Index Top 第1話 唐突な居候たち

第6章 白妖精の決意


「まったく、えらい居候が来たもんだよ……」
 声に出さずにボヤきながら、千景は湯船に浸かっていた。
 湯船の大きさは実家の半分以下だが、それで不便に思うものでもない。やや熱めのお湯に肩まで浸かり、壁に取り付けられた浴室ライトを眺める。剥き出しではなく、カバーのかけてあるオレンジ色の蛍光電球。
 畳んだタオルを頭に乗せたまま、千景は一息ついた。
「ご主人様――」
 外から声が聞こえた。
 千景は一度意識を止め、ドアを見る。一般的なユニットバスによく使われる、二枚折り式の曇りガラス戸。微かな軋み音とともに戸が開いた。
「湯浴みのお手伝いに参りました」
「参りましたぁ」
 二人の妖精が浴室に入ってくる。
「………」
 湯船に浸かったまま、千景は目を点にした。
 白い髪の妖精と、緑色の髪の妖精。ピアは眼鏡を掛けているが、それ以外身に付けているものはなかった。二人とも、いわゆる全裸。一糸まとわぬ姿――
「ピアと、ミ……ミ……ミゥ」
「あ。今度はちゃんと名前言えましたねぇ」
 両手を合わせて、嬉しそうに笑うミゥ。
 身長は六十センチほどの小さなものだが、その身体は立派に少女のものだった。胸の膨らみや、腰のくびれ、何もない下腹部、太股や二の腕の緩い曲線。どこか人形めいた、均整の取れた肢体である。何と比較するわけでもないが、かなりきれいな身体だろう。ミゥの方が胸が大きいようだった。
 五秒ほど呼吸と思考を止めてから、千景は唾を飲み込む。
「手伝いって何だ……?」
「お背中をお流しします」
 と、ピア。一体どこに隠していたのか、折り畳んだタオルを持っていた。ごく普通に身体を洗いに来たようである。他意は無いらしい。
 千景は思考を三回転させてから、左手を持ち上げた。
「いや、大丈夫だ。問題は無い。もう身体は洗ったから、うん。俺はもうしばらく一人で湯船につかっていたいんだ。好意はありがたいけど、またの機会にしてくれないかな」
 なるべく平静を装ってそう告げる。表情が固かったり、視線が定まらなかったり、口調が不自然だったりするのは自分でも分かった。だが、あえて気付かないでおく。
「そうですか、残念ですねぇ」
「では、また明日。湯浴みの時は声を掛けて下さい」
 一礼するピア。
 粘って身体を洗おうとするかとも思ったが、二人は素直に風呂場から出て行った。千景の意に反することをする気はないようである。
 ガラス戸が閉じるのを確認してから、千景は息を吐き出した。


 椅子に座ったまま、コップの水を飲む。
 ピアが用意したものだった。何か手を加えたらしく、水道水の味ではない。
 ピア、ミゥ、シゥ、ノア。今は四人揃って風呂に入っている。何を話しているかは分からないが、風呂場からは四人の話し声が聞こえた。
「元々人に裸を晒す抵抗が薄いのか……?」
 寝間着姿の千景は、コップを片手に風呂場の方を見た。台所兼リビングから、簡単な脱衣所が見える。一畳分ほどのスペースがあり、向かって左側が風呂場、右側に洗濯機、奥がトイレになっていた。元々一人暮らし用のアパートなので、仕切りなどはない。だが、明日にでも買ってこようと心に決める。
 ピアたちは千景が見ていることを気にせず服を脱いでいた。フィフニル族の文化というのは今まで気にしていなかったが、色々と人間とは違うようである。
「これが、異文化交流ってヤツかー。違うよなー……」
 千景はコップの水を飲み干し、右手で額を押さえた。


