Index Top 第6話 夏休みが始まって |
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第5章 魂を繋ぐ方法 |
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服と下着を脱いで、バスタオルを身体に巻いたままリビングに戻る。部屋の冷気が素肌を撫でた。裸ではさすがにやや肌寒い。尻尾の根本が震える。 「脱いできました」 「少々お待ち下さい。すぐに出来ますから」 視線を向けもせずに、白鋼が答えた。 大きめの漏斗と濾紙で、薬を濾過していた。漏斗の口から下のガラスコップに落ちていく透明な液体。濾紙の上に溜まっているのは、ドドメ色の液体。 やることもないので、ソファの元の位置に座る。 浩介には目もくれず、真紅の瞳で濾紙を見つめる白鋼。 「暇だな」 益体なく尻尾の先を弄りながら、浩介は大人しく待っていた。 一分ほどして、コップに五十ミリリットルほどの液体が溜まる。無色透明、無臭の液体。コップを横に取り出すと、薬包紙に残った白い粉を落とし、ガラス棒でかき混ぜた。 途端、透明な液体が黒く染まり、強烈な異臭を放ち始める。例えるなら、工業化学廃液。薬というか、身体に入れていいものとは思えない。 「どうぞ」 お茶でも勧めるように、その毒液を浩介の前に置く白鋼。 「……これ、飲むんですか?」 「注射の方がいいですか?」 大きめの注射器を取出し、にっこりと微笑んだ。普通の注射器の二倍くらいの容量で、銀色の針が不気味に光っている。選択肢はひとつ。 「飲みます」 きっぱりと答えてから、浩介はビーカーを掴んだ。 口元に近づけると、強烈な臭いが鼻を突く。ちらりと白鋼を見やると笑顔で注射器を見せる。覚悟を決めないといけないらしい。 浩介は二度深呼吸をしてから、コップの縁に口に付けた。 「南無三!」 そのまま中の液体を一気に口に流し込む。 瞬間、意識が揺れた。口から鼻へと突き抜ける異臭と、味覚を抉るような凄まじい味。たった半秒で本能がその危険性を理解する。これは危険だ、と。 だが、浩介はそのまま液体を胃へと流し込んだ。 「うおぉあぁ……」 口から漏れる苦悶の呻き。五十ミリリットル程度なので一口で飲め込めたが、鼻や舌には不味いと形容するしかない味と臭いが残っていた。 刺激が目まで届いて、涙が止まらない。 「どうぞ」 差し出されたコップを受け取り、中身の水を飲み干す。無味無臭の透明な液体が、口に残ったエグ味を胃へと押し流した。それで、手品のように味と臭いが消える。もしかしたら水ではないのかもしれない。 「ん……?」 薬の効果はすぐに現れた。 手足の先に感じる違和感。淡い喪失感が手足を支配し、何も感じなくなっていく。正座した時の痺れから苦痛を取り去ったような奇妙な感覚。 「え、ええ? え……? 待て、ちょ、え?」 それは瞬く間に手足を浸食していき、十秒も経たずに全身から感覚が消えた。 自分がそこにいることは分かる。ソファに座っているという感覚もある。しかし、それらに全く現実味がない。夢の中にいるように。 白鋼が立ち上がった。ほぐすように指を動かしてから、尻尾を一振りする。 「今の薬で、肉体と精神の結合を外しました。放っておくと十分くらいで死んでしまうので、手早く行きます。立ち上がってバスタオルを取って下さい」 「はい……」 引きつった返事とともに、浩介は立ち上がった。 ふわふわと雲の上に立っているような錯覚。平衡感覚を感じられない。ふと、リリルの様子を思い出す。最初に判子を押して魔力の結合を外した時。おそらくこんな不安定な状態だったのだろう。 「バスタオルは取って下さい」 「え、はい」 数瞬躊躇してから、浩介はバスタオルを取った。 一糸まとわぬ姿で気をつけの姿勢。しかし、それほど恥ずかしいという気持ちはない。医者で診察を受けているような気分である。 浩介の裸を前にして白鋼は眉ひとつ動かさない。白鋼も相当な美人である。美人の裸は見慣れているのだろう。 ふっと白鋼が眉根を寄せる。 「……何考えてるんですか?」 「いえ、何も」 浩介は首を左右に振った。 「そうですか。では、じっとしてて下さい」 白鋼が両手を向かい合わせ、いくつかの印を結ぶ。複雑な印ではないが、高密度の力が恐ろしく精緻な術を組み上げた。