Index Top 一尺三寸福ノ神 後日談

後編 勝者へのご褒美


「むー……」
 散らばったトランプの前で、倒れ伏している鈴音と琴音。
 ババ抜きから、各種カードゲーム、将棋やオセロなどのボードゲームから、途中夕食を挟む。もう一度ババ抜きに戻って、時計を見ると午後八時だった。
「また惨敗なのだ……。勝てるとも思っていなかったのだ」
「琴音と一緒なら、何かは勝てると思ったのです」
 疲れ切った顔で、琴音と鈴音がトランプを見つめている。
 一樹は散らばったトランプを拾い上げ、それを数字順に並べ替えていく。ケースに収める時は、きれいに整っている方が気分が良い。
「まあ、頭を使った勝負で僕に勝とうというのが無理あるよ。こう見えても、運に頼らないテーブルゲームじゃ、相当に強いから。テレビゲーム類は苦手だから、そっちから攻められればキツかったな」
 笑いながら、そう告げる。
 ボードゲームやカードゲームなどの手と頭を使う遊びは一樹の得意分野である。完全な素人である鈴音たちがそこに飛び込んで、それで勝とうとしているのだ。言うなれば、大人と子供の勝負。圧倒的に分が悪いことは否めない。
「むーぅ……」
 鈴音が顔をしかめる。
 それから、何か思いついたのか、一度首を縦に動かした。
 両手で床の絨毯を叩いて、跳ね起きる。窶れたような表情は元に戻っていた。食事などを必要としない身体構造のためか、その時の気分で体調がかなり変化するようである。
 鈴音はぴっと人差し指を立てた。
「それでは一樹サマ。勝者へのご褒美なのです」
「ご褒美?」
 トランプをケースにしまい、一樹は首を傾げる。
 琴音もうつ伏せのまま、訝しげに鈴音を見上げていた。
 鈴音は得意げに口元を緩めながら、
「そうなのです。勝者には報酬が与えられてしかるべきなのです。というわけで、ワタシがキスをしてあげるのです」
 と、黒い瞳を輝かせる。
「キス……ね」
 一樹は一度目を閉じた。何を期待しているのかはよく分からないが、それが勝利への報酬というのならば、余計な事は言わずに受け取るべきだろう。
 目を開いてから、両手で鈴音を抱え上げる。
「そうなので……えっと、あれ……? あの……一樹サマ」
 狼狽える鈴音。
 身長四十センチに満たない小さな身体の女の子。ぬいぐるみのような重さと手触りで、見た目は動くぬいぐるみだ。しかし、ちゃんと生きており、体温もあり呼吸もしている。手違いで一樹の元に来た、福の神の女の子。
「おとなしくして」
「はい、なのです」
 かくんと頷いて目を閉じる鈴音。
 一樹はその小さな唇に、自分の唇を重ねる。そっと、優しく。微かに感じる体温と、綿細工のように柔らかな感触。下手に力を入れれば、そのまま壊れてしまうそうな儚さだった。ほんの少し唇を合わせるような、拙い口付け。
 静かに唇を放し、一樹は鈴音を床に下ろす。
 その頭を優しく撫でた。
「……」
 鈴音が目を開く。
 黒い瞳が揺れた。止まっていた思考が、緩慢に動き始めるのが分かった。それに伴い、顔が真っ赤に染まっていく。
「あぅ……ぁぅ」
 喉から意味のない声が漏れた。
 耳まで真っ赤に染まった顔、がくがくと冗談のように震える身体。黒い瞳は意味もなく虚空を泳ぎ、焦点も合っていない。頬を汗が流れ落ちた。頭の上から、ゆらゆらと陽炎のようなものが立ち上っている。それが錯覚か否かは分からなかった。
 鈴音は震える右手を持ち上げて、自分の唇を撫でる。
 それから、しばしの沈黙。
「んなあああああああああああああああ!」
 いきなり絶叫するなり、弾かれるように駆け出した。両手を振り上げ目を回しながら、全速力で。壁にぶつかってもすぐさま跳ね起き、別方向へと走り出す。部屋中を無茶苦茶に走り回ってから、大きく跳躍。頭からベッドに突っ込んだ。
 顔を毛布に埋めて、じたばたくねくねと悶えている。
「小森一樹、お前は本当に恐ろしい男なのだ……」
 その様子を眺めながら、琴音が右手で額をぬぐった。いつの間にか立ち上がっている。その顔には明らかな恐怖の感情が映っていた。
「大丈夫か、鈴音?」
「のおおおおおおお!」
 一樹が声を掛けると、鈴音は再び叫びながらぐるぐると布団の上を転げ回る。
 しばらくは声を掛けない方がいいようだった。
 鈴音から目を離し、一樹は琴音に向き直る。
「琴音はどうする?」
 その問いに、琴音はいくらか迷うように視線を泳がせてから、
「お前と戦った時点で負けは決まったいたようなのだ。オレも腹括るのだ。キスでも何でもしてやるのだ!」
「じゃ、お言葉に甘えて」
 がっしりと腕を組んで宣言する琴音に、一樹は両手を伸ばした。鈴音と同じようにその身体を持ち上げる。重さは鈴音と変わらない。
「は、初めてだから、優しくして欲しいのだ」
 表情を硬くして言ってくる。
 一樹は左手で琴音の身体を抱え、右手で頭を撫でた。
「大丈夫だよ」
 優しく笑いかけてから、琴音の唇にそっと自分の唇を重ねる。
 無抵抗に受け入れた鈴音と違って、合わせるように唇を押し付けてきた。それでも、はっきりと緊張