 ベッドに寝転がったまま、天井を見上げる。
 午後九時過ぎ。ベッドテーブルに置かれた電気スタンドの明かりが、部屋を白く照らしている。閉じられたカーテン。隣の部屋から音は聞こえない。四人はもう眠ってしまったのかもしれない。
 そんな事を考えていると、
「ご主人様、もうお眠りになりましたか?」
 軽いノックの音と、もう聞き慣れた声。
「まだ起きてるぞ」
「入っても宜しいでしょうか?」
「ああ」
 ベッドから起き上がり、千景は頷く。微妙に嫌な予感を覚えながら。
 ゆっくりとドアが開き、ピアが入ってきた。
 服装は昼間とは違い、簡素な白い長衣を着ている。バスローブか浴衣を思わせる服で、おそらく寝間着なのだろう。この恰好でも肩から鞄を提げていた。
 羽は広げず、床を歩いてくる。
「ご就寝前に、何かご用事はないかと思いまして」
「特に無いなぁ。あとは寝るだけだ。今日一日随分楽しかったよ」
 緩く腕を組み、千景は笑った。半分本音の半分社交辞令の言葉。他にも言いたい事はあるが、余計な事は言わないでおく。大変だったが、楽しかったのは紛れもない事実だ。
「ありがとうございます」
 嬉しそうに微笑み、ピアが一礼する。
 そして、両足に履いていた室内靴を脱いだ。と同時に背中に白い燐光が集まり、六枚の羽が作り出される。透き通った音色が、微かに耳に届いた。妖精炎を帯びた羽が、小さな身体を空中へと持ち上げる。
 ピアは千景のベッドの上に降り立った。
「どうしたんだ?」
 状況が理解できず、千景はピアを見る。
 白い妖精の少女。身長およそ六十センチほどの身体。外見年齢は人間で言う十六、七歳くらいだろう。背中半ばまで伸ばした外跳ね気味の白い髪と、柔らかな顔立ち、細長い尖り耳。眼鏡に奥に見える銀色の瞳には、生真面目な意志が映っている。
 その背中からは光の羽が生えていた。鋭利な形状の六枚の羽。
「………」
 奇妙な沈黙は約二秒。
 何かを決心したように一度頷き、ピアは肩に掛けていた鞄を外した。今まで外さなかった鞄をベッドの隅に置く。それは一種の覚悟の表れなのだろう。
 ピアが口を開いた。やや堅く、至って真面目な口調で。
「最後に、夜のご奉仕をさせて頂きたく思います」
「ご……」
 思わず自分の耳を疑うが、聞き間違いでは無いらしい。
(夜のご奉仕って、あれかー、夜伽ってヤツか?)
 千景が一人思考をしているうちに、ピアが右手を持ち上げた。背中の羽から生まれた妖精炎が、右手の指先に集まり、闇色の光の粒を作り上げる。
「これは……」
 手を出すか、否か――
 一瞬の現実的な思考から、千景は後者を選択した。
 指先に集まった闇色の光が、弾ける。ほんの瞬きひとつ分の時間。閃光が辺りを白く染めるように、黒い光の閃きが辺りを黒く染め上げた。だが、散った黒い光は消えない。
 その闇の中に残ったのは、千景とピアだけである。お互いの姿ははっきりと見えた。
「隔離結界のようなもんかな? そんなに強いものじゃないようだけど」
 手に感じるベッドのシーツを触りながら、千景は頷いた。
「闇の光で部屋全体を覆いました。音と光を遮断し、外から見えなくします。音も外には漏れません。本来はこのような用途に使うものではありませんけど」
 ピアはぎこちなく微笑んだ。羞恥心のためか、頬が赤く染まっている。
「それでは、ご主人様。わたしの身体では物足りないかもしれませんが、僅かばかりでもご堪能頂ければ幸いです」
「……できれば本来の用途で使ってくれると、ありがたかったなー」
 声に出さずに、千景は頬を引きつらせる。
 この結界の本来の用途は、十中八九暗殺である。密談にも使えるだろうが。ピアがもしここで命を狙う気で行動したならば、千景も相応の対応が取れただろう。中身はどうあれ、その方が精神的には気楽である。
 そんな現実逃避をしていると、ピアは頬を薄く染めた。
「わたしの服、お脱がせになられますか? それともお脱ぎになりましょうか?」
 と、硬い口調で訊いてくる。
