Index Top 一ノ葉の再調教 |
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前編 反抗期? |
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小太刀を右手に持ち、初馬は林を走る。 葉の散った木々の並ぶ明るい林。整備されたグラウンドなどとは比べられないが、真冬のため下草もほとんど枯れていて、走りやすい。 空気は冷たいが、身体は熱かった。 左目を閉じ、左手で小さな印を結ぶ。目蓋に浮かんでくる、一ノ葉の見ている視界。術によって一ノ葉との視覚の共有を行っていた。常時共有ではなく、特定の合図をした時のみ共有する仕組みである。 一ノ葉が地面を走りながら、標的を追っていた。 「思ったより、使い勝手悪いな……」 一人で二種類の景色を見るというのは、思考に強い負担がかかる。二種類の景色を同時に脳で処理する必要があるため、他の部分に向ける注意が大幅に削られてしまうのだ。周りに敵がいない状況でないと使えないだろう。 左目を開け、右方向に向き直る。 林の中を走ってきたのは、大きな黒い犬だった。ただ、その身体は墨で塗ったように黒く、体毛も無い。顔の形はあるものの、眼や鼻などは分からない。死んだ犬に邪気が取り憑いた魔物だった。この魔物の退治が今回の仕事である。 「ガァ……ッ」 短い唸りから飛び掛かってくる魔物めがけ、初馬は左手を突き出した。 魔物が手に噛みつく瞬間、手から作り出した泥でその口を塞ぐ。粘性を持った泥を作り出し、相手を捕らえる粘泥の術。さらに、右手に持った小太刀で魔物の胴体を貫いた。 正面から飛び出してくる大きな狐、一ノ葉。 「一ノ葉、やれ!」 「言われずとも!」 一ノ葉が飛び上がり、身体を大きく一回転させながら前足の爪を閃かせる。 爪から放たれた高圧高速の空気の刃が、魔物の身体を斬り裂き―― 「え?」 ついでに、初馬の身体も斬り裂いていた。 左腕と左胸に刻まれた傷跡。 上半身裸のままベッドに腰掛け、初馬は治癒の術を傷口にかけていた。病院で治療をしてから、後は自分での治療。軽傷への対応としては普通である。 「災難だったな」 座布団の上に寝そべったまま、一ノ葉が尻尾を動かしていた。組んだ前足の上に頭をのせ、目蓋を下ろしている。反省している気配は欠片も無かった。 新品のエアコンが暖気を吐き出しているため、部屋は適度に暖かい。 初馬は救急箱から治療湿布を取り出し、傷口に貼っていく。 「お前のせいだろ……。あの時点で何で俺まで一緒に攻撃するんだよ。初収入の半分が治療費に消えるって先行き不安だぞ……」 林にいた犬の魔物。凶暴な野良犬くらいの強さなので、決して厄介な相手ではない。初馬一人でも無傷で倒せる相手だ。今回は一ノ葉を使役する式神使いとしての練習のような仕事である。しかし、結果は予想外の負傷。 「鎌鼬は一度撃ったら制御から外れるのは貴様も知っているだろう。あの時は、貴様がさっさとあの犬から手を離せばよかったのだ」 「俺が捕まえてお前が仕留めるって打ち合わせしたんだから、標的だけを攻撃する術を使って欲しかったんだが……」 傷口に貼られたテープを撫でながら、初馬は一ノ葉の尻尾を眺めた。 相手が敵を捕まえている時は、相手を巻き込まない集中系の術で仕留める。常識以前のことだった。巻き添えにする場合は、相手が防御を固めていることを前提である。 一ノ葉は前足で耳の後ろをかきつつ、 「あいにくと、ワシはそういう一点集中系の術は苦手だ」 「まったく、お前は……使える術のバランス無茶苦茶なんだよな」 初馬は首を振った。 火力は凄まじいが、制御が不得手な一ノ葉。基礎的な術と中級レベルの術は使えるのだが、その中間の初級術がきれいに抜け落ちている。変化の術も使えず、変化は初馬の使う式神変化に頼りっぱなしだった。 「男が細かいことを気にするな」 片目を開け、一ノ葉が断言する。 「元々あんまり従順じゃなかったけど、最近特に反抗的じゃないか……?」 初馬は包帯を身体に巻き付けながら、一ノ葉を見下ろした。 一ノ葉の首に巻かれた赤いチョーカー。知合いの術具職人に頼んで作って貰った特別製である。式神使いと式神という上下関係の証明として付けさせていた。他の式神使いの家は知らないが、白砂家では式神にそのような証しを付けさせることが多い。 「ワシは元からこういう性格だ。