Index Top 第2話 緑の探求心 |
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第2章 欲しいものは |
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肩に乗せたミゥは軽かった。 千景に肩に跨ったいわゆる肩車の姿勢。両手で頭に掴まっている。小さな子供を肩車しているような感覚だが、子供違ってミゥの身体は安定していた。 「砥石に料理の本、理科年表か。統一感無いな」 買う物を書いたメモ紙を眺め、千景は歩道を歩いていく。 黒いジャケットとズボンという半冬用の服装だった。 行き先は近所のホームセンター。二車線道路の横にある歩道を進む。千景は簡易結界を作って、ミゥの姿を眩ませていた。術を使えない一般人が見ても、ミゥの存在や千景との会話は、その意識の表層まで届かない。 「みんな個性的ですからねー」 他人事のように笑うミゥ。 千景はポケットに手を入れた。財布には一万円札が五枚納められている。 「お前らの生活費も含めての仕送りだろうし、欲しいものは買ってやるよ。あんまり高いものとかは無理だけど。生活で不自由はさせないつもりだ」 と、手を持ち上げてミゥの頭を撫でた。ピアとは少し違う柔らかい髪質だった。 千景は手を下ろして尋ねる。 「ミゥは何が欲しいんだ?」 「えーとですね、注射器と生理食塩水が欲しいんですけど」 出された単語に、千景は息をついた。 「いきなり難易度高い注文だな……。実家のツテ使えば簡単に手に入るけど、そこらの薬局とかで買えるもんじゃないぞ。そもそも何に使うんだ、ンなもん……?」 主に薬剤を体内に注入するための器具。病院などでは見かけるが、普通は一般人に売り出すことはない。少なくとも、入手には処方箋など医師の証明が必要である。 ミゥは不思議そうに言い返してきた。 「何って注射器ですよ? 注射に決まってるじゃないですか」 「誰に?」 「千景さん」 こともなげに答える。その言葉に迷いは無い。 「何を?」 「まだ決めてませんけど、ボクの作った薬を実験的に」 「………」 千景はメモ紙をポケットに入れた。 晴れた空と南から流れ込む風のおかげで、ほどよい気温である。空は青く、春の綿雲がいくつか浮かんでいた。五分咲きほどまで開いていた桜の木がちらほらと見える。微かに漂う若葉と花の香り。ミゥを肩車したまま、千景はペースを乱すことなく歩いていた。行き先は、一番近いホームセンター。 一呼吸してから、千景は口を開いた。 「お前らフィフニル族っておそらく精霊の一種だから、かなーり頑丈だと思うけど。どうやったらさくっと死ぬ? 今後万が一の事態も考えられるし、こういう事は早めに訊いておこうと思うんだ」 「さすが千景さん、いきなり物騒な事言いますねー」 楽しそうにミゥが声を弾ませる。一種の冗談と受け取ったのかもしれない。言っている千景自身、本気なのか冗談なのか分かっていないが。 「……人体実験宣言よりは穏便だろ?」 「生身の人間よりは遙かに頑丈ですよー。時間かければ身体の半分失っても元通りに再生できますから。妖精炎魔法で痛みとかは簡単に消せますし。ボクたちって千景さんが思ってるよりも強いですし、しぶといですよ?」 得意げに説明するミゥ。 「なるほどね」 千景は唇を舐める。実際その通りなのだろう。 見掛けは小さな女の子だが、中身は特殊だ。幻界の生き物なので、精霊とも違う。妖精炎魔法も強い力を持っている。もし戦うことになったら、一筋縄ではいかない。 ゆっくりと右手を持ち上げ、千景は口を開いた。 「右足の付け根のちょっと上辺り」 「………」 指先をミゥの右足の付け根のやや上に触れさせた。指先に触れるのは、ハーフパンツのやや固い生地。だが、千景が示しているのはその奥だった。 その一手に、ミゥが身体を硬直させる。 「そこに濃い力の集まった何かがある。一種の核みたいなもんじゃないかと俺は予想してるんだが、どうだ? それ砕かれたら、さすがに無事じゃ済まないだろ?」 「ふふ……。抜け目ない人ですね。好きですよー、そういう強かさって」 千景の推測に、ミゥは楽しそうに笑ってみせた。手で千景の頭を撫でている。 