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第10話 外の世界


 風が――
 地面の雪を巻き上げ、視界を白く染め上げていた。轟音を響かせながら、大量の雪が右から左に流れている。白の濃淡が激しく揺らめくその光景は、まさに圧倒的だ。
「これが、果てか……」
 猛地吹雪を眺めながら、僕はただ驚くしかできない。
 僕が立っている場所には、ほとんど風は来ない。五メートルほど先の森の端と外との間にははっきりとした境界があり、そこで世界が分かれている。
 もっとも、触れるような壁があるわけではなく、石を投げてみたら地吹雪の中に消えていった。あくまで猛烈な風が来ないだけであって、境界の内側でも無茶苦茶寒いし、木には雪が積もってるし、吐く息は思い切り白い。
 クロノとイベリスが、無言で白い世界を眺めていた。
 肩に立ったまま、シデンが淡々と言葉を連ねる。
「ここが最果ての果テ。ここから先は氷と雪の世界。出たら、戻っては来られなイ……。だから、ワタシたちはここで眺めるだけで我慢」
「出て行った人はいるの?」
 僕は地吹雪の世界を指差す。
 どう都合良く考えても、生身ではこの極寒地獄に足を進めることはできない。迂闊に出たら遭難、凍死。でも、ここにはシデンみたいな人間じゃない者もいる。
 クロノが鼻を鳴らすのが分かった。鼻から白い息が漏れる。
「俺は聞いたことがないな。外に行きたいって言うヤツは何人か知ってるけど、実際に外に出るような無謀なヤツはいない。その境界から数メートル出ただけで遭難する。この周りは全部こんな地吹雪だ」
「出て行きたいと思っても、それは止めた方がいい。もし行くとしても私には止める権限は無いけど、失敗すると分かっていて実行するのは賢いことではない」
 と、イベリスが付け足す。赤い瞳を僕に向けて。
 ようするに無理ってことか。ここが一体どこなのか、僕自身が一体何者なのか、気になる事は多い。外に出てみれば分かるとも思ったけど、無理っぽいし。
 ぱさと軽い音を立てて、近くの枝から雪が落ちた。
「この最果てってのは、何なんだろう?」
 一番最初から気になっている疑問。
 過去の記憶を失った者たちが住んでいる森。昨日今日と見た限りでは、静かに暮らすのにはうってつけの場所だろう。そして、住人は例外なく従者を連れている。従者の仕事は主人を手助けする事らしいけど、見方を変えれば監視しているようにも思えた。
 手掛かりが少ないため、考えれようと思えばどんな考えも浮かぶ。
 結局のところ何が何だかさっぱり分からない。
「ここに来るヤツは、大抵そう考える」
 尻尾を動かし、クロノが答えた。声から感じられる適当さ。前足で地面の雪をつついている。僕の考えている事が分かっているみたいだ。本当に誰もが考えることで、クロノ自身も見飽きているのだろう。
 イベリスが三角帽子のつばを指で動かす。
「教授なら知っているかもしれないけど、答えないと思う」
 感情の映らない瞳を向けてくる。
 それは僕も考えた。あの教授は何か知っている。知らないはずがない。でも、尋ねたとしても答えない。そんな確信があった。でも、今度機会があったら訊いてみよう。
 ふと別の疑問が頭に浮かぶ。
「外の人間がこっちに来るってことはあるのかな?」
 ここから外には出られない。なら、逆に外から入ることはできないのか?
「私は知らない。聞いた事がない」
 イベリスが首を振る。
 しかし、頭の後ろから答えが返ってきた。シデンの無機質な声。
「稀に人が来ることはあるみたイ」
「俺が聞いた限りじゃ、数十年に一度くらいだな。外から人が来るってのは。俺は外の人間ってのを見たことはないけど」
 前足で鼻の辺りを撫でてから、クロノが続ける。
 ふむ……。
 と視線を持ち上げた。
 しかし、ぞくりと身体が震え、思考を中断する。僕は身震いをしてから、両手で身体を抱えた。さっきから気合いで誤魔化してたけど、無茶苦茶寒い。目の前で地吹雪が荒れ狂って辺りにも雪が積もっているってのに、寒くないはずがない。
「そろそろ帰らない?」
「そうね。寒いし」
 杖を持った右腕を左手で撫でながら、イベリスが頷く。表情も変わらないし、寒そうな仕草もしてないし、息も白くないから、全然寒そうに見えないけど……。
 イベリスの目の前を粉雪が落ちていく。雪はクロノの鼻先に落ちて消えた。
「あたなの肩は居心地がよかっタ。また機会があったラ、お邪魔させてもらう」
 シデンがそう呟く。
 僕の肩を蹴って飛び上がると、空中できれいに一回転してみせた。紫色のコートをなびかせ、クロノの背中へと着地する。体操選手を思わせるような華麗な動きだ。ちょっと痛かったのか、クロノが鼻から白い息を漏らす。でも、うめき声は呑み込んだ。
「やっぱり、こっちが落ち着く」
 クロノの背中を撫でながら、シデンが頷く。
 黒い狼の上に座った小さな少女。その姿は妙に似合っていた。
「なら私も元の場所に――」
 四枚の羽を広げて飛び上がるイベリス。空中を滑るように、僕の傍らまで移動した。
 クロノが黒い眼で後ろを示す。
「じゃ、そろそろ帰ろうかね。風邪引くのは嫌だし」

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