Index Top 第1話 旅は始まった |
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第7章 扉を目指して |
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「そこの車と男、ただちに停止しなさい!」 拡声器による大声。検問の近くにいた警察官があわただしく動いているのがはっきりと見えた。ゲートが閉められ、道を塞ぐように軽装甲車が移動する。据置き式の防弾盾の影から、警官がライフルを構えた。 銃身が揺れる。 「ふんッ!」 ガルガスが大きく右腕を振った。道路のアスファルトに火花が弾ける。ライフル弾を手で弾いたらしい。今更驚く事ではないが、その行動は常識の外にある。 「目、閉じろ」 命令するタレットに、クキィは叫び返す。 「何する気!」 「ただの閃光榴弾だ」 タレットがハンドルのボタンを押した。小さい衝撃と破裂音が響く。 スパイ映画の一場面が、クキィの脳裏をかすめた。ミサイルや機関砲を仕込んだ改造車を乗り回す主人公。おそらく車体の前方から発射されたのだろう。 すぐさまクキィが両手で目を覆った。 弾ける閃光と爆音。 目を覆った両手の隙間から、白い光が目に飛び込んでくる。車体を貫通して鼓膜まで届く甲高い音。音と光で数秒間周囲を麻痺させる爆弾だ。 目を覆っていた手を下ろすと。 「い!」 検問はすぐ目の前にあった。 閃光と爆音のせいで麻痺している警察官。叩き折られた白黒縞の遮断ゲートが宙を舞っている。漫画のような、もしくは変な夢のような、現実離れした光景だった。 スピードメーターは時速百キロを示している。冗談のような光景は終わらない。 「おおおおらぁあああ!」 雄叫びとともにガルガスが右足を振り上げた。閃光も爆音も効いていない。左足で道路を踏みしめ、全身を振り回しながら、右足を軽装甲車の正面へと叩き込む。 ガゴンッ! 前面装甲がひしゃげた。 道を塞ぐように停められた軽装甲車。暗い色の金属板を貼り付けた四輪駆動車のような外見で、あくまで人員輸送が主目的。しかし、火器に耐えられるように設計されているため、普通の車に比べれば重く頑丈である。障害物としては十分だ。 一拍遅れて、金属が軋む音と硬いものが割れる音が聞こえてくる。 ガルガスの回し蹴りに、軽装甲車が吹っ飛ばされていた。ガラスに亀裂が走り、装甲が歪む。跳ねるように半回転して、逆さまになって道路脇の畑に落ちた。空回りしているタイヤ。これで、しばらくは使えないだろう。 障害物の無くなった検問を、速度を落とさず突っ切るキャンピングカー。 ガタッ。 鈍い衝撃と音がする。 「いやー、ただいま」 後部を映すモニタを見ると、車内に戻ったガルガスが乱れた髪を手で梳いていた。時速百キロ以上で走る車に掴まり、ドアを開けて乗り込んだらしい。 「穏便に済ませて欲しいと言ったのですけど……」 画面の向こうで、リアがため息をついていた。 車は緩い上り坂を越えて、トラス式の河川橋を突き進む。 タレットは乾いた笑みを浮かべながら、眼鏡をかけた。視力強化は解除したらしい。 「怪我人無しで、軽装甲車一台破損。穏便にとは行かないけど、しゃーないだろ。これが最善策だ。話し合いが出来る状況でもないしな。あとは逃げ切るだけ」 ハンドルを握ったまま、ちらりとモニタのひとつを見る。後部に取り付けられたカメラの映像か、追い掛けてくるパトカーの姿が映っていた。 「一度やってみたかったんだよなァ、カーチェイス! エンジンフルスロットル!」 タレットがギアを入れ替え、アクセルを力任せに踏み込む。 「ぐ!」 圧迫感すら覚えるほどの急激な加速。スピードメーターを見ると、時速百八十キロを越え、さらに加速していた。速度が二百キロを越えた時点で怖くなり、クキィは窓の外へと目を向ける。 「星がきれいね……」 窓ガラスに呆けた自分の顔が映っていた。 三十分ほど走ってから、車は道脇の空き地に停まる。 無人の空き地。時刻は深夜の二時頃だった。車の通りもなく、周囲に民家もないため、空き地にクキィたち以外の姿は見えない。虫の鳴き声がやたらうるさく耳に刺さる。 「………」 助手席から降りたクキィは、両膝に手を置いて肩で息をしていた。耳と尻尾を垂らし、横隔膜を伸縮させる。もはや言葉すら出てこない。早鐘のような心臓の鼓動が、身体の中に響いていた。 足音に顔を上げると、手提げ鞄を持ったリアが立っている。杖は持っていない。 「どうぞ、お水です」 「ありがと……」 差し出された水筒を受け取り、クキィはその蓋を開けた。注ぎ口も外して、中身の水をがぶ飲みしていく。味も何もない冷たい水だが、おそらく一生で一番美味い水だった。