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第1話 見知らぬ場所


 目が覚めたら白い天井が見えた。
 涼しい部屋と、うっすら漂う消毒液のような匂い。多分、病院か何か。
 ええと……、僕は何でこんな所にいるんだろう? そう考えてみても、何も思い出せない。思考を回してみても、空回りするだけで思い浮かんでくる情報が無い。これは、いわゆる記憶喪失というものだろうか?
 名前も……思い出せない。困った。
「起きたの」
 声を掛けられ、僕は身体を起こす。身体は普通に動くみたいだ。
 ベッドの近くに置かれた机。その縁に小さな女の子が座っていた。
 身長は二十センチくらいで、見た目の年齢は十代前半か。腰辺りまである長い銀髪と褐色の肌、感情の無い赤い瞳で僕を見ている。黒い大きな三角帽子を被り、黒い上着とケープ、スカートを身に着けていた。魔法使いを思わせるような格好である。足には茶色いブーツを履いていた。
 背中からは二対の薄い金色の羽が伸びている。妖精……だろうか?
「君は?」
「私の名前はイベリス。あなたの従者。まずはあなたの名前を教えて」
 赤い瞳で僕を見ながら、淡泊な口調で言ってきた。あらかじめ設定された台本を読み上げるような、そんな機械的な口調である。
 単純にして難解な質問に、僕はため息をついた。
「分からない。思い出せない」
 その答えに、イベリスは右上に視線を動かす。
「そう、やはり。ここに来る人では、名前を覚えている方が珍しいけど」
 ここに来る――名前を覚えている方が珍しい……。
 ということは、僕はどこからかここに来たのか。それで、記憶喪失か何かになっていると。ここに来る前に何があったのかはよく分からないけど。
 イベリスが近くに置いてあった金色の杖を手に取り、その場に浮かび上がった。背中の羽が一瞬淡く光り、小さな身体を空中へと持ち上げる。
「立てる? 身体に異常は無いと思うけど」 
「うん」
 頷きながら、僕はベッドから降りてその場に立ち上がった。ふらつくとか足がもつれるとかやや不安だったけど、ごく普通に問題も無く立つことができる。身体を見下ろしてみると、入院患者が着るような薄水色の寝間着を身に付けていた。
 ベッド横の机に置いてあった手鏡を持ち上げて、自分の顔を確認してみる。
 うーむ……。若い男だ。年齢は二十歳前後だと思う。伸び気味の髪の毛は灰色だけど、眉毛は黒い。髪の毛を触ってみると、硬いな……。手入れ大変かも。瞳の色は黒色。自分で言うのも何だけど、目付きが悪い。やる気の感じられない目である。
 自分の顔を見ても、これといって分かるような事はなさそうだなぁ。
「イベリス、だったっけ?」
 鏡を置いてから、僕はイベリスに目を移した。
 金色の杖を両手で持ったまま、大人しく待っている。
「何?」
「ここは、どこ?」
「ここは最果ての森の神殿。神殿と言っても何かを祭っているわけでもないし、そんなに大きくもないけど、みんな神殿と呼んでいる」
 つらつらと読み上げるように答えてきた。
 何が何だかさっぱり分からない。いや、想像はしていたけど……。いつまでもここにいても新しい事は分からないだろう。そもそも不明な事が多すぎて、何から調べればいいのすら分からないんだけど。
 凄く困った――。
 イベリスが口を開いた。
「教授の所に行きましょう」
「教授?」
 訊き返した僕の台詞に、こくりと頷く。
「この神殿の責任者。名前は知らない。みんな教授と呼んでいるし、自分で名前を名乗ったこともない。ちょっと変な人だけど、色々知っているから」
 言うが速いか、僕に背を向けた。淡い金色の羽を広げて、音も無く空中を滑るように飛んでいく。ここで話し込む気は無いようだった。
 僕は素直にイベリスの後を追う。
 部屋を出ると白い廊下があったった。白い石組みの床と壁と天井。床は少しザラついた表面だけど、壁や天井は滑らかな表面である。機械か何かで研磨したみたいに。
「さっき言ってた従者って何?」
 前を進むイベリスの背に向かって、僕は声を掛けた。
 イベリスはその場で身体の前後を入れ替える。白い髪の先端がふわりと広がり、腰へと落ちた。赤い瞳で僕を見たまま、後ろ向きに飛んでいく。
「従者は主とともに行動して、主の生活を手助けする。従者の仕事はそれだけ。でも、私は身体小さいから、助言くらいしかできないけど」
「助言だけでもありがたいかな?」
 笑いながら、僕はそう返した。危険なものは無いみたいだけど、右も左も分からない状況。小さな妖精の女の子でも、誰かが近くにいてくれるのは非常に心強い。
 イベリスが金色の杖を背中に回す。それで、杖が背中にくっついた。
「とりあえず、あなたの名前を決めましょう。名前が無いと不便だから」
 名前か……。自分で自分の名前を考えるというのも奇妙な話だけど、名無しのままじゃ色々不便だろうし。でも、いざ自分の名前を考えるといっても、ぱっと気の利いた名前が思い浮かぶものじゃないか。
 僕はイベリスに目をやり、
「何かいい案ある?」
「ポチ」
 眉ひとつ動かさずに答えたイベリスに。
 僕は右手を持ち上げ、額に軽くデコピンを打ち込んだ。ケガしないようにかなり手加減してるけど。その場でくるりと縦に一回転してから、イベリスは額を右手で撫でる。無表情な顔と無感情な赤い瞳で僕を見ていた。
「痛い……」
 ずれた帽子を直し、小さく文句を言ってくる。
 ポチって犬みたいな名前だし……。
 後ろ向きのまま廊下を飛んでいるイベリスと、二本の足で歩く僕。そんなに距離歩いているわけじゃないのに、長い時間歩いているように感じるのは何故だろう?
 数秒の沈黙から、イベリスが再び口を開く。
「それなら……タマ」
「猫でもない」
 今度はきっぱりと反論し、僕は再びイベリスの額にデコピンを決めた。

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