指を戻し、千景はメモ用紙を取り出した。 「まずは砥石か」 日用品や砥石の入った紙袋を右手に、千景は本屋に向かっていた。 「ホームセンターで時間かけすぎましたねー。でも、色々と面白いもの沢山売っていますし、ノアが来たらきっと一日中眺めてますよ」 「あいつはこういう場所好きそうだな」 ひたすらホームセンターを物色する黒い妖精を思い浮かべ、千景は思わず笑ってしまった。色々なものが売っている店は、眺めているだけでも充分に面白い。 「あとは、理科年表と料理の本と、食い物か」 ミゥと話しながら売り場を眺めていたら、十一時を過ぎてしまった。早めに本屋で買い物を済ませるべきだろう。食材は午後に回した方がいいかもしれない。 「あのー……。ボクの注射器と生理食塩水は?」 ミゥが訊いてくる。 千景はきっぱりと告げた。 「買わん」 「えー。何でですかぁ!」 足をばたばたと動かしながら、ミゥが文句を言ってくる。 「欲しいものは買ってやるって言ったじゃないですか。買って下さいよー。実家のツテとか何かで。人間用の注射機無いと投薬実験できないじゃないですか!」 その様子からして、八割方本気で千景に薬物投与の実験をしたいようだった。どんな薬を考えているのかは不明だが、それがぞっとしないものとは容易に想像が付く。 「実験台にするとか言っているのに、誰が買うか!」 「大丈夫ですよー、多分死にませんから」 「多分ってなんだ、多分って!」 そんな事を言い合っていると。 肩に乗っていたミゥの重さが不意に消える。 「あっ」 「ミゥ?」 千景は振り向いた。 脈絡無く肩からミゥが消える。あまりに唐突過ぎて、思考が追い付かない。気を緩め過ぎた事に舌打ちしつつ、千景は周囲へと視線を飛ばした。 不安をよそに、ミゥはすぐに見つかった。 「うわ、何かボク捕まっちゃいましたよ……!」 見覚えのある女の両腕に抱きかかえられている。ちょうど千景が飛び掛かっても届かない位置で。気配を消して近付き、背後からミゥを捕まえたのだろう。 「こんにちは、千景くん」 二十代半ばの女だった。背は高くもなく低くもなく。肩下まで伸ばした黒髪に、おとなしめの顔立ち。普通に見るなら、どこにでもいる女性だろう。だが、そうでない事は千景自身よく知っている。白い長袖の上着と青いプリーツスカートという、どこかセーラー服を思わせる恰好だった。両手でがっしりとミゥを抱きしめている。 手足の関節を取っていたと表現する方が正しいかもしれない。 「……厄介姉妹の姉? 何してんだよ」 目蓋を下ろし、千景は唸った。威嚇するように。 暴れるのを止めて、ミゥが女を見上げた。 「あ。千景さん、このお姉さん知ってるんですか?」 「知ってるさ、知ってるとも。木野崎秋奈――! 通称、厄介姉妹の姉。その名の通りのはた迷惑なヤツだよ。てか、こんなトコで何してるんだよ」 秋奈を睨みながら、千景は呻く。沼護分家、木野崎家の長女だった。今は実家にいると聞いている。少なくとも、千景の前に現れる理由は無いはずだ。 だが、現実として目の前にいて、ミゥを捕まえている。 「私、退魔師の仕事でしばらくこっちに住むんだよ。千景くんの一件も仕事のひとつに入ってるしね。でも、一人暮らしだと寂しいから、千景くんの所の妖精さん、一人くらいお持ち帰りしちゃってもいいかな〜、って」 「いいわけないだろ。さっさと返せ――」 千景はミゥを取り返そうと詰め寄るが、秋奈は数歩下がって手を躱した。 「千景さーん!」 ミゥが両手を伸ばして来るが、届かない。 「返して欲しかったら、力尽くで奪い返してみなさい」 右手で手招きしながら、秋奈。目を細めて笑っている。この状況を楽しんでいるようだった。笑えない冗談で人をからかうのが、昔から好きな女である。しかも、度が過ぎているという自覚がいまいち薄い。厄介と言われるのはそのためだ。 「いいだろう。俺もちょっと本気出してやる」 千景はジャケットのポケットから白いハチマキを取り出した。何も書かれていない棒鉢巻。それを額に巻き付け、頭の後ろできつく縛る。意識が鋭く研ぎ澄まされ、指の先端まで力が流れ込んだ。 不安げな表情で、ミゥが千景と秋奈を交互に見ている。 「ミゥを返してもらうぜ――!」 右手を拳に硬め、千景は地面を蹴った。 |
11/2/24 |