Index Top 第2話 緑の探求心

第5章 実験と結果と考察


「こんばんはー、千景さん」
 部屋のドアが開き、緑色の妖精が部屋に入ってくる。
 夜十時過ぎ。パソコンで退魔師協会への報告メールを書いていた時だった。
「何の用だ? ミゥ」
 一度キーボードを打つ手を止め、千景はミゥを眺めた。
 昨日のピアと同じような、浴衣かガウンのような長衣を着ている。色は緑色。ピアの話によると、寝間着らしい。自分の色と同じ服を着るのは、そういう風習とのこと。
 小さな手提げ鞄を左手に持ち、ミゥが千景の方へと歩いてくる。妖精炎を使って飛ぶよりも、歩いた方がエネルギーの消耗は少ないらしい。室内では誤差範囲であるが。
 満足げに笑いながら、ミゥが答える。
「さすがにもう名前覚えてくれたみたいですねー?」
「さすがに、な。それで何の用だ?」
 メールを一時保存してから、メーラーを閉じた。
「お昼にボクが言った"特別な血筋"って覚えてますか?」
 ミゥの言葉に、千景は窓に目を向けた。青いカーテンが閉められた南向きの窓。昼間の買い物の出来事を思い出す。
「言ってたな。夜までには情報をまとめられるとも言ってたけど、終わったのか?」
「はい」
 得意げに頷くミゥ。
「血筋というよりも、千景さん個人の体質と呼んだ方が正しいですね。千景さんの作る霊力は、ボクたちの妖精炎と波長が合うんですよ」
 指を動かしながら、そう言ってくる。
 右手で頭をかき、千景は首を傾げた。
「波長が合う? 分かるようで分からない言い方だな」
「ボクたちは自然界では自然エネルギーの取込みという形で、常に一定のエネルギー供給があります。けど、それはあまり高いものではないんです。日常生活には困りませんけど、高出力の妖精炎魔法を使うには、かなりエネルギーの溜めが必要なんですよー」
 つらつらと説明してくる。
 ミゥたちはこちらでは食事をせず、自然エネルギーの取込みで自分の活動エネルギーを作っている。自然エネルギーというのは日によって多少上下はあるが、ほぼ一定だ。消耗した時に、食事などでエネルギーを補給できないということ。
「それで、今日千景さんにくっついてお買い物した時に、ボクの妖精炎が勝手に増えていくのを感じまして。でも、あのお姉さんに捕まった時はその様子もなくて――」
 千景の肩に乗っていたミゥ。一時秋奈に捕まって抱えられていた。そこで、気付いたのだろう。千景では回復して、秋奈ではそれがない。
 ミゥは手提げ鞄から何枚かの書類のようなものを取り出した。
「色々と調べてみたら、千景さんの霊力は"食べられる"んです。基礎代謝霊力でも、密着距離で取り込めば、かなりの補給になります。直接霊力を送り込まれれば、相当量の妖精炎が作れると思いますよ。計算上、空っぽ状態からほぼ全回復くらい」
「それが俺がお前らの面倒見役に選ばれた理由か……」
 大きく息を吐き、千景は頭を押さえた。
 昨日からの疑問が解けた気がする。まだ正式な退魔師免許も持っていない見習いに、ピアたちの面倒を見るように命令が出た理由。ピアたちが吸収できる霊力を持つ人間が、千景だけだったのだろう。少なくとも、退魔師協会がすぐに手を出せる立場の人間では。
「ここからが本題ですよー?」
 そう言いながら、ミゥぱんと手を叩く。
 千景が目を向けるのを確認してから、続けた。
「千景さんの霊力を取り込んだ場合は、普通に妖精炎の回復と、体調の安定化という副次作用があります。でも、体組織を取り込んだ場合は、違う反応が出るようです」
 引っかかる物言いに、千景は口を挟んだ。
「体組織っていうと、血とか肉とかか――? 俺はお前らに食われる気は無いぞ。食おうとすれば、当然反撃する。手加減はしない」
 そう指をミゥに向ける。
 やはりこれも相性なのだろう。ミゥたちはこちらの食物を消化吸収できないらしい。消化吸収機構を持たない精霊にはあることだ。だが、例外が存在するようだった。
 何がおかしいのかミゥが笑いを堪えるように口元を手で押さえる。
「ふふふ。それはご心配無くー。ボクたちが千景さんの体組織を取り込むと、長期的な妖精炎の底上げ効果が現れるようですが、逆に千景さんの体質に非常に強く依存してしまうんです。その依存度は、シゥの睡草の比ではありませんよ?」