 千景は大きく息を吐いてから、何とか言葉を絞り出す。根本的な問い。
「夜伽を頼んだ覚えはないんだけど」
「そ、それは……。わ……わたしがご主人様の為に勝手にしている事ですから。わたしのことは、気にしないで下さい。ご主人様のご自由にしていただいて構いません……!」
 両手を胸元で握り締め、やや早口に宣言する。
 千景は左手で口元を押さえた。
(ピアがここまでする理由……は、想像が付く。生真面目そうな子だからな。さて、俺はどうするべきだ? これは……? 据え膳食わねば男の恥、か……知るかボケ)
 そっと手を伸ばし、千景はピアの頭に右手を乗せた。
 柔らかな髪の手触り。少し癖のある髪質。
 少し宥めるようにピアの頭を撫でてから、千景は口端を持ち上げた。
「ご主人様?」
 不思議そうなピアの視線に、千景はピアの頭から手を放した。
「すまん。じゃ、お言葉に甘えさせてもらうぞ」
 千景は左手でピアの小さく柔らかな身体を抱き寄せ、右手を着ている長衣に触れた。前を合わせの服をボタンで留める構造なので、脱がせるのは難しくもない。
 ボタンを外し、衣の前を開く。
「……ッ」
 ピアの頬が赤く染まる。
 身に付けているものは、質素な下着。雪のように白いブラジャーとショーツだけだ。下着には、何かの花を象ったレースの装飾が施されている。
 下着姿の小さな少女。不思議な美しさと妖艶さを纏っていた。
「綺麗だな」
「あ、ありがとうございます」
 戸惑いながらも、ピアが律儀に謝辞を口にする。
 千景は一度息を吸ってから、その小さな身体を両手で抱き上げた。思ったよりも軽い。構成する物質のせいだろうか、ピアの身体は 二キロほどしかなかった。
「ご主人様?」
「いきなりだが、ピアはキスはしたことあるか? キス、口付け、接吻とか」
 銀色の瞳を眼鏡越しに見つめ、千景はそう尋ねた。
 ピアは一度視線を泳がせてから、小さく頷く。
「え、と、何度か。フィフニル族では挨拶のひとつですから」
「そうか、なら失礼するよ」
 にっと微笑み、千景はピアの小さな唇に自分の唇を重ねた。
「!」
 ピアの身体か驚きに強張る。
 歴然とした体格差。しかし、千景はそれを無視して、やや強引に口付けを行った。ピアの小さな咥内に、遠慮無く自分の舌を差し入れる。両手で小さな身体を抱きしめたまま、さながら唾液を味わうように舌を動かした。舌先に感じる甘味。
「ん、んん……」
 ピアが小さな舌を絡めてくる。お互いに舐め合うような淫らな口付け。
 ふと見ると、ピアの銀色の瞳がとろけたように虚空を捕らえていた。
 千景はその小さな顎を持ち上げ、絡み合う舌を伝わせ、己の唾液をピアの咥内へと流し込んでいく。やや間をおいて、ピアが唾液を飲み下す音が聞こえた。
「ん、ぁ……」
 ピアの口から漏れる甘い吐息。
 千景は指でそっとピアの髪を梳く。外跳ねの付いた銀色の髪を。
 時間にすれば三十秒くらいだろう。ただ、時間以上に濃密なキス。
「ふっ」
 千景はピアの口から自分の口を離した。口の中に感じる奇妙な甘さ。砂糖などの糖分とは違う、なんともいえぬ甘露。それはピアの唾液の味だった。
 半ば放心状態のピアを、千景はそっと胸に抱きしめた。ピアの不安と不信と恐怖を、受け止めるように。優しく頭を撫でながら、囁くように話しかける。
「これで十分だ。お前の気持ちは分かったよ。不安なのは分かるけど、そんなに心配することはないって。無理はしていいけど無茶はする必要は無い。俺はお前たち四人をちゃんと受け入れるよ。だから、大丈夫。安心してくれ」
「ありがとう……ございます……」
 ピアが小さく頷くのが分かった。

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闇の光の結界
闇色の光でひとつの空間を包み込み、その内外の音と光を遮断する。遮断効果は大きく、大声で叫んでも外に声が届くことはない。
暗殺用の魔法だと、千景は判断した。

10/12/13