Index Top 一尺三寸福ノ神 後日談

第49話 出会った理由


「あー。美味い」
 ベンチに座った沙雨が、紅茶を飲んでいる。自動販売機で買った紅茶だ。横には袖から取り出したクッキーが置かれていた。おやつらしい。クッキーをひとつ掴み、ぽりぽりと食べながら紅茶を飲む。
 人間用の缶とクッキーだが、慣れた様子で食べていた。
 一樹は鈴音と一緒にベンチに座り、沙雨を眺めていた。不思議な気分である。
「お前も食べるか? 少し懐には余裕があるから、一枚くらいいぞ?」
 横に座った鈴音にクッキーを一枚差し出す沙雨。
 鈴音は差し出されたクッキーを見つめ、首を振った。
「遠慮しておくのです。ワタシは食事をする機能を持っていないのです。そんなに力も使わないので、十分足りているのです」
 鈴音は食事をしない。何も食べず何も飲まず、普通に動いている。自然エネルギーを吸収しているので、事足りるらしい。
「なるほど。なら仕方がない」
 沙雨はクッキーを引っ込め、口に咥えた。乾いた音を立てて噛み砕いていく。両足を揺らしながら、紅茶を一口飲んだ。裸足に引っかけた下駄が揺れている。
「袖からものを取り出すのは、そういう術なの?」
 眼鏡を動かし、一樹は尋ねた。袖からものを取り出す。払い棒や札など、鈴音も時々見せてていた。見た限り、沙雨は鈴音よりも大きなものがしまえるらしい。
「まあ、そんなところだ」
 沙雨が頷く。
 それから四枚目のクッキーを手に取り、食べ始めた。冷たい風が肌を撫でる。沙雨も防寒の術を纏っているようだ。鈴音が使う防寒術と同じかは分からないが、効果は大きいのだろう。空気は冷たいのに、その仕草から寒さを感じさせない。
 鈴音に目をやり、探るように目蓋を下ろす。
「ところで鈴音。お前はもう一人いるようだな」
「ああ。お前は目がいいのだ」
 鈴音の口からそんな声が出た。鈴音と同じ声だが、どこか唸るような声である。
 黒い髪が白く変化し、黒い目が赤く染まる。頭に乗せていた赤い帽子と、首に巻いた赤いマフラーが、黒く変化していった。赤いマントだけは変らない。身体が少しだけ大きくなる。滑らかに組み変っていく小さな身体。
「これは、凄い……」
 驚いたような感心したような、そんな顔で沙雨が鈴音の変化を眺めている。
 入れ替わった琴音が自分に親指を向けた。
「オレは厄神の琴音だ。鈴音とは身体を共有しているのだ」
「ひとつの身体にふたつの人格。福神と厄神を纏めてしまうのは、確かに効率がいいかもしれない。しかも人格交換に合わせて姿まで変るのか。無駄に凄い技術だ……。だが、こういう事に使うものではないだろう?」
 半眼でそう言う沙雨に、琴音は頷いた。
「技術の無駄遣いとは、オレも思うのだ。でも、これはこれで色々ありがたいのだ」
 そして、琴音から鈴音へと身体が戻る。
「ただいまなのです」
「おかえり」
 一樹は呟く。今は鈴音の時間なので、特別な理由が無いかぎり琴音が表に出続けることはない。今も、言うことを言ったら戻ってしまった。
 沙雨は鈴音と一樹を交互に見てから、口を開く。
「さきほど未来のお婿さんと言っていたが。どこまで進んだのだ?」
 薄く笑う。
 一樹と鈴音は顔を赤くして、目を逸らした。
「……それは秘密なのです」
「キスくらいまでだな。その様子だと」
 納得したように沙雨が頷いている。
 一樹は言葉も無く、眼鏡を持ち上げた。クリスマスの日に、鈴音と琴音とキスをした。その場の流れだったこともあるが、思い出すとさすがに気恥ずかしい。
「冗談はさておき、あたしが気になるのは、そこじゃない」
 沙雨が言葉を続ける。その口調が全く別のものへと変っていた。真剣な口調。息を呑むような気迫が、沙雨から立ち上っている。
「鈴音、お前は神だ。小森一樹と言ったか。お前は人間だ。身体の大きさも違うし、そもそも生きている場所が違う。普通に考えて、結ばれる道理がない。お前たちの間にある壁は、お前たちが考えているよりも遙かに大きいぞ。それをどうするつもりだ」
 黒い瞳が一樹と鈴音を見据えた。その目に映る、微かな悔しさ。もしかしたら同じような事があったのかもしれない。本来結ばれない相手との恋。
「ワタシが人間になるのです」
 その問いに答えたのは、鈴音だった。自分の胸に手を当て、きっぱりと。
「人間に――」
 沙雨が瞬きをする。まるで予想外の答えを聞いたように。
 まっすぐに沙雨を見つめ、鈴音が続ける。
「主様がワタシと琴音を一緒に一人の人間にしてくれるそうなのです。神格や術の力は無くなっちゃうと思うのです。でも、一樹サマと一緒にいられるなら、構わないのです」
「しかし、神が人間になるなど……」
 言いかけてから、沙雨は口元を押えた。
「いや、待てよ……」
 目を閉じて考え込む。
 一樹と鈴音は目を見合わせた。
 眉間にしわを寄せ、小声で呟いている。真剣な面持ちで何かを考えているようだった。何を考えているかまでは、分からない。
 しばらくして、沙雨が鈴音に向き直った。
「ひとつ訊きたい。さっきから言っている主様とは、誰だ? 人工の神だからお前を作ったヤツとは思うが。このような」
「狼神の大前仙治サマなのです」
 鈴音が笑顔で答える。
 鈴音を作った大前仙治。茨城の山奥で山の神を勤めているらしい。運が悪い事が悩みで、厄払いのために鈴音を作ったが、酔った流れで結局一樹に渡してしまった。そんな抜けた人である。軽率な行動を取ってしまう気質のようだった。
「大前仙治……? どこかで聞いた事がある」
 沙雨が目を閉じる。
 一樹の記憶にある仙治は、人の好さそうな男だった。風格などは感じられなかった。しかし、沙雨の様子を見るに、どこかの分野では有名なのかもしれない。
 それから沙雨がぽんと手を打った。
「あれか……。なるほど、そういう方法があったか……」
 得心したように、呟いている。
 おもむろに両手を持ち上げ、鈴音の手を掴んだ。会心の笑みが、その顔に浮かぶ。
「ありがとう、鈴音。お前のおかげで、何とかなりそうだ!」
「よくわからないけど、どういたしましてなのです……」
 曖昧に微笑みながら、鈴音が答えた。

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12/3/20