Index Top 第3話 主従の約束

第2章 メイドキツネ


「問いその一。この衣装は何でしょうか?」
 そんな質問とともに、半眼で見つめてくる。
 式神変化を用いて、人間に化けた一ノ葉。狐色の髪の気の強そうな少女。
 足首裾の紺色ワンピースと白いエプロン、白いカチューシャという恰好。いわゆるメイド服だった。どれも術で作ったものである。居心地悪げに動く狐耳と尻尾。
「狐には巫女装束だと思うけど、身の回りの世話をして貰うのに巫女装束だと何か場違いな気がしたから、メイド服にしてみた」
「相変わらず変な趣味だ……趣味ですね」
 スカートを掴みながら、一ノ葉が呻く。普段の口調で喋りかけてかから、丁寧口調に修正していた。かなり恥ずかしそうな表情である。
 ベッドに座ったまま、初馬は両腕を組んで重々しく頷いた。
「狐耳メイドというのも、なかなか面白いと思うぞ。あとミニスカメイド服が邪道であるというのが俺の持論。ミニスカ巫女装束は論外だと思う。露出が多ければ色っぽいなどという論調は認められない。うん」
「また、訳の分からぬことを……」
 横を向いて一ノ葉がぼやいた。音もなく揺れる長い狐色の髪。
 初馬に視線を戻して言ってくる。
「問いその二。ご……主人様の世話をすると言っても、ここで一体何をすればいいでしょうか? ワシも一応メイドくらいは知っていますが、狭いアパートではなくもっと大きな屋敷で働くものだと思います」
 初馬の部屋。八畳のワンルームアパート。
 パイプベッドとテレビ台、パソコンデスクと一人用の衣服タンスが部屋の三割を締めている。残ったスペースに小さな絨毯を引いて、卓袱台を置いていた。
 一ノ葉が来てから掃除は念入りに行っているため、きれいである。
「考えてなかったな」
「考えろ……と、考えて下さい」
 腕組みをする初馬に、ツッコミを入れる一ノ葉。冷静に考えてみると一ノ葉は人間並みに動くことしかできない。料理や掃除などの作業的なものは、まだ教えていなかった。やって出来ないことはないが、失敗されても困る。
 時計を見ると午後三時十分前。世間一般ではおやつの時間と言われているらしい。
 初馬はベッドから腰を上げ、卓袱台の前に座った。
「冷蔵庫に果物あるから持ってきてくれ。あとフォーク」
「分かりました。ただいま持ってきます」
 一ノ葉は台所に移動する。短い距離なのでたった五歩の移動。足の動きに合わせて長い髪と尻尾、紺色ワンピースの裾が揺れていた。
 台所に置かれた一人用の冷蔵庫。取っ手を掴み、ドアを開ける。尻尾を動かしながら中を眺め、ガラスの皿に盛られた果物を持ってきた。
 初馬の正面に腰を下ろして、卓袱台に皿を乗せる。
「お仕事ご苦労」
 初馬はねぎらいの言葉をかけた。
 みかんやリンゴ、バナナ、梨、スイカ、イチゴなどの果物を、一口サイズに切って皿に乗せ、適量のシロップを掛けたもの。昨日病院に見舞いに来た母が置いていき、食べきれない分を冷蔵庫に入れていた。
「じゃ、俺に食べさせてくれ」
「はい?」
 素っ頓狂な声を上げる一ノ葉。焦げ茶の瞳に浮かぶ戸惑いと、訝しげに顰められた狐色の細い眉。何を言われたのか理解できなかったらしい。
 初馬は果物に添えられたフォークを掴み、一ノ葉に差し出した。
「可愛い女の子に果物を食べさせて貰うって、男のロマンだと思わないか?」
「ロマン……なのか?」
 思わず素の口調で訊いてくる。首を傾げ、尻尾を曲げていた。狐として生きてきた一ノ葉には、分かりにくいものなのかもしれない。もっとも、人間として普通に生きいていても、理解しづらいだろう。
「ロマンだ。細かいことは気にせず」
 言いながら、初馬は口を開けた。
 かなり腑に落ちない表情ながらも、一ノ葉は切ったリンゴにフォークを刺して初馬の口に入れた。口が閉じるのを確認してから、フォークを引く。
「ああ、美味い」
 リンゴを咀嚼しつつ、初馬は朗らかに笑った。甘味と酸味と、林檎の歯応え。いつもと同じリンゴだが、いつにない味わいを感じる。
 フォークを見つめながら、一ノ葉が首を傾げた。
「大して変わらぬと思いますが?」
「俺は果物を食っているのではなく、風情を食っているんだ」
 人差し指を立てて、初馬は言い切る。
「というわけで、あーん」
「……ご主人様の考えることは理解できない」
 一ノ葉は首を左右に振ってから、イチゴにフォークを刺した。


「あー、食った食った」
 初馬は両足を伸ばしたまま、右手で腹をさすっていた。
 皿の果物は全部胃袋に収まっている。皿にうっすら溜まっていた果汁も、残さず嘗め取っていた。果物だけとはいえ、既に満腹である。
「途中から面倒臭くなって自分で食べるなら、最初から自分で食べて下さい」
 一ノ葉が呆れた眼差しを向けてきた。
 他人に食べさせて貰うというのは、意外と手間が掛かる。十口ほど食べさせてもらった辺りで終わりにして、残りは自分の好きなように食べていた。
「いいじゃないか。俺は楽しかったぞ?」
 初馬は気楽に笑ってみせる。
 昔からの夢だった女の子に料理を食べさせて貰うという行為。おそらくは一生できないと思っていた。しかし、夢が叶って満足している。
 空の皿とフォークを指差し、初馬は告げた。
「というわけで片付け頼む。皿は流しに置いといてくれればいい。俺があとで洗っておくから。まだお前は家事とかは出来ないだろうし」
「分かりました」
 一ノ葉は皿とフォークを持って台所に向かった。
 その間に、初馬は卓袱台の足を畳んで横に片付けておく。
 皿を洗うわけでもないので、十秒ほどで戻ってきた一ノ葉。片付けられた絨毯を眺めながら、ふっと眉根を寄せた。
「次は一体何をするつもり……でしょうか? できれば何もせず狐の姿に戻して欲しいのですが? この姿で何か特別なことができるとは思いませんし」
「座ってくれ」
 言われるままに一ノ葉はその場に腰を下ろした。両足を左側にずらした正座。いわゆる女の子座り。胡座なども教えてみたのだが、座るときはいつも女の子座りである。
 初馬は絨毯に寝転がり、一ノ葉の太股に頭を乗せた。
「快適……」
「何をしていますかね?」
 表情を引きつらせる一ノ葉。両手を持ち上げたまま、困惑の眼差しを向けくる。何も言わずにこんなことをしたら、困るしかないだろう。
 初馬は迷わず答えた。
「男の夢、膝枕」
「何が男の夢だ、夢ですか……」
 声を荒げようとして言い直す。
 初馬は右手で太股を撫でた。柔らかな太股の感触と、白いエプロンの手触り。生き物のぬくもりと血液の鼓動を頬で感じる。普通の枕とは違った落ち着きがあった。
 気まずそうに左右に動いている尻尾。視線を泳がせてから一ノ葉が呻く。
「気持ちいいの、ですか?」
「ああ、気持ちいい」
 初馬は頷いて、身体から力を抜いた。
「このまま昼寝させてもらう」
 そう言って目を閉じた。
 ふと目を開けて、思いついたことを言っておく。
「あと、ご主人様ってのも丁寧語もやっぱり止めてくれ。なんか気持ち悪い」
「そうかい……なら最初から言うな」
 呆れたような一ノ葉の声を聞きながら。
 初馬は今度こそ昼寝に入った。


 夕方の六時前に昼寝から目覚め、早めの夕食。それからタオルで身体を拭き、現在時刻は夕方七時過ぎである。
 初馬はベッドに腰を下ろした。
「……生々しい傷だな」
 医療箱を持った一ノ葉が口端を上げる。まだ人の姿だった。
 トランクス一枚の姿。むき出しの肌には治りかけの傷が残っていた。創傷八本と、丸い火傷後が八箇所。既に治療が終っているので皮膚は再生されているが、まだできたての状態。入院こそしないが、治療が必要である。
「もう少し軽傷で済むと思ってたんだけど……。お前は資料の情報以上に強かったよ。俺の方が一枚上手だったけど、気を抜いてたら死んでたかもしれない」
 苦笑いとともに一ノ葉を見つめながら、初馬は両手で印を結んだ。治活の術という治療術の一種。霊力の補助を用いて自然治癒力を数倍に高めるものだ。傷を無理矢理治すことも可能だが、下手に強力な術を使うと逆に体力が危ない。
「治療手伝ってくれ。治癒の術でいいから」
「ま。その程度ならいいだろう」
 一ノ葉は右手を持ち上げ、口笛のような呪文を唱えた。狐の姿の時は鳴き声を使って術式を組んでいる。珍しい術式構成法だった。
 初馬の左横に腰を下ろし、右手を肩の傷にかざす。決着直前の鎌鼬による傷。
「殺せると……踏んでいたのだが。貴様があれほど強いとは思わなかった」
 治癒の術。自分の生命力を対象に注ぎ込む治癒法。傷の回復に体力消耗をほとんど伴わずに済むという利点があった。自分で行う場合は、霊力と体力の消耗を伴うため、衰弱状態では気楽に使えない。
 一度鼻を鳴らしてから、一ノ葉は尻尾を動かした。
「だが、もう一度戦えばワシが勝つ」
 不敵に微笑み、断言する。
 いくらか素直になっているものの、やはり根本的な部分は変わっていない。不自然に従順になれても不気味なので、この程度が一番丁度いいだろう。
「無理だろ。俺もお前の情報を更新してるから。実際に戦ったことで癖とかも随分と分かったし、次はもう少し楽に勝てると思う」
 初馬は言い切った。
 全身の傷に術をかけ終わり、一ノ葉が手を引っ込める。
「ふん」
 不服げに鼻を鳴らすだけで、否定はしてこない。
 初馬は一ノ葉の膝に乗った医療箱を掴み、自分の膝に乗せる。蓋を開けて中身の湿布を取出し、傷へと貼り付けていく。医療薬と治癒の術を込めた特殊な湿布。剥がれないように包帯で固定してから処置は終了。
 一ノ葉は包帯まみれの身体を見つめながら、
「どれくらいで治るのだ?」
「医者には一週間でほぼ傷跡は消えって言われてるよ」
 初馬は傍らに置いてあったシャツを着込み、ベッドから立ち上がってズボンを穿いた。夏用の薄手の寝間着。そろそろ気温が上がって暑くなり始めている。
 ぽんと手を打ってから、初馬はベッド横に置いてあった小箱を手に取った。
「そうだ、お前にプレゼントがあった。気に入るかどうかは分からないけど」
「プレゼント?」
 差し出された小箱を受け取り、訝る一ノ葉。
 菓子箱ほどの大きさの紙箱。装飾などはなされてなく白い無地。
「開けてみてくれ」
 一ノ葉は小箱を受け取り、蓋を開ける。
 開けてから、沈黙。中身が何であるかすぐには理解できなかったようである。
 十秒ほど思考を空回りさせてから、中身を取り出した。
 幅二センチ、長さ三十五センチほどの赤い帯である。見たままを言うならば赤いリボン。しかし、リボンと呼ぶには若干厚みがあり、髪などに結ぶことはできない。材質は上質な鞣革で、端に金属のバックルがついている。
 一ノ葉は胡乱げにそれを見つめていた。
「……首輪?」
「いや、チョーカーだ」
 初馬は断言する。

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