Index Top 第4話 一ノ葉になって

中編 男としての好奇心


 手紙を郵便局に出してから、アパートに戻る。
 用事が終った後、一ノ葉にこのままどこか遊びに行かないかと誘ってみたが、さっさと帰るという冷めた返答。しかし、欲しかった本があったため、初馬は帰りに本屋に寄って本を買い、ついでに立ち読みもしてきた。
「ん?」
 玄関のドアの閉めてから、初馬は振り向く。
『どうした?』
 郵便受けに荷物がひとつ放り込まれいた。取り出してみると、やや厚みのある封筒だった。宛先などは書かれていないが、白砂家の家紋の判子が押されている。裏面には実家の住所。実家からの荷物らしい。
『……届くの早くないか? 貴様が実家に薬を送るように連絡してから、まだ三時間程度しか経ってないだろ。転送の術でも使ったのか?』
 一ノ葉が訝っている。メールを読んでから郵便局に行き速達で送っても、今日中に届くことはない。しかし、現実にここに封筒はある。実家に転送の術を使える人間はいない。物質の転送には、高度な術式構成と膨大な術力の消費が必要なのだ。
 まさか危険物ではないだろう。
 自分の発想に失笑しつつ、初馬は封を開けた。小さな密封パックに入った茶色の顆粒が三袋と、手紙が一枚だった。顆粒の方は感覚共有を解除する薬だろう。
 手紙を見てみると父からである。

《仕事で下宿先の近くを通るから、ついでに置いていく。三種類の薬をお湯に溶かしてかき混ぜて、二時間待ってから飲めば術は解除される。あと、式操りの術は危険性の高い術だから、遊び半分に使わないように。
                             白砂徹也》

