肺はないので息はしないが、自然とそのような仕草をしてしまう。
 さきほどサジムが水を飲みにやってきた。部屋で酔い潰れていることも期待していたのだが、そういうこともなく至って普通である。頬は赤く酔っていることは見て取れたが、それだけ。ほろ酔いにか見えなかった。
 現状は現状として受け止めるのが、ルクの考え方だった。
「ところで、これはどうしましょウ」
 空っぽの酒瓶を見つめる。どうしようかと困っていたので、テーブルに起きっぱなしだった。多分、空き瓶としてゴミに出すのが正しいと思う。
 ルクは三歩足を進めてテーブルに近づいた。
 酒瓶のひとつを持ち上げてみる。
「お酒……。ワタシってお酒飲んだことないですネ」
 カラサから渡された情熱の白の空瓶。
 中には白っぽくなった薬草と、ほんの少しの酒が溜まっている。見た限りでは透明な液体だった。酒には色々な色があるらしい。木蓮亭には青い酒も置いてあった。
 瓶の口を鼻に近づけて匂いを嗅いでみる。
「んー?」
 微かな刺激を帯びた甘い香り。
 その気になれば皮膚などでも匂いを感知することはできるが、ルクはできるだけ人間のように振る舞うように心がけていた。
 きょろきょろと左右を見回して、誰もいないことを確認する。
「ちょっトくらいなら、いいですヨね?」
 自分に言い聞かせるように独りごちてから、ルクは酒瓶に口を付けた。頭を動かし、瓶を逆さまにする。透明な瓶の中で底から、入り口側へと香草が滑り落ちた。中に溜まっていた酒が、ルクの口の中へと入ってくる。
「ん?」
 微かな刺激が味覚を刺激した。今までに味わったこともないものである。甘さを含んだ不思議な熱さ。それが舌から喉を通り、身体の奥へと染み込んでいく。
 ルクは酒瓶をテーブルに置いた。
「おかしな味でしタ」
 誰へとなく感想を述べてから、ルクは酒瓶三本を掴む。口の中には痺れるような感覚が残っていた。決して不快ではない刺激に、笑みを浮かべる。
 酒瓶を洗うために流しに近づこうとして。
 ぐにゃ。
 そんな手応えがあった。
「あゥ?」
 視線を下ろすと、踏み出した右足が歪んでいる。太股辺りの内部骨格が溶けていた。すぐに倒れることはないが、これではまともに歩けないだろう。
 骨格を強引に修復してから、ルクは天井を見上げる。
 灯り石の白い光が照らす、無骨な天井。それがそこはかとなく霞んで見えた。自覚できるほどの速さで思考が鈍っていく。それと同時に、気分が高揚してきた。楽しいという感情とは違うが、今なら何でもできる。そんな感情。
「ワタシ、酔っぱらってますネェ?」
 崩れかけた自分の手を見ながら、ルクは確認するようにそう囁いた。


 サジムはベッドに寝転がったまま、本のページを捲る。
 先日買って来た大人向けの小説だった。表紙にはカバーをかけて、ルクには見つからない場所に保管してある。あれから色々と気を遣うようになっていた。
 ふと部屋の外に気配を感じ、サジムは本を下ろす。しおりを挟んで扉に目を向けた。
 ノックもなく、ドアが開く。
「ルク?」
 入ってきたのはルクだった。普段はノックをして声を掛けるのだが、今回は何もなく部屋に入ってきている。しかも、雰囲気もおかしい。
「ご主人サマぁ〜」
 間延びした声とともに歩いてくる。
 歩幅の合わない歩き方で、身体も左右に揺れていた。一歩歩くたびに、身体が震えている。ゼリーのように。スライムであるルクの身体は元々ゼリーのようなものだが、普段は形状を固定しているので、震えることはない。
「おい。どうしたんだ? 何か変だぞ」
 本を傍らに置き、サジムは起き上がった。暗い部屋。灯りは枕元の灯り石だけである。カーテンが閉っているので、窓から外の明かりが入ることはない。
 白い明かりに照らされたルク。すぐ傍らにまで歩いてきている。
「えへへへ」
 その顔は笑っていた。不自然に楽しそうな、気の抜けた笑顔を見せている。元々表情の拙いルクにしては、妙に人間的な笑顔だった。だが、それはどうでもいい。
 ルクが正常でないことは素人目にも見て取れる。
「大丈夫か?」
