Index Top 第1話 唐突な居候たち |
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第1章 妖精たちのいる理由 |
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玄関から入ってすぐの、八畳のキッチン。 右側には浴室へのドアと、トイレへのドアがある。左側には西向きの窓があった。部屋の中央には四人用のテーブルが置かれている。流しやコンロはきれいで、床にゴミも散らかっていない。ここに来てからまだ三日目なので当然だろう。 千景の脱いだコートは椅子に掛けてあった。 妖精少女四人が、どこから持ってきたのか手荷物の整理をしている。外で履いていたブーツのような靴ではなく、サンダルのような室内靴に履き替えていた。 「ミゥ、そちらの荷物を開けて下さい」 「はい、これですねー」 「おい、ノア。オレの草知らないか?」 「ここに」 ここに住着くことは決定事項として進んでいるらしい。 四人に背を向けたまま、千景は窓辺に立って携帯電話を耳に当てていた。電話先は実家の父親、中里昭雄。呼び出し音がしばらく響き、 『もしもし』 聞き慣れた声。 「あ、オヤジか。俺だ」 『千景か。てことは、四人はもうお前の家にいるんだな?』 当然とばかりに言ってくる昭雄。状況は把握済みで、千景が電話してくることも予定通りらしい。今までの経験からすると次に何を言われるかも予想済みだろう。 それを承知で千景は口を開いた。 「状況が理解できないんだが、どういうことだ? 俺にも納得いくように説明してくれないか? 何なんだ、あの子たちは……妖精?」 『実は俺もよく分からん』 あっけらかんとした返事。 後ろの気配を探ると、四人の引っ越し準備はまだ続いている。ガラス窓の反射で見ると、日用品のようなものを確認しているようだった。 千景は左手で両目を押さえ、 「使えねー」 『親に向かって使えないとは失礼なヤツだな。まったくどういう躾を受けているんだお前は。親の顔が見てみたいわ』 「つまらん冗談はいいから、状況を説明しろ」 電話の向こうで少し落ち込んだのが分かった。 気を取り直すように咳払いをしてから。 『義邦さんの話だと、その子たちは幻界から来たらしい』 「幻界――ってあの幻界か? 本当かよ……」 にわかには信じがたい言葉に、千景は訝る。 幻界。精霊界よりも離れた場所にある異界のひとつ。存在が非常に希薄で、人界とのつながりも無いに等しい。存在は確認されているが、どういう場所かもほとんど分かっていないし、積極的に研究する人もいない。人間が生身で幻界に行くことはできない。幻界の住人はこちらに来ることはできるらしいが、滅多に来ないらしい。 『事情があって向こうに帰れないから、こっちにしばらく住むそうだ。で、その居候先としてお前に白羽の矢が立った。しばらく面倒見てやってくれ』 「状況は理解できたが、納得はできないぞ。何でそんな厄介そうな仕事が俺に回ってくるんだよ。俺がまだ正式退魔師免許も持ってないってのは、オヤジも知ってるだろ? てか、完全に事後承諾の流れだな」 自然と声が大きくなってしまう。 ちらりと目を移すと、心配そうなピアの姿が映った。 自分はまだ正式免許も受けていない未熟な退魔師。幻界からの訪問者の面倒を見るというのは、明らかに過ぎた仕事だ。何かあっても対処できない可能性が高い。 しかし、昭雄は迷いなく続ける。 『単純に面倒見るなら、日暈とか月草……じゃなくて、月雲とかが適任なんだろうけどな。あの血筋は、面倒見がいいし。でも、何故かお前が指名された。こいつは守護十家当主会議の決定だからな。下っ端のお前に拒否権は無い。後日命令書類送るから』 「おい……」 思わず呻く千景。守護十家の当主会議の決定。極めて重要なことなどが話し合われる、退魔師業界の最重要会議である。その会議で自分が指名される理由が全く分からない。 『ま、そういうことだから、頼むぞ』 「いや、待て。俺はまだ承諾してないぞ!」 電話を切る空気に移っている昭雄を、慌てて引き留める。なし崩しに決定されたのではたまったものではない。事情も呑み込めないし、理由も分からない。当主会議の決定だろうが、大人しく従う気はなかった。 不安げに両手を握っているピアと、無理な笑みを作る緑の妖精、腕組みして険しい表情を見せる青い妖精。