 内容は月並みだった。
『ふむふむ。思ったよりも早く元に戻れるのだな。よかったよかった。というわけで、さっさと薬を作って、早くワシから出て行け』
 手紙を眺めながら、一ノ葉が嬉しそうに言ってきた。明日までこのままの予定が今日中に元に戻れることになったのだ。一ノ葉にとっては吉報だろう。
 初馬は両手を見つめた。細くきれいな女の手。
「そうさせてもらうよ。何だか思ったより面白くなかった」
 ため息混じりにそう言いながら、台所を見回し適当なコップを掴む。
 一ノ葉になっても、特別普段と変わることはなかった。確かに女になるというのは珍しい体験であった。それでも、何か大きく変わるということはない。
 コップに三種類の薬を放り込んでから、電気ポットのお湯を注ぐ。スプーンでかき混ぜると、焦げ茶色の液体になった。見ていると、ぷくぷくと小さな泡が湧いている。何か反応を起こしているらしい。
 二時間というのは、反応が終るまでの時間だろう。
 コップを台所に置いたまま部屋に移り、窓を半分開けた。アパート横の駐車場。部屋に流れ込んでくる涼しい空気。卓袱台の前に戻って、座布団に腰を下ろす。
『さ、ワシに身体を返せ』
「あと二時間だしな」
 そう呻いてから、初馬は両手で印を結んだ。
「変化」
 服装が外行きの格好から部屋着へと変化する。白いシャツと白いハーフパンツという格好。ワンピースは落ち着かないというのが本音だった。ついでに、焦げ茶色の髪が狐色に戻り、狐耳と尻尾が生える。
 続けて印を結んで、身体の支配を弱めた。
 支配権がある程度戻ったことを自覚したのだろう。初馬の意思ではなくぱたりと跳ねる尻尾。一ノ葉は首を左右に動かしていた。
「ようやく元に戻った……」
 声帯を通した声で呻いてから、眉根を寄せる。今まで違和感を覚えていたのだろう。両腕を持ち上げ具合を確かめるように動かしてから、尻尾を上下に振ってみた。全身を解すように動かしている。
 しばらく動いてから、一ノ葉は目蓋を落とした。
「狐の姿には戻らないのか?」
「四つ足の獣になるのは、ちょっと怖い」
 初馬は頷いて答える。生まれてこの方二本足の人間として暮らしてきた。まだ、獣の感覚を試してみる気はない。今回も全感覚共有事故を恐れて、一ノ葉を一度人に変化させてから術を試したのだ。備えあれば憂いなし。
「ワシは元々四つ足の獣なんだが?」
「式神は人間に化けられると色々便利だから。うちの式神は仕事がない時はよく人間に化けて遊びに出掛けたりしてるのに」
 実家にいる式神は、動物型が多い。そして、全員が人間に変化する術を習得している。休日などには人間に化けて出掛けたりしていた。私的な用事以外にも、他のものに化けられるという技術は役に立つ。
 初馬は自分の身体を見下ろした。人間と変わらぬ四肢と身体。狐色の眉毛を動かしつつ、右手で狐耳の縁を撫でる。
「お前は、自分から変化の術使うことないよな」
「ワシは狐の姿が落ち着くんだ」
 初馬の問いに、一ノ葉は鼻を鳴らして答えた。
 一ノ葉は自分から人間に化けることがない。初馬が式神変化を用いて人間に変化させることはあるが、自分から変化の術を使うことはない。外に出る時も幻術で姿を隠してから出掛けている。
「いいけどな」
 初馬は両腕を広げた。
 時計を見ると午後五時過ぎ。まだ外は明るく、涼しい秋風が窓から入ってくる。薬が出来るまでは二時間ほど暇な時間が続くだろう。
「やることがない」
 卓袱台に置かれた本。大学で使う難解な参考書だった。読みながら時間を潰すという気にはなれない。もっとも、暇を潰す方法ないくらでもあるが。
 その方法がどうやら表情に浮かんでいたらしい。
「貴様、何を企んでいる?」
 怪訝な呟きを漏らす一ノ葉。身の危険を感じたのだろう。背筋に寒気が走り、尻尾の根本に力が込められる。身体を共有していると、色々伝わることが多い。
 初馬は尻尾を動かして、自分の前に持ってきた。
「まさか――!」
 一ノ葉が鋭く呟く。さすがに意図を察したようだった。必死に尻尾を戻そうとしているが、尻尾を動かすことはできない。身体の支配力は初馬の方が強いのだ。
 狐色の毛に覆われたふさふさの尻尾。先端が白く、きれいな毛並み。
 左手でそっと先端を押さえ、右手で毛を撫でる。
「っ……」
 喉が震えた。
 尻尾の付け根から背中まで、痺れるようなむず痒さが駆け上がる。その感触に思わず肩を竦めて、背中を震わせた。尻尾を触られるという、未知の感触。
 先の方を左手で押さえたまま、表面を丁寧に撫でていく。
 手の動きに合わせて、狐色の毛が動き、毛の動きが尻尾の芯に伝わり、痺れるようなくすぐったさが尻尾から背中、全身へと伝わっていく。
 身体の芯が熱くなり、狐耳がぱたぱたと動いていた。
「だから、止めろ!」
 一ノ葉が叫ぶ。だが、身体を動かすことはできない。
 初馬は丁寧に尻尾を撫でている。
「普段から気持ちよさそうに毛繕いしてるの見てて、どんな感じかと思って。……これは、癖になるな。思ったよりも気持ちいい」
 尻尾を撫でる動きは止めぬまま、初馬は答えた。
 狐の姿の時、一ノ葉はよくベランダで毛繕いをしていた。部屋の中では抜け毛が大変なのでしないように言っている。毛繕いをする姿は非常に気持ちよさそうに見えた。
「毛繕いしてないだろ!」
 的確なツッコミが返ってくる。
 それには答えず、初馬は両手で尻尾を抱え上げた。先端を口に咥えてみる。それだけで背筋が痺れた。やはり予想していた通り、尻尾を弄るのは気持ちがいい。
 尻尾の先端を甘噛みしつつ、両手で尻尾全体を撫でる。
「これは、意外と……」 
 尻尾から全身に広がっていく、むず痒さ。
 初馬は止めることなく、尻尾を弄り続ける。今まで感じたことのない心地よさが、尻尾から全身へと広がっていく。
「貴様、は……」
 一ノ葉は必死に抵抗するが、身体は初馬の意思によって勝手に動き続けた。尻尾の先端を噛みながら、両手の指を毛の中に差し入れ、芯を指先で引掻く。その度に、身体がびくりと震える。だが、指の動きは止めない。
 二分ほどだろう。
 初馬は尻尾から手を放した。
 全身からうっすらと汗が噴き出し、身体の芯が熱く燃えている。喉の奥に感じる乾きと、胸の奥で疼く切なさに喉を鳴らした。予想していた通りの反応。
 身体から力が抜けて、胸や下腹部に熱がこもっている。女として出来上がった状態だろう。これなら、最初に胸を触った時のような淡泊な反応はない。
「貴様、最初からコレが目的だったのか……?」
 出来上がった自分の身体に、一ノ葉が怒りを含んだ声を発する。
「ま、俺も健全な青年男子として、女の快感というのには興味ある。尻尾弄ったらスイッチ入ると踏んだんだけど、大当たりだな」
 不敵に笑いながら、人差し指で胸の先の突起を弾く。
「んっ……」
 口元から漏れる甘い声。自分のものか、一ノ葉のものかは分からない。
 今まで感じたことの無いような痺れが神経を駆け抜けた。男とは違う女の快感。しかも、他人の身体を使ってその未知の快感を得るという行為に、異様なまでに興奮していた。
 それは身体の持ち主である一ノ葉も十分に理解している。
「貴様、このドスケベが。だから嫌だったのだ!」
「あと、俺はお前を弄るのが大好きだから。大丈夫だ、安心しろ。ちゃんと気持ちよくなるように可愛がってやるから」
 怒る一ノ葉に、初馬は笑顔で言い切った。
 今までに二度だけだが、一ノ葉と身体を重ねている。その経験から感じる手順は大体分かっていた。そこを愛撫すれば快感が得られるだろう。
「それに……お前も放っておかれるのは困るんじゃないか? このまま疼きが収まるまで待つのは無理だろ。感覚を共有してるから、はっきり分かるよ」
「………」
 初馬の言葉に反論はなかった。
 身体の疼きが収まるまで大人しく待っている――それは一ノ葉にとってかなり辛いものになるだろう。自分の身体なので、その辺りの自覚があるようだった。
 代わりに悪態をつく一ノ葉。
「本当に変態だな、貴様は」
「ありがとう」
「だから、褒めてないッ!」
 一ノ葉の言葉には構わず。
 初馬は身体へと手を伸ばした。

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