Index Top 第9話 橙の取材 |
|
第2章 事故は突然に |
|
ニニルがシゥを睨み返す。 「取材ですよ。私がこちらに来る理由が、取材以外にあると思っているのですか?」 しかし、シゥは表情を崩さずニニルを観察していた。必死に虚勢を張っているニニル。その表情や視線の動きから感情や思考を読み取る。 「取材?」 その単語が引っかかり、千景はピアに尋ねた。物事の情報を取り集めることを意味する言葉である。普通の環境ではあまり使われない言い回しだった。 ピアは頷き、 「彼女は新聞記者なんです。ラーザイル新聞局という報道社を一人で運営しています。向こうでは機関誌のようなものはあるのですが、私的な新聞を発行しているのは今のところニニルさんだけです」 「新聞記者ね?」 千景の呟きに、ニニルとシゥが一拍目を向けてくる。 シゥは何も言わず尋問に戻った。 「無許可でこっちに来るのが犯罪って事は理解してるんだよな?」 話を聞く限り、幻界から人界に来るのは特別な許可が必要らしい。ニニルが無許可でこちらに来たことは大きな問題のようである。 しかし、ニニルは勝ち誇ったように笑って見せた。 「無許可ではありませんわ。五年前の許可証はまだ有効です」 「アレか……」 顔をしかめるシゥ。以前何らかの理由で許可が出たのだろう。その許可が取り消されずに続行している。一応犯罪には当たらないようだった。 気を取り直し、シゥは訊く。 「まあいい。で、何しに来た?」 「取材ですよ。あなたたちがこちらでどう暮らしているのか、気にしている人は多いですからね。それに、こちらの文化なども取材したいと考えていました。自然界に来られる機会は少ないですからね」 眉を傾け、きっぱりと言い返すニニル。怯えた表情を見せながらも、反抗の意志は消えていない。根性があるというより、単純な負けず嫌いのようだった。 「そういう意味じゃない。もう少し詳しく聞いた方がいいか?」 シゥが右手を持ち上げる。その指先に青い妖精炎が灯った。冷気の塊。 「っ!」 目を見開き、ニニルが息を止めた。今までの強がりが一瞬で消える。シゥは妖精郷でも五指に入る使い手らしい。ニニルもその妖精炎の力は知っているだろう。もしかしたらシゥに凍らされたことがあるのかもしれない。 ニニルの頭に手を乗せ、千景が割り込む。 「シゥ。ちっといいか?」 「何だ?」 視線を向けてくるシゥに、告げる。 「そういう情報なら、おそらくもう全部聞き出してあるぞ」 「どういう意味だ?」 訝るシゥ。頭に手を乗せられたまま、ニニルも困惑の顔を向けてくる。 ニニルが尋問されたのは今が始めてだ。シゥはそう考えているし、ニニル本人もそう認識している。だが、そうではないようだった。ニニルの頭に薄く残っている霊力。人間の術の痕跡だった。シゥたちの目には拘束術の一部に映るだろうが、千景はその術式の欠片を読むことができる。 「幻術掛けられた形跡がある。ここに連れてくる前に、幻術かけてあらかた吐かせたんだろ。痕跡消してる様子もないから、バレる事は想定して」 千景の言葉を聞き、シゥは肩の力を抜いた。右手に灯していた青い妖精炎が消える。纏っていた殺気も霧散した。尋問する必要は無いと判断したようだった。 「じゃ、オレの貴重な時間を使う間でもないな。ミゥ、交代だ。投薬なり分解なり好きにしろ。部屋汚さなきゃ大丈夫だろ」 「はいー」 下がったシゥと入れ替わりにミゥが近付いてくる。 「待ちなさい!」 声を荒げ、ニニルが千景に怒りの視線を向けた。シゥに向けていた怯え混じりの強がりではなく、若干見下しの混じった怒りの感情。 「どういうことですか、それは!」 「言葉通りだよ」 落ち着いた口調で千景は説明する。 「お前を捕まえてここに連れて来る前に、催眠系の幻術かけて事情聴取して、必要な情報聞き出して大きな危険はないと判断されて、こっちに引き渡された。それだけだよ。同族の事は同族で解決しろってことかな?」 ニニルが捕獲されたのは十時頃で、ここに連れて来られたのが四時前。その間に協会の退魔士が幻術によって情報を引き出したのだろう。必要な情報を全て吐かせた上で問題無しと判断され、千景の元に寄越された。 捕獲した相手を何もせずに渡すほど、協会の人間はお人好しではない。 額に怒りのマークを浮かべ、さらにニニルが唸る。 「人の知らぬ間に術で思考を弄るなんて……。まったく、人間という生き物は、随分と失礼な事をするのですわね!」 「覗きの方が失礼だろ」 「……」 無言で――ニニルが視線を逸らした。冷や汗を流し、口を閉じながら。一瞬前まであった気迫が霧散している。非常識な事をしていた自覚はあるようだ。 ニニルの頬を人差し指でつつきながら、千景は続ける。 「事情有りの客人に対して諜報まがいの覗きしてたんだ。牢屋に繋がれててもおかしくないぞ。むしろ、この程度で済んでる事に感謝してもらいたいもんだよ」 ため息混じりに告げた。 がぷ。 「あ」 誰かの声。 ニニルが千景の指に噛み付いている。 「おおおおおおおああああああ!」 悲鳴とともに、千景は腕を振り上げた。指先から脳髄まで走り抜ける激痛の信号。腕の筋肉が引きつる。一緒に振り上げられるニニルだが、頑なに口は離さない。 「つああああ! こんの、何しやがる!」 千景は力任せに腕を振り回すが、ニニルは予想以上の力で噛み付いていた。 「てか離せ、離れろ! うおおお! 何だこれ、予想以上にがっつり噛み付いてやがるぞ、おい! お前は猫か! 離れろおおお!」 「何愉快なことやってるんだよ……」 思い切り脱力しながらシゥがジト眼を向けてくる。同様に呆れたような顔を見せているピアやミゥ。ネイが不安そうに手を合わせていた。 あくまでも噛み付いているニニルに、千景は歯を食い縛る。指先から鉄鬼蟲を放ち、口をこじ開けた。さすがに万力のような蟲に抗えず、ニニルが口を開く。 「ふん」 腕を振り抜く千景。 支えを失い床に転がるニニル。 床を一回転してから止まる。背中から落ちたが、ダメージは無いようだった。仰向けの体勢から上体を起こし、橙色の瞳で千景を睨み付けた。 「自業自得ですわ」 唇を舐め、言い切る。 その唇に見えた赤い色。 「…………」 千景は噛まれていた指に目を向ける。指先の皮膚が切れ、少し血が流れていた。生き物の歯は意外と鋭い。術による防御もしてない状態ではニニルの歯でも十分に皮膚を噛み切ることができた。 「ミゥ」 「はい?」 顔を強張らせたまま、千景はミゥに人差し指を見せた。 「こいつ、俺の血を舐めた」 「ノア」 「了解です」 声を上げるミゥと頷くノア。 千景は舌で傷口を舐める。薄い霊力の膜を作り、応急処置。時間の掛かる治癒の術ではなく、ただ傷口を塞いだだけ。だが、下手に血を流したままは危険だった。 すぐさま千景はニニルを抱え上げた。羽を広げ飛んでくるミゥとノア。 「な……にを?」 状況に置き去りになっているニニル。 「これから手荒な事するけど、文句は言うなよ」 目の前に指を突きつけ、千景は告げた。流し台の前に走り、ニニルの身体を仰向けにする。右手で身体を抱え、左手で口を開かせた。訳が分からず身体を捻り抵抗しているニニルだが、妖精炎の補助なしでは千景の力には届かない。 ノアが手首の帯刃を伸ばし、バルブを捻る。蛇口から勢いよく流れ出す水が、ニニルの口に流し込まれた。 「う、がっ!」 苦しげにもがきながら必死に暴れるニニルが、千景ががっちりと身体を固定しているため、逃れることもできない。吐き出すこともできず、大量の水が喉から胃に流れ込む。気道から肺に流れ込んでいるかもしれないが、それは無視した。 ある程度水を飲んだと確認してから、千景はニニルの身体をひっくり返す。 「ちょっと苦しいですけど、我慢して下さいねー。えい」 ミゥがニニルのみぞおちに拳を添え、押し込んだ。口調は軽いものだが、対照的に手に込められた力は強い。胃に強い衝撃を与え、意図的に嘔吐させる方法だ。 「ごはっ!」 ニニルが水を吐き出す。 改めてテーブルの上に置かれたニニル。 「一体どういう事ですか……。説明を要求します……」 荒い呼吸をしながら、千景を睨み付ける。 水を無理矢理飲ませて吐かせること五回。とりあえず胃の中身は全部吐き出せたとミゥは判断した。何度も水を飲まされ吐かされニニルは酷く弱っていたが、千景が霊力を補給しある程度回復している。濡れた服も魔法で乾かしてあった。 ミゥがニニルに近付き、 「説明すると本当に長くなっちゃいますので」 「ん」 唇を重ねる。 「これが幻燐記憶ってヤツか」 その様子を眺めながら千景は頷いた。妖精炎魔法を用い口付けによって知識や記憶の受け渡しをする方法。フィフニル族特有の技術らしい。伝達できる情報は個人差がある。 ミゥがニニルから離れた。 「…………」 何も言えぬまま、ニニルが固まる。 顔の筋肉を弛緩させた、どこか間の抜けた表情。 十秒ほどだろう。 「何ですか、それは!」 ニニルは叫んだ。 |
13/6/22 |