黒い妖精は無表情のまま変わらず。 四人の視線を受けながら、 『仕送り月二十五万円。家賃別』 「了解した。四人のことは俺に任せて欲しい」 千景は即答した。 『じゃ、頼むぞ〜』 その言葉を最後に電話が切れる。 千景は携帯電話をポケットに入れて、振り返った。自然と浮かぶ爽やかな微笑み。 四人の荷物整理は終わったようである。それぞれの傍らに、小さな鞄が置いてあった。 「ま、色々あるけど、これからよろしく」 「今思いっ切り買収されただろ……」 青い妖精が組んでいた腕を下ろし、ジト目で睨んでくる。 だが、千景は臆することなく堂々と答えた。 「気にするな、問題ない」 「そうか。お前が納得しているなら、オレは何も言わえねぇよ」 呆れたようにため息をつきながら、首を左右に動かす。頭の動きに合わせて、長い青髪のツインテールが揺れた。この妖精は口が悪い。 千景はピアに目を移した。新しい環境に置かれて緊張しているようである。しかし、落ち着いて雨風の凌げる場所に来て安心しているようでもあった。 「さっき、俺のことを"ご主人様"って呼んだのは何でだ? 最初会った時は千景さんって呼んでたのに。ちょっと見ない間に何あったんだ?」 「はい」 そう返事をしてから、ピアは答えた。 「これからわたしたちはご主人様の元で居候しろと、手紙には書かれていました。しかし、ただで居候になるわけにはいきません。ここに住まわせて貰う対価として、わたしたち四人でご主人様の身の回りの世話をします」 言っていることは正論である。 無賃で居候するわけにもいかないので、家の手伝いをする。現金を持っていれば家賃を出せるだろうが、この四人が日本円を持っているとも思えない。故郷の通貨は持っているかもしれないが、両替できなければ意味がない。 「炊事洗濯掃除、家事全般からそれ以外の事まで。完全に手助けさせて頂きます。何でもしますで、遠慮無く命じて下さい。わたしたちは全力でそれを実行します」 両手を腰の前で組み、ピアは一礼する。 眼鏡の奥の銀色に瞳に映るのは、生真面目な意志の光と縋るような必死さだった。事情を聞く限り、ピアたちには千景以外に頼るアテがいないのだろう。 千景は眉根を寄せてから、改めて尋ねた。 「それはいいんだが、何で"ご主人様"なんだ?」 「人間の世界では、家事手伝いは自分が仕える方をご主人様と呼ぶようなので。もしかして、お気に召さなかったでしょうか?」 やや不安げな表情を見せるピア。眼鏡越しに見える不安げな瞳。 千景は窓に背を預けながら、天井を見上げる。 「間違ってはいないと思うぞ。多分……」 「そうですか。それでは、改めてよろしくお願いします」 背筋を伸ばして一礼するピア。 千景は色々腑に落ちないものを覚えながら、乾いた唇を嘗めた。さきほどの父の態度を思い返す。隠していることは多いだろう。訊き出すのは無理。そこは自分で調べて考えなければならない。 今後の苦労にため息をついてから、千景はピアの左に並んだ三人を見つめた。 「そういえば、そっちの三人の名前聞いてなかったな」 「ようやく自己紹介ですねー。はい。ボクはミゥですー。千景さん。もし病気とかケガとかしたら、遠慮無く言って下さいね。ボクが完璧に治療しますから」 右手を軽く持ち上げ、緑色の妖精が気さくに挨拶してくる。セミロングの緑色の髪に、子供っぽい表情。白衣のような形状の緑色の上着に、緑色のハーフパンツという格好だ。 微妙に間延びした口調で、穏和な笑みを浮かべてはいるが、その笑顔の中に黒いものが見て取れる。警戒しておいた方が安全だろう。 続けて、黒い妖精が見上げてきた。 「自分はノア。よろしく、千景さま……」 挨拶はそれだけである。無表情のまま、感情の無い声。肩の辺りで切りそろえたボブカットの黒髪と、両手両足を隠す丈の長い黒い衣服。その黒い瞳にも目に見える感情が映っていない。他の三人とは明らかに雰囲気が違う。 「オレはシゥだ」 最後に青い妖精が声を上げた。腕組みしたまま、鋭い眼差しを向けてくる。長い青色の髪をツインテールに縛り、半袖の青い上着とズボンという格好で、背中に氷の刃を持つ剣を背負っていた。両腕に銀色の小手を付けている。 「先に言っておくが、オレはお前の命令に従う気はない。居候させて貰う代わりに手伝いはするけど、それ以上のことをする気はないからな」 「個性的な連中だなぁ」 額に手を当て、千景は乾いた笑みを浮かべた。 |
10/11/06 |