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第32話 雪夜の記憶 |
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厚い雲が夜の空を覆っている。 しかし、地面に積もった雪が白く浮かび上がっていた。家の明かりなどを、雪が反射して言う。漆黒の空と薄く輝く地面。昼待ちは違った幻想的な風景だった。 「さすがに寒い……」 帽子とコートを身に纏い、僕はどこへとなく歩いていく。 足を動かすたびに、雪を踏むくぐもった音がしていた。行き先は無い。ただ、森の中を気の向くままに歩いているだけである。雪の日の夜。なんとなく散歩したくなり、好奇心のまま外を歩き回っていた。 「雪は止んだけど、もう夜だから。寒いのは当たり前」 コートの襟元からイベリスが頭を出している。 さすがに冬着を着ても、外に出ているのは寒いようだ。僕だって厚着しているのに、身体の芯に染み込むような寒さがある。身体の小さいイベリスは、それ以上に寒さを感じるのかもしれない。 一度足を止め、僕は西を見た。いくつもの大木が並んでいるため奥は見えないが、西に行くと最果ての果てがある。最果てと外との境界。 「元々ここって猛吹雪の雪原の中なんだよな。普段あんまり気にしてないけど」 以前、シデンとクロノと一緒に眺めた吹雪の壁。最果ての世界の周囲は猛吹雪の世界になっている。普通の方法では外に出ることは不可能。逆に、外から入ってくることも難しいだろう。 「僕――というか、ここに住んでる人ってどこから来たんだろう?」 それなのに、何故かここは人の住める環境があり、僕やシデンのような住人が暮らしている。誰かがそのように作ったのだろう。 イベリスの淡泊な答えが返ってくる。 「私は知らない。あなたたちがどこから来たのか、その知識を持っていない。ここの住人は突然ここに現れる。そういうもの」 冷たい風が頬を撫でる。喉や肺に小さく痛みを感じるほど冷たい空気。 眼が覚めた時は、神殿のベッドの上。それ以前の記憶は無い。イベリスも僕がここに来ると同時か、その直前に作られたようである。本人が言ったわけではなく、これは僕の想像だけど、そう大きく間違ってはいないだろう。 吐き出した息が白い靄となって空気に溶ける。 「ロアとアルニは外から来た。外に世界が無いわけでもない。出る方法が無いわけでもなさそうだ。ロアたちはいずれ出て行くだろうし」 「でも、最果ての住人が外に出ることはできない。そういうルールだから」 外の世界から来た剣士と妖精の女の子。それは、吹雪のさらに外にある世界を意味している。その世界と、この最果てが行き来可能なことも。 しかし、最果ての住人は外には出られない。 そういうルールだ。 この最果ての住人はルールに縛られ、ルールに守られている。 「出られない理由って何だろうな? あの吹雪の中に飛び出しても、多分死ぬけど」 僕は一度腰を屈め、右手で雪をつかみ取った。 無数の氷が集まった白い綿のような雪。何もしなければただの冷たい粉。だけど、雪が風と組み合わされば、視界と体温を奪う凶器と化す。この最果てを抜け出すには、最低限猛吹雪の領域を越える必要がある。 僕は雪を軽く握り締め、放り投げる。 雪玉が木の幹にぶつかり爆ぜた。 「わからない」 イベリスの答えは短い。 いくらか迷ってから、僕は口を開いた。 「ここの住人が過去の事を思い出すって珍しいのか?」 返事は無い。 コートの襟に手を掛け、イベリスが外へと身体を引っ張り出した。金色の四枚の羽を広げ、僕の視線の先へと移動する。赤い瞳が真っ直ぐに僕を見据えていた。 「時々あることとは聞く。でも、過去を思い出した人はいない」 僕は息を止め、イベリスから目を離す。 「こういう景色に見覚えがあるような気がする」 月明かりも星明かりもない漆黒の空。立ち並ぶ木々。厚く積もった雪。微かな光を受けて、淡く浮かび上がる雪明かり。肌に刺さるような寒さ。音のない白黒の闇の世界。 「ここじゃないけど、どこかで僕はこんな雪の夜を見たことがある。詳しくは思い出せないけど、僕はここに来る前に雪の夜を見ていた気がする」 「………」 イベリスは無言で三角帽子を動かした。 赤い瞳を空に向け、地面に向け、口を開く。 「森の住人が、過去の記憶を思い出すことはない」 声に見える緊張。森の住人、主と従者。従者は主に付き従い、主の生活を手助けすることを役割としている。予想はしていたけど、知識の量は従者の方が多い。そして、従者は主が本来知るべきでないことも知っている。 「でも、絶対に無いわけではない」 小声で、イベリスは続けた。 「もし、あなたが過去の記憶を思い出したら……おそらく、この最果てにはいられなくなると思う。私もあなたとは一緒にいられなくなってしまう」 赤い瞳は、静かに僕を見据えていた。 数秒ほど、お互いに見つめあってから。 僕はそっと右手を差し出した。 「帰ろうか。寒いし」 「そうね」 イベリスが羽を動かし、手の平に降りる。 僕はコートの襟元にイベリスを入れ、家に向かって歩き出した。 |
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