 脅すように、薄く笑ってみせた。迫力があるようで無いが。
「なるほど、ね。平時には霊力を供給して体調管理。有事の時は、俺の血とかを飲ませて縛るか。……さすが退魔師協会。考える事がエゲツない」
 しみじみと納得する。
 千景の体組織を取り込んだら、容易には離れられないのだろう。食料と麻薬の役割を同時に持つ体質。そして、何らかの理由で最悪死んでも、退魔師協会にとってさほど大きな損失とはならない立場。千景はまさに適材だったのだろう。どの辺りまで想定しているかは不明だが、大きな組織というものは基本的に冷徹である。
「そういうことです」
 ミゥが満足げに頷いていた。
 だが、それで終わりではないらしい。
「そして――」
 手提げ鞄に手を入れ、
「これ」
 小さな試験管を取り出した。中には薄い緑色の液体が入っていて、コルクのような木の栓がされている。一見した外見は薄めたメロンシロップだった。何かの薬だろう。
「こっそり採集した千景さんの髪の毛と唾液と汗を混ぜて、色々と薬品を加えた一種の栄養剤のようなものですけど」
「……お前なぁ」
 肩を落とし、半眼でミゥを睨み付ける。
 一緒に暮らしているので、採集する機会は充分あるだろう。だが、その体組織の持ち主としては、勝手に髪やら何やらを集められるのは、到底いい気分ではない。
 千景の眼差しも気にせず、ミゥは試験管の蓋を取った。
「これが、千景さんの体組織がボクたちに及ぼす効果です。実際に見て下さい」
 試験管の中身を迷わず呑み込んだ。
「おい」
 その行動に、思わず声を上げる。
 ミゥはおそらく自分の好奇心を満たすためなら、何でも実行してしまう。千景に薬を投与したいと言っていたが、他人だけでなく自分を実験台とすることにも躊躇いはない。いや、自分自身が一番身近にいいる実験対象なのだろう。
 緑色の燐光が弾ける。
 ミゥの背中から現れる三対、六枚の羽。木の葉を思わせる形状の、緑色の妖精炎の羽。それは今までの羽よりも力強く輝いていた。羽の力で、千景の視線と同じ高さまで浮かび上がる。輝く緑色の妖精炎を示しながら、
「こんな具合ですねー。およそ通常時の三倍強まで妖精炎が強化されました。明後日くらいまでこの効果は続くと思います。昨日何があったかはあえて言いませんけど、おそらく今のピアも似たような状態だと思いますよ。これほど効果は強くないですけど」
 朝からピアが元気だった理由。昨日の夜、色々あって千景の唾液や汗を取り込んだからだろう。それによって妖精炎の一時的な強化がなされていた。
「待てよ?」
 昨日、千景と口付けをしてから、身体が熱いと言い出したピア。
 ミゥの言葉が、千景を思索から現実に引き戻す。
「あと、千景さんの体組織を取り込んだ場合、厄介な副作用あるんですよねぇ。その症状から、発情発作と名付けてみましたけど……」
 両手で身体を抱きしめる。
「これは……想定していたよりも、辛いですねー……。身体が、疼きます――」
 顔は笑っているが、今までの余裕は消えていた。頬が赤く染まり、頬や腕にうっすらと汗を滲ませている。呼吸も上がっているようだった。身体が小刻みに震えている。
 ミゥの言葉通りの、発情発作。
「お前、なぁ……」
 その無駄な行動力に、千景はただ呆れていた。
 ふらふらと千景に向かって飛んでくるミゥ。
「うぅ……千景さん。とりあえず、助けて下さいー」
「分かったよ」
 左手でミゥを受け止め、右手で印を結ぶ。
「黒結界」
 手から放たれた黒い霧のような霊力が、一瞬で部屋を埋め尽くした。光と音が消える。ピアが使った闇の光の結界のような術だった。部屋の内外の音の伝わりをほぼ完全に遮断する。部屋に残った黒い霧が、部屋を暗く染めていた。
 すがりつくように千景の腕に捕まるミゥ。
「ボク、こういう事……初めてなんで、えと……優しくして下さいね?」
 目元にうっすらと涙を浮かべ、それでも強引に微笑むミゥを眺めながら。
「無茶しやがって……」
 ため息混じりに、千景はそっとミゥの頭を撫でた。

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黒結界
黒い闇の霧で部屋を埋め、外部との音や光を遮断する。
11/3/17