妖力や法力、霊力などとは違った力。 「逆式合成術です。日暈家の合成術と真逆の原理、規模と出力を犠牲に精度を上げる、霊力、妖力、法力、魔力の四種合成……これでようやくナノ単位の精度に届きます」 こともなげに説明してから、白鋼は右手を浩介の胸に触れさせる。心臓の真上。 「印!」 術式とともに放たれた力が、全身を駆け抜けた。骨から神経、血管、筋肉、皮膚、さらには体毛まで、体組織全てに浸透していく。 「う、ぐ……」 凄まじい違和感に、浩介は短く呻いた。見えない針に全身を貫かれたような、そんな感触。痛みは感じないが、およそ気持ちのいいものではない。 三秒も経たずに違和感が消え、身体に感覚が戻る。 「第一段階は成功ですね」 「そう、ですか」 緩慢に深い呼吸を繰り返しながら、浩介は頷いた。心臓の鼓動が耳まで届いている。緊張による疲労を感じるものの、感覚は以前と変わらない。 何となく両腕で胸と股間を隠してしまう。 白鋼は狐耳の縁を撫でながら、 「草眞くんが逆式合成術を教えたいと言っていたので第一段階は見せましたが、これから先は僕の機密事項なので見せられません。というわけで、眠って下さい」 「え?」 訊き返す暇もなく、白鋼の人差し指が眉間に触れる。 眠りの術と脳裏に閃いた時には、浩介の意識はかき消えていた。 図書館の片隅にて、リリルは取り留めもなく本を読んでいた。適当に選んだ風景の本。活字の詰まったものを読みたい気分でもない。 午後の二時頃だろう。今日は夜中まで時間を潰すつもりだった。 「何か怪しいヤツが来るって言ってたし」 「それは僕のことでしょうか?」 若い女の声。 顔を上げると、背の高い銀狐の女が立っている。長い銀髪と狐耳、尻尾。白衣に紺袴という恰好。銀色の尻尾を左右に動かしていた。温厚そうな女に見えるが、怪しい。 リリルは本を閉じて隣の椅子に置いた。 「ああ。……とりあえず、お前男だろ」 「そうですよ」 隠すこともなく肯定する。 「白鋼です。よろしく」 一礼する白鋼。 リリルは眉根を寄せた。その名前には聞き覚えがある。日本の変人妖怪。マッドサイエンティストなどと呼ばれることもある、変わり者の研究者。腕は本物だった。裏社会で相当な地位に即いているという噂も聞く。 聞いた話では、五月初めに七尾の妖狐と戦い差し違え、その相手の身体を奪って生き延びたらしい。これがその妖狐の身体なのだろう。 白鋼はのほほんとした表情で言ってきた。 「浩介くんの処理は終りました。今は自分の部屋で寝ています」 「そうかい。それじゃ、これでアタシの魔力は必要なくなったわけだ。アタシはお払い箱ってわけだから、この契約外せないか? あんたなら外せるだろ?」 他者の肉体と魂をつなぎ合わせる――並大抵の技量で出来るものではない。少なくとも自分の知ってる連中に、そんな芸当の出来る者はいない。だが、白鋼はそれをやってのけた。ならば、本来破棄不能である契約を壊すこともできるだろう。 「無理ですね。草眞くんが君を欲しがっています。それに浩介くんも……」 そこまで言ってから、白鋼はやや言葉を選び、続けた。 「君を手放す気はないでしょう。彼は独りが嫌いですから。そして、あなたも彼から離れることはできないでしょうね」 「は?」 思わず訊き返す。聞き流すことができなかった。 「何でアタシがあいつから離れられないんだよ?」 「君はマゾっ気がある上に受け気質です。普段は強気ですが、一度攻められると一気に墜ちます。自覚はあるんじゃないですか? 他人に支配され服従させられることに快感を覚える性癖というか……強気の性格はその反動でしょう」 すらすらと告げてくる白鋼。 「何を根拠に……」 「草眞くんの話を聞いてと、浩介くんの記憶を読んで。残りは君を見た印象ですね。僕は人を見る目には自信がありますから、間違ってはいないでしょう」 リリルの問いに、問答無用の自信を以て答える。推測型で言っているが、完全に確信している口調。自分は絶対に間違っていないという絶対的な自信。 「そうそう、僕が君に会いに来たのはこれを渡すためです」 呆然とするリリルに首飾りを差し出す。小さな赤い宝石とワイヤーで作られた簡素な首飾り。一見しただけでは特別なものには見えないが、ただの首飾りではないだろう。 リリルがそれを受け取ると、白鋼は一礼して踵を返した。 |