Index Top 第2話 シェシェノ・ナナイ・リリル

第3章 世の中は不条理です


「何だこりゃ……おい、どぉゆぅことだ! これは? コースケ!」
 目覚めたリリルが声を張り上げる。
 両手両足と首にそれぞれ二つの金輪、頭の左右に羽飾り、尻尾にリボン。どれも封力法具だ。さらに、床や壁、天井から伸びた糸が全身を拘束し、手足を広げてた状態で固定されている。必死に動こうとしているが、指一本動かせず、声を上げることしかできない。服と下着は全部剥ぎ取ってあった。
 浩介は傍らの箱から判子を取り出し、それに刷毛で塗料を塗っていく。着替えは済ませてあった。リリルを見やり、答える。
「お前に犯されて前後不覚になったところで、草眞さんが俺の身体を動かして、お前を殴り倒した。危機は去り、一発逆転大団円」
「何だそりゃ? 明らかに反則だろーが! やり直しを要求する!」
 叫ぶリリル。
「それに、アタシを呼ぶ言葉が『あんた』から『お前』になってるぞ!」
「うちの近くには民家はないけど、あんまり騒がないでくれ」
 言ってから、浩介は部屋を眺めた。砕け散ったガラス窓に、フローリングにくっきり残る足形。どちらも、修理には万単位の金がかかる。痛い出費だ。
 ごまかすように、気になったことを口にする。
「お前、草眞さんに何したんだ? えらく恨まれてるみたいだけど」
「知るか、ボケ! とにかく、アタシを開放しやがれ! 殺すぞ……」
 両手を動かそうと力を込めるが、びくともしない。拘束されている演技には見えなかった。絶体絶命の危機に、本気で焦っているのが手に取るように分かる。
 塗料を塗り終わった判子を持って、浩介はリリルの前に移動した。
「待て、近づくな、寄るな!」
 両手を左右に伸ばした状態で、尻尾すら動かせない。
 浩介は尻尾を一振りし、リリルを眺めた。
 肩の下まで伸ばした銀髪と血のように赤い前髪。金色の瞳。メラニン色素とは違う、淡い褐色の艶やかな肌。豊満なバスト。引き締まったウエスト。形のよいヒップ。陰部には、銀色の毛が薄く茂っていた。まさに、肉感的という言葉が似合う身体。健全な男ならば、一発で魅了されてしまうだろう。上腕から肩を通り背中へ、胸の下に回って脇腹を通り太股まで、顔と同じ黒い稲妻のような模様がある。
「やめろ――頼む。何でもするから、やめてくれ!」
「俺がやめてくれって言った時は、お前やめなかっただろ?」
 浩介は笑顔で告げてから、判子を手に取った。
「知るか! ……じゃなくて、ごめん。アタシが悪かった。謝るから、やめてくれ、頼む。えと、何でもするから、土下座してもいいし、お前の願いだって三つ叶えてやる。だからやめてくれ。って、聞いてないだろ、おい!」
「うん」
 あっさり頷き、再び騒ぎ出すリリルを無視して、手際よく判子を押していく。判子には、押す場所が書かれていた。動くこともないので、押し間違うことはない。
 心臓の真上、鎖骨の間、左右乳房の真下にふたつ、下腹、首筋の下、尻尾の上。
 全ての判子を押し終わり、浩介は後ろに下がった。
 褐色の肌に、乳白色の文字が映える。
「あ……ああ……うあああ……!」
 リリルは喉を引きつらせ、断末魔のような声を上げた。文字に込められた法力が活性化し、薄い輝きを放っている。成功らしい。
 文字が身体に吸い込まれるように、消えた。
「……あ」
 糸が切れたように脱力するリリル。
 浩介は息を呑む。素人目にも分かるほど、存在が不安定になっていた。この状態で、法術などの攻撃を受けたら、ばらばらになってしまうだろう。今の浩介でも殺すことができる。リリルは完全に無防備状態となっていた。
「失礼します」
 浩介は声を掛けた。
 リリルの頭に手を沿え、顔を上げさせる。ぐったりとした表情。背中に手を回して身体を固定し、唇を奪う。頭は右手で押さえて、暴れないようにしてあった。
「! ……ッ!」
 目を見開くリリル。逃れることはできない。
 リリルの構成する魔力が崩れ、唇を介して浩介の中へと流れ込んでくる。水や空気とは違う何かが、口を通り、喉の奥に吸い込まれていった。舌を撫でても、味覚を刺激することはない。法力や霊力とは違う、力。魔力。
 抱えているリリルの身体が縮んでいく。
 ――魔族にとって、魔力とは命そのものじゃ。魔力を失えば、魔族は死ぬ。だから、普段は身体を構成するものとは別の魔力を使っておる。さきほどの印は、魔族を構成する魔力を全て混ぜ合わせて、防御機能を停止させてしまうものじゃ。
 ――この状態で、誰かが魔力を奪おうとすれば、それを止めることはできぬ。魔力を失った身体は、寿命の中間点を境に、老化か若返りが起こるのじゃ。
 リリルは寿命の中間点まで達していなかったのだろう。緩慢に、だが確実に若返っていく。顔立ちが幼くなり、手足が短くなり、胸が小さくなり、くびれがなくなり、腰周りが細くなっていく。
 その変化を十五秒ほど眺めてから、浩介は唇を離した。
 数歩下がる。
 糸が解けて、その場に崩れ落ちるリリル。拘束糸が消えた。
 それはひとまず置いておいて、自分の両手を見やる。
「すごい……。本当に、馴染んでる……!」
 右拳を勢いよく突き出し、引き戻しざまに左足を真上に蹴り上げた。以前では考えもつかなかったことが、たやすくできる。左足を頭よりも上に振り上げた状態から、周囲を蹴り払うように一回転。
 右足で跳び上がり、空中で縦に二回転。天井を蹴って、急落下。
 左手を床について、浩介は片手倒立を決めた。左手だけで全体重を支え、バランスを取る。人間の身体では不可能だ。しかし、今なら苦もなくできる。この体勢で、片手腕立伏せを行っても、どこも痛まない。片腕で全体重を支え、腕を折り曲げ、また伸ばす。
 浩介は片腕だけで跳び上がり、その場に直立した。
 右腕を横に振ると、青白い狐火が生まれる。焚き火ほどの大きさの炎が四つ。前後左右の位置で、音もなく力強く燃えていた。
「ふふふふ……はははは」
 思わず、笑みがこぼれてくる。
 狐火を消してから、浩介は両手を握り締め、頭上に振り上げた。
「馴染む! 実によく馴染む! DIOがジョセフの血を吸った時の気分が、言葉ではなく心で理解できる! 頭皮がえぐれるのを無視して、頭を掻き毟りたい気分だ! まさに、絶ッ好調! 震えるぞハート! 燃え尽きるほどヒート! 刻むぜ血液のビート! 実に、実に清々しい気分だ! まさに、最高にハイってヤツだああああハハハハハハアーッ!」
 ひとしきり狂ったように咆哮してから。
 浩介は口を閉じた。興奮を抑えるように、深呼吸を行う。両手をゆっくりと頭上に上げながら息を吸い、横に下ろしながら息を吐いた。ラジオ体操の深呼吸。四回繰り返すと、高揚した気分も落ち着いてきた。
 浩介は足音もなく移動し、
「どこへ行く? シェシェノ・ナナイ・リリル」
 鞭のような尻尾を掴む。
 四つん這いのリリルが動きを止めた。浩介が吼えているうちに、逃げようとしていたのだろう。魔力を大量に失っているせいで、立ち上がることもできない。
「お前は鬼か! 悪魔か? これ以上アタシから何か奪うのかよ!」
 声も子供になっている。前の艶っぽさは残っていない。子供特有の甲高い声。
「遣い魔の本契約。性交渉が残ってるだろ?」
 言いながら、浩介はリリルの肩を掴み、ひっくり返した。
 仰向けになった幼い身体を、じっくり観察する。隠すものはない。
 身長は約百四十五センチ。人間で言うと小学生の高学年くらいだろう。引き締まった筋肉質であるが、子供特有の平坦な身体付き。豊満だった胸は跡形もない。今は手の平ですっぽり包めるほどの慎ましさになっていた。この年の子供にしては、大きいかもしれない。恥部を覆っていた毛も消えて、きれいなスリットが丸見えになっていた。尻尾も一回り小さくなっている。稲妻模様は変わっていない。
「ほー。これは、なかなか」
 顎に手を当て、浩介はしんみりと頷いた。
「……まさか、子供に欲情してるのか? お前」
「そんなわけないだろ」
 呟きながら、左手で顔の左側を隠す。身体を斜めにしながら、右目でリリルを睨み付け、ぴんと尻尾を伸ばし、肘を曲げた右手の人差し指を向けた。
 そして、断言する。
「俺は、ロリコンだ」
「うあ。言い切った……!」
 驚愕の表情を見せるリリル。
 浩介はリリルに向けていた右手を、滑らかな動きで手前に引き寄せた。肘を折り曲げ人差し指を天井に向ける。ぱっと両腕を振ってから、さらに続けた。
「しかも、最近性癖が特化してきて、二次元でも三次元でも、生身の人間には食指が動かなくなってる。つまり、人外でないと萌えない。ネコ娘、イヌ娘、キツネ娘、エルフ娘、擬人化少女、獣人、妖精、小人、天使……」
 朗々と連ねてから、リリルを見つめる。両手両足を使い、逃げるように後退しているが、気休めにしかなっていない。
「ちなみに、最近はこれにはまっている。悪魔っ娘」
「! へ、ヘンタイだ……。本物のヘンタイだ……!」
 リリルは冷や汗をながしながら、戦いたように呟いた。恐怖と驚愕、諦観と焦燥が入り混じった眼差しを向けてくる。
 浩介はにやりと笑い、
「ついでに訊くけど。お前……処女らしいな?」
「! 何で知ってるんだよ!」
「草眞さんが言ってた。匂いで分かるって。それに、自分でバラしてどうする」
 リリルは慌てて自分の口を押さえる。
 前の身体では考えられない動作だった。頭の中身まで、子供になっているらしい。以前だったら、平然と嘘を言い、浩介を欺いていただろう。
「従属契約で処女を奪われると、洒落にならないとか」
 ぼそりと呟く。
 リリルは露骨に慌てながら、
「……お前は、女だろ! 女のアタシと、どうやってヤるつもりだ! アタシはナニを生やす魔法は使わないからな! 死んでも使わないからな!」
 本契約には、レズ行為では駄目らしい。どちらかが男性器を持ち、相手の膣にそれを突き入れ、射精しなければならない。女同士では、契約は結べない。ちなみに、男同士では契約できるらしい。実行する者は少ないが。
 浩介は慌てず騒がず、右手を上げた。そこに集まる不可視の力。法力ではない。霊力でもない。魔族の持つ魔力。
「これは、お前の魔力だ。さっき草眞さんに魔術の使い方を教えてもらったよ。拙いながらも、少し使えるようになった。Erection the Rod……だったかな。変化の術の応用だそうだ。それで駄目なら、男に変化するだけだけど」
「なんだ――そのご都合主義の超展開は!」
 言い返してくるリリル。
 浩介は頭をかいて二歩踏み出した。開いていた距離が消える。
「女になった男が、男のものを生やした女に、無理矢理処女を奪われる。その後一瞬で立場が逆転し、男のものを生やした女になった男に、無力な子供になった女が処女を奪われる。悶絶するほど萌えるシチュエーションだとは思わないかい?」
「思わない! 全然思わない! 来るな、あっち行け。アタシに近づくな!」
 必死に抵抗するリリル。
 浩介は両手を素早く動かし、印を結んだ。身体が馴染んでいるため、苦もなくできる。五個の印からなる魔術。リリルの魔力を使い、術の応用で魔術を組み上げた。
 リリルの額に指を触れさせる。
 その瞬間、リリルがびくりと震え、凍えたように身体を抱きしめた。
「な、何をしやがった……!」
「Sexual Excitement――発情の魔法だ」
 浩介は隠し持っていた手錠を取り出し、にっこりと笑う。

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