Index Top 第1話 旅は始まった |
|
第3章 鍵の盟約 |
|
パンパン、と。 ガルガスが両手を打ち合わせ、歩いてくる。楽しげに笑いながら。 「勝った」 「勝ったのね……」 額に人差し指を当て、クキィは無傷の男を見つめた。 特殊部隊十二人を相手に武器も持たず素手で挑みかかって、五分程度で相手を全滅させる。銃弾に攻撃術、刃物や打撃まで無数の攻撃を浴びて、傷ひとつ出来ていない。人間業ではなかった。いや、ここまで非常識だと、比喩の言葉が浮かんでこない。 「これって現実よね?」 砕けた道路やビルの壁、倒れた黒装束たちを眺めながら、クキィは目蓋を下ろした。特殊部隊の男たちはガルガスの拳や蹴りの一発で沈んでいる。単純に気絶しているだけで死んではいないらしい。 巻き込まれないように、クキィは離れた場所まで移動していた。 灯りの付いていない街灯に背を預けたまま、独り言を続ける。 「実は絶望的な状況に陥ったあたしの脳が、無茶苦茶な幻覚を見せていて、実はあたしは既に拉致されているとか。そういうのは嫌だけど、そっちの方がまだ説得力あるわ」 「これは現実だよ。何を言っているんだ? 妙なことを言う猫娘だな」 不思議そうに、ガルガスが首を傾げていた。 当人にとってはこの状況も異常なものではないらしい。だが、たった一人で、術も武器すらも使わず、無傷のまま、ケンカ気分で一分隊を全滅させる男。そんなものが存在するとは考えがたい。気が狂っている方がまだ現実味がある。 「信じろってのが無理よ……」 クキィは両腕を広げて首と尻尾を左右に振った。 そんなクキィの肩に、ガルガスがぽんと手を置く。 「じゃ、俺の仲間の所へ行こうか」 「いいわ。もうどこにでも連れて行きなさい」 何度目か分からない心の折れる音を聞きながら、クキィは頷いた。もう逃げるのも無理だろう。戦っても勝ち目がない。こんな怪物相手に。 だが、ガルガスは手を引っ込めて、腕組みをする。 「さて、待ち合わせ場所はどこだったか。お前知ってる?」 無言のまま、クキィは左手を持ち上げた。その手に握られたオートマチック拳銃。 二人の身長差は三十センチくらいだろう。 銃口をガルガスの咥内へとねじ込み、トリガーを引く。 ドン! 鈍い衝撃音とともに、ガルガスが仰け反りながら半歩退いた。 口の中へと九ミリ弾が炸裂する。柔らかい咥内から、脳への直接銃撃。普通ならば頭が粉微塵に砕けるのだが、それが無意味なことは理解していた。 顔を上げたガルガスの襟首を引っ掴み、 「なんで待ち合わせの場所をあたしに訊くのよ……!」 「何となく……」 もごもごと口を動かしながら、ガルガスが明後日の方に目を向ける。 (もごもご、と……?) 何かを噛むような口の動きを眺めてから、クキィは訝った。硬い物を噛み砕くような音も聞こえる。嫌な予感とともに、自分の持っている拳銃を持ち上げた。心持ち軽くなっているような気がしたのだが―― 銃身が半ばから無くなっている。 噛み千切ったような断面。拳銃の材質は鋼である。常識的に考えて生物の顎で噛み千切れるものではないが、噛み千切っていた。しかも咀嚼している。 「え、っと……」 尻尾を垂らしながら視線を戻すと、ガルガスが右手を伸ばした。クキィの手から壊れた拳銃を抜き取り、それも同じように口に放り込んで噛み砕く。ごくりと喉が動き、口の中のものが消えた。不満そうに唇を嘗めながら、眉根をしかめる。 「あんまり旨くない」 「食うなァ!」 回し蹴りがガルガスの顔面に突き刺さった。 あっさり倒れるガルガスを眺めながら、クキィは空っぽになった右手を動かした。さっきまで持っていた拳銃は、ガルガスの腹の中。思ったことを正直に訊く。 「あんた、生き物? そもそも、ちゃんとしたこの世の存在?」 「酷いこと言うな、お前。そこはかとなく傷つくぞソレ」 ひょいと跳ね起きながら、嫌そうな顔をするガルガス。 プルルルル…… 不意にそんな音が聞こえた。 「ん?」 懐に手を入れて、ガルガスが携帯電話を取り出す。それはどこにでもあるような普通の携帯電話だった。着信ボタンを押して耳に当てる。 「はいはい。こちらガルガス」 クキィはとりあえずその様子を眺めた。 「うん、見つけたぞー。陸軍の連中に襲われていたが、俺が何とかした。んー? 右腕と両足ボウガンで射たれたようだけど、自分で治したらしい……。ああ。そうだな、治療はお前に任せるわ、俺は管轄外だし」 電話の相手は仲間のようである。治療と言っていることから、回復系を得意とする術師だろう。質問内容を想像するに、ガルガスよりも常識人であることは間違いない。 「ところで、待ち合わせ場所はどこだったっけ? 忘れてしまった。………うむ。露骨なため息つかれると悲しいぞ」 「貸しなさい」 言うなり、クキィはガルガスから携帯電話を取り上げた。 「クキィ・カラッシュよ。代わったわ」 「あら」 聞こえてきたのは、落ち着いた女の声である。クキィよりは年上だろう。穏和で、ついでにのんびりした雰囲気が感じ取れた。 「あなたが、クキィさんですか?」 「ええ、そうよ。それで、あなた何者?」 クキィの問いかけに、頷く気配が伝わってくる。 「私は月の教会の教士リア・リーフと申します。はじめまして」 月の教会。主に亜人種が信仰している宗教だった。月と星と夜の神を中心とした教義を持っている。人間が主に信仰する太陽の教会と対をなすとも言われ、両方会わせたものを天の教会と呼び、世界人口の半分が信仰していた。 「月の教会があたしに何の用があるの?」 「鍵の盟約により、あなたを守ります」 リアは静かに答える。 「鍵の盟約……?」 「鍵人が世に現れたら、月の教会はその者を守る。古い盟約です。その盟約に従い、月の教会はあなたを守り、導きます。具体的な事を言えば、危険性の排除と、生活の保障を行います。"保護"というのが一番正しいでしょうか?」 「危険性の排除、ねぇ?」 尻尾を動かしつつ目を向けた先にはガルガスが立っている。 さきほど自分を捕らえようとしてきた特殊部隊を一人で一掃して見せた。クキィを助ける、守ると口にして、それを実行している。その戦闘能力は無茶苦茶だというのに、頼りになるという雰囲気が全く無いのが怖ろしい。 視線に気づいて、ガルガスはVサインをしてみせた。 ヒゲを撫でながら、クキィは会話を戻す。 「何であたしが狙われてるのかしら? あまりまともじゃない生き方してる自覚はあるんだけど……。さすがに軍隊に狙われる心当たりはないわね」 「クキィさんは生体キーなんです。世界の運命を左右する遺産を開けるための鍵人です。伝説上の存在でしたが、つい最近クキィさんが鍵人として観測されました。世界各国は古来よりの鍵人条約に従いクキィさんを確保しようとしています」 「それは、あたしをからかってるの?」 リアの言っている言葉が理解できずに、クキィは訊き返す。 十数分前から起っていること、言われることは、クキィの常識を超越している。大仕掛けのドッキリすら想像させるほどに。それほどに、現実感が薄い。 「普通はそう考えますよね」 電話の向こうでリアが苦笑いをするのが分かった。 「ただ、あまり悠長に話している時間もありませんので、ガルガスさんには『この間オレンジジュースを飲んだ場所』とお伝え下さい。多分、それで分かると思いますから」 ピッと通信の切れる音が聞こえた。 「オレンジジュース……?」 あまりに適当な伝言に、クキィは首を傾げる。待ち合わせ場所のことを言っているのだろう。暗号かとも思ったが――暗号と同時にそのままの意味という確信もあった。 欠伸をしているガルガスに向けて、クキィは言われた通りに告げる。 「この間オレンジジュースを飲んだ場所だってさ」 「おう」 ぽんと手を打つガルガス。分かったらしい。 足音もなくクキィの前まで歩いてくると、ひょいと身体を抱え上げる。 「それでは、待ち合わせ場所に出発だ。後れるとまた怒られるからな、出発!」 「何であたしを抱え上げるのよ!」 荷物のように抱えられながら苦情を言うが、ガルガスは無視して走り出していた。 |
月の教会 主に亜人種が信仰している世界的な宗教。月と星と夜の神を中心とした多神教であり、信徒の数はおよそ三億人。人間が主に信仰する太陽の教会と対をなすとも言われる。両方会わせたものを天の教会と呼び、世界人口の半分が信仰している。 鍵人 世界のどこかにある扉を開ける鍵となる人物。最近になって、クキィが鍵人として観測された。いわゆる生体キー。 鍵人条約 国家間での鍵人に対する条約。 鍵の盟約 非国家組織による、鍵人に対する盟約。月の教会が主軸となって、鍵人を保護し、導くという内容。 |
10/11/04 |