「大好きでス〜。ご主人サマ〜」
 間延びした口調でそう言うなり、腰のベルトを外した。そのまま、ワンピースの裾に手を掛け、思い切り脱ぎ捨てる。ふわりと宙を舞う白い服。
 ワンピースの下には何も付けていない。服と一緒に下着も渡したのだが、下着を付けるのは違和感を覚えるらしい。人間の女性を模した青い半透明の身体。向こう側が薄く透けていて、胸の奥には赤い核が浮かんでいる。以前見た時よりも、造形は粗っぽい。
「ワタシを食べちゃって下さイ〜」
 ルクが一歩前に出た――
 途端に、左足がおかしな方向へと曲がる。膝の辺りが潰れ、前のめりに傾いた。両腕を伸ばして、サジムへと抱きつくように。右足で床を蹴っていたため、やや回転が加わり横向きとなって倒れてくる。
「おわっ」
 サジムは両手を広げて、ルクを受け止めた。受け止めたつもりだった。
 べちゃり。
 粘りけのある水音とともに、青い身体が砕ける。文字通りゼリーのように、ルクの身体がばらばらになった。サジムの身体とベッドに落ちる青い破片。
「……何なんだ?」
 身体にくっついた青い半液体を眺めてから、サジムは振り返った。
 胸から上にだけになったルクが倒れている。胴体から砕けているが、痛みなどはないようだった。胸の赤い核が無事なので大丈夫なのだろう。仮に身体の一部が千切れても、苦痛はないし、近くなら魔術式を介して動かせるとも言っていた。
 自分の身体を見下ろしながら、間延びした声を上げている。
「アれ。壊れちゃいましタ〜」
「ルク、ぼくが残した酒飲んだだろ?」
 サジムはジト眼でそう問いかけた。
 ルクの様子は紛れもなく酔っぱらいである。好奇心のままに酒瓶に残った酒を舐めたのだろう。スプーン一杯に満たない量だっただろうが、見事に酔い潰れている。
「はい〜」
 ルクは隠すことなく肯定した。
「で、何しに来たんだ?」
「ご主人サマ、ワタシを抱いて下さイ」
「却下」
 即答するサジム。額を抑えてため息をついた。
 酔っていて正常な判断能力を失っているらしい。酒が抜けるまで大人しくさせておく必要がある。人間と同じくらいの時間で酒が抜けるのかどうかは分からないが。
 しかし、ルクは勝手に話を進めていた。
「大丈夫デス」
 会話の流れを無視して言い切るなり、サジムの首に抱きつく。反応する暇もなく、自分の身体を引き寄せ、サジムの唇に自分の唇を押しつけた。
「!」
 ゼリーのように柔らかい唇の感触に、サジムは目を見開いた。微かな冷たさと甘みを帯びた液体が口の中へと流れ込んでくる。ルクの唇が溶けているのだ。
「ちょっと待て!」
 半ば無理矢理ルクを引きはがし、サジムは息を吐き出す。
 ルクの両肩を持ったまま、粗い呼吸とともにその顔を見つめた。右腕は離せたものの、左手はサジムの首に抱きついたまま、肘の辺りが水飴状に溶けている。
「すみません、ご主人サマ。ワタシがご主人サマとひとつになるニは、多少強引でないといけないんでス。つまり、愛とは略奪であり、襲撃デス!」
「言ってることおかしいぞ」
「問題ありマセン!」
 サジムの言葉に、ルクは説得力のない台詞を口にする。
 視線を下ろすと、砕けたルクの破片が溶けてひとつにつながっていた。しかし、完全に人形には戻っていない。お腹の辺りから造形が崩れ、太股半ばより下は完全に溶けている。青い液体がサジムの下半身を包み込んでいた。意図的にそうしているわけではなく、単純に形を保てないらしい。
「参ったな」
 音もなくルクが再び首に手を回していた。溶けた右腕はとりあえず元に戻っている。引きはがそうとしても無理だろう。
「ご主人サマ〜」
 両手で抱きついて来るルク。右肩にルクの大きな胸が押しつけられる。
 陶酔したような緑色の瞳を見つめ返しながら、サジムはため息をついた。そのままルクの身体に両手を回し、固定する。手の平に触れるほんのりと冷たい液体の肌。
「え?」
 淡い戸惑いの色を見せるルクには構わず。
 サジムは無言のまま唇を重ね合わせた。

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