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第30話 冬への準備 |
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「失礼するぞ」 入り口のドアを開けて入ってきたのは、黒い狼だった。 体高は六十センチくらい。黒い毛に覆われた身体で、お腹側は白っぽい。頭からは髪の毛を思わせる長いタテガミが伸びていた。毛首と四本の脚には、鋼鉄製らしい金属の輪がはめられている。 隣に住んでいる狼のクロノだ。毛に雪の結晶が付いている。 ドアの外では音もなく雪が降り続けている。 寒い……。 ばたりとドアが閉まった。 「こんにちハ」 クロノ背に乗った少女が右手を挙げる。身長六十センチくらいの女の子。 外見年齢十代半ば。無感情で機械的な黄色い右目で、左目は白い眼帯に覆われている。ショートカットの紫色の髪の毛。服装は丈の長い薄紫色の上着に白いショートパンツで、あちこちに歯車が意匠されている。 クロノの主であるシデン。 シデンを背に乗せたまま、クロノは部屋の奥に進んだ。 「様子見に来た。この時期にここまで気温下がるのは、予想外だったから。お前は新人だし、戸惑ってるかもしれないと思ってな。困った事があったら気にせず聞いてくれ。できる限り協力するよ」 窓の外を見る。雨音はしなくなったけど、白い雪が音もなく落ちていた。 左右に揺れている黒い尻尾。ちょっと掴みたい衝動が湧き出すけど、自重する。 意識を逸らすように、僕はクロノの背に乗るシデンを見る。 「シデンは寒くないのか? 長ズボンくらいは穿いた方がいいと思うけど」 黄色い瞳を向けてくるシデン。 紫のコートに白いショートパンツと、白いブーツ。素地は厚手だが、お腹からへそが見えていたり、太股が剥き出しだったり。微妙に露出度が高い服装。それは、つまり冷たい空気に触れる面積が多いということである。 しかし、シデンは首を左右に動かした。 「大丈夫。そんなに寒くはなイ。ワタシはあなたたちとハ、身体の仕組みが違うカラ。寒くても、身体の動きに支障を来すことはナイ」 え? 何か引っかかる事を言ったけど、どういうことだ――? そんな疑問を余所に、シデンの黄色い瞳が、僕の胸元に向けられている。無感情で淡々とした眼差し。上着の襟元に潜り込んだイベリスを見つめていた。 「あなたは暖かそウ」 「彼の体温を感じることができるから、とても暖かい。自由に動けないのは困るけど、しばらくこうしていようと思う」 胸元のイベリスがシデンに応える。 シデンはクロノの頭を手で撫でてから、 「羨ましいカモ」 そう頷く。その言葉がどのような意味を持つのか。感情を映さない表情から、読み取ることはできなかった。 「そろそろいいか?」 クロノが口を開いた。 シデンがクロノの背から降り、近くの椅子を引いて、その上に座った。先日まで首輪と鎖で繋がっていたが、いつの間にか外したらしい。 イベリスが口を開く。 「ここでは雪が降り出すのはもう少し後だと、私の知識にはある。でも、こうして雪が降っている。どういう事?」 「おそらくは、ロアとアルニだろうな」 クロノは一度目を閉じてから、天井を――天井の向こうにある空を見上げた。 「あいつらが入って来た事で、ここの最果てを少し歪ませちまったらしい。この雪と寒さは、その影響の産物だ。一ヶ月、冬が速くやってきたみたいだ」 目蓋を下ろし、クロノはため息を付いた。 この最果ては結界のようなもので覆われ、外界の猛吹雪と隔絶している。ロアたちはその結界を抜け、最果てに入ってきた。その時に外の冷気を連れてきてしまったのかもしれない。僕はそのような理由だと考えた。 「多分、これからもっと寒くなル。だから暖かい服を着た方がいイ」 椅子に座ったシデンが、クローゼットに人差し指を向ける。 「冬服は一番下に入っていル」 普段は使わないクローゼット一番下の引き出し。以前見た時は、冬用のコートや服などが納められていた。おそらく一番最初にシデンが用意したのだろう。 「あなたたちは冬服は着ないの?」 イベリスが赤い瞳でシデンとクロノを見る。 クロノは後足で首元を掻いてから、得意げに笑ってみせた。 「オレは寒さには強いんだよ。毛皮あるし」 「ワタシは平気」 シデンの答えは短い。 平気と言って平気なものなんだろうか? 「お嬢は平気だよ」 僕の考えを読んだように、クロノが口を開いた。呆れたような諦めたような、そんな口調である。黒い瞳を明後日に向けながら、乾いた笑みを浮かべ、 「雪降ってる夜に、身体に雪積もるくらい外で突っ立ってたこともあるからな」 シデンを見ると、何故か得意げに胸を張ってみせた。事実らしい。 もしかしたら、シデンは寒さを感じないのかもしれない。寒いという感覚はあるけど、それが苦痛にはならないし、寒さが原因で体機能が低下することもない。 僕の空想を余所に、クロノはてきぱきと行動していた。 「それより、ストーブ出すぞ」 「ストーブ?」 木や木炭、油などをもやして熱を作り出す、暖房器具。寒くなる以上、そういうものがあるとありがたい。でも、この家にそういうものは無かったと思う。 「一応用意はしてあるから、手伝え」 クロノは床の板を一枚剥がし、口で取っ手を引っ張り出した。 |
11/10/24 |