貴様のことも主とは認めているが、完全服従しているわけでもない。そもそも、こういう性格と分かってワシを式神にしたのだろう?」 そこはかとなく上から目線で告げてくる一ノ葉。 包帯を巻き終わり、初馬はその端をテープで留める。傷自体はそれほど深くもないため、一週間ほどで跡形も無く消えるだろう。冬のため包帯を露出させることもない。 「やっぱり、アレか……」 シャツを着込みながら、初馬は顔をしかめた。 初馬から借りた金を返すために行った年末年始の巫女さんのアルバイト。それが終わった頃から態度が大きくなっている。アルバイトの給料で初馬からの借金を全て返済し、さらに多額の貯金ができたせいだろう。 初馬はジト眼で尋ねる。単刀直入に。 「俺より金持ちになったからか?」 「使役する式神よりも貧乏な主というのは、情けないものだ……」 一ノ葉は目を瞑り、これ見よがしにため息をついてみせた。年始が終わった後も、土日などはまだ巫女さんのアルバイトをしている。神主に続けてくれと頼まれたらしい。 初馬と一ノ葉の現在の貯金額を比べると、五倍近い開きがある。 「アルバイト式神が……」 救急箱をベッドの下にしまいながら、初馬は呻いた。 一時期は借金式神と呼ばれ、最近はアルバイト式神と呼ばれている。実家では話題性に事欠かない面白式神として立ち位置が定着しているようだった。 「何とでも言え」 あくまで余裕を崩さない一ノ葉。 座布団から起き上がり、寝床であるバスケットへと潜り込んだ。大型ペット用電子マットの電源を入れてから、タオルケットを咥えて器用に自分の身体へと乗せる。 「では、ワシは寝る。明日は神社でアルバイトの予定があるからな。週末前だからといって貴様もあまり夜更かしはしない方がいい」 そう言って、眼を閉じた。ほどなく寝息が聞こえてくる。一ノ葉は寝るのが早い。 初馬は腕組みして天井の蛍光灯を見上げる。 「……。これは、一回躾け直した方がいいかな?」 声に出さずにそう呟いた。 一ノ葉が神社に出かけてから。 初馬は一ノ葉の寝床から毛を拾い上げた。狐色の細い毛。食事もせず新陳代謝もほとんど無いため、普通の動物ほど抜け毛は多くない。式神なので当然だが、他の住人に気付かれずに部屋で大きな狐を飼っていられるのはありがたかった。 加えて、防音結界も作ってあるので、まず一ノ葉の存在がバレることはない。 「さて――と」 一ノ葉の毛を持ったまま、卓袱台の前に腰を下ろす。 卓袱台の上に置かれたのは、人型に切り抜いた和紙数枚と、古い本。白砂宗家の式神術の教科書のようなものだった。ぺらぺらとページをめくり、目的の術を見つける。 「式神分身、と……」 夕方六時過ぎ。外はもう暗い。 暖房の効いた部屋は暖かかった。 「ただいま」 「おかえりー」 玄関から部屋に入ってきた一ノ葉。人間の少女の姿で、冬用のコートとマフラーを身につけている。コートとマフラーは変化の術で作ったものではなく、自前で買ったものだった。コートとマフラーをクローゼットに片付けてから。 「貴様……何をしている?」 「新しい術の見当。大体終わったところ」 初馬はそう答えた。卓袱台の上に広げられた本と、ノート。中途半端な術式が込められた、即席の術符が多数散らばっている。昼食に食べたカップ麺の空カップと箸が、そのまま置かれていた。 「非常に嫌な予感がするのだが……」 「嫌な予感は当たるものだと、大昔から相場が決まっているらしい」 答えながら、初馬は散らかった卓袱台の即席術符を丸めてゴミ箱に放り込む。中途半端な術式は、霊力の装填もされてなく、動き出すことはない。術式も一時間程度で完全に壊れるため、おかしな作用を起こすこともなく、普通に燃えるゴミだ。 「何をする気だ……?」 その問いに答えるように、初馬は二枚の人型の紙を見せる。 人型を見つめ、一ノ葉が顔を強張らせ、頬に冷や汗を流していた。経験的にそれが禄でもないものだと分かるのだろう。 初馬は人型を軽く空中に放り、印を結んだ。 「式神分身・改」 ポンと軽い音を立てて、二体の分身が床に降りる。 一ノ葉をそのまま複写したような分身だった。シャツとハーフパンツという簡素な格好。片方は狐耳も髪も尻尾も服も白く、もう片方は狐耳も髪も尻尾も服も黒い。両者とも首に赤いチョーカーをはめている。 ふたつの分身は床に直立したまま、感情の無い表情を見せていた。 「成功かな?」 白分身と黒分身を眺めながら、初馬は顎に手を当てる。 |