渇いた喉を潤し、身体から熱を奪っていく。 水筒を空っぽにしてから、クキィは蓋をした。 「生き返るわ……」 右手を胸に当て、リアに水筒を差し出す。心拍数が下がっていくのがはっきりと分かった。それでも、膝が微かに震えている。 「あなたって、見掛けによらず肝据わってるわね」 受け取った水筒を手提げに収め、リアが微笑んだ。 「平静にしているように見えるだけです。私も怖いですよ。でも、クキィさんを守る仕事に就いた時に、それなりの覚悟は決めてありますので」 余計な事は言わず、クキィは肩を落とす。 本人は強がりと言っているが、それは謙遜だろう。リアの度胸は本物だ。 意識を切り替えるように、停車したキャンピングカーを見る。 「何してるの、おじさん?」 車の脇にしゃがみ込んだタレット。妖力を集めた左手を表面に当て、右手の人差し指で近くを叩いていた。眼鏡の奥に、真剣な表情が見える。 「点検。どんなに高性能謳っても、本番で試験通りに行くものなんて無いからよ。これから長いこと酷使するだろうし。五トンはある車を時速二百十キロで突っ走らせたのは、我ながら無茶しすぎだろー……?」 「分かるの、それで?」 「実験器具代わりの妖術だからな」 顔を向けることもなく、きっぱりと答えた。指で車の表面を叩き、跳ね返ってきた振動を感覚強化した左手で受け取る。そのような仕組みだろう。 しばらく話しかけない方がいい。 そう判断して、クキィはリアに向き直った。心臓の鼓動も呼吸の乱れも、だいぶ落ち着いている。仕事上体力には自信があった。 「ねぇ、リア。封印の扉ってどこにあるの?」 「東の方にある……としか知らされていません。なにぶん、大司教位以上でないと触れられない秘文書ですので、一教士の私が知ることはできません」 そう答えて、リアは首を左右に振る。 クキィはヒゲを撫でてから、目を移した。無数の星がきらめく夜空、虫の鳴き声がうるさい草むら、停めてある車とそれを点検しているタレット。 最後に、紙袋片手に何かを食べているガルガス。 「あいつなら、知ってるんじゃないかしら?」 「ん?」 言葉に気付き、ガルガスが自分を指差した。紙袋の中身を全部口に放り込んでから、バリボリと音を立てて噛み砕く。お菓子か何かだったらしい。それを一口に全部呑み込んでから、紙袋も口に入れ、呑み込んでしまった。 極自然に行われたが、明らかに不条理な行動。 「何だ?」 何事も無かったかのように、ガルガスが訊き返してきた。 クキィは人差し指を動かし、頭の中で言葉をまとめる。だが、浮かんでくる言葉がまとまらない。五秒ほど考えて、まとめるのは無理と判断し、そのまま尋ねた。 「あんたって、結局何者? いきなりあたしの前に現れたと思ったら、兵士十数人を無傷で殴り倒すわ、あたしを抱えて飛んだり跳ねたり。ちょっと大人しくしてると思ったら、今度は検問突破で大暴れ……。あと、あたしの拳銃食べたりもしたわね……」 言いながら、積み上げていた論理が崩れていく。ガルガスの行動を並べると、ただの無茶苦茶になってしまうのだ。合理的な説明――こじつけ説明も受け付けない。 クキィはそれでも諦めず、語気を強める。 「たとえば、あんたが一級術師なら、まだ――色々目をつぶれば、ぎりぎり、話は分かるのよ。話聞くかぎりじゃ、一級術師には人外みたいなのもいるって言うしね。でも、あんたはどう見ても術を使っていない。生身であの無茶苦茶をしてる。どういうこと?」 言い切ってから、両腕を下ろす。 雲を掴もうとするような、徒労感。無茶苦茶や不条理として思考停止してしまえば、楽だろう。しかし、思考を止めてしまうと、何か重要な尊厳を失いそうな気がする。 「で、結局この疑問、あんたって何者?」 改めて、そう問いかける。 ガルガスは両手を持ち上げ、胸の前で緩く組んだ。両足を少し開いて、胸を張る。口元に浮かぶ、薄い笑み。口端から牙のような鋭い犬歯が覗いていた。一陣の風が吹き抜け、コートの裾をひるがえす。まるで世界自体が演出をしているような流れ。 「黒いコートのいい男!」 きっぱり答えたガルガスの顔面に。 クキィは考えるよりも早く、跳び蹴りを叩き込んでいた。 |
閃光榴弾 キャンピングカーの正面に仕込まれた小型榴砲から発射されるスタングレネード。強烈な閃光と爆音で、周囲の人間を数秒麻痺させる。 妖術・触覚強化 タレットの扱う感覚強化術のひとつ。主に手の触覚を強化し、物体の表面形状や微細な凹凸、振動などを正確に捉えられるようになる。車の内部機構に異常が無いかを調べるために使用。 難易度3 封印の扉 世界の鍵が封じられたと言われる場所。現在位置から東の方角にあると言われているが、詳細は不明。月の教会でも、大司教位以上でないと触れられない秘文書らしい。 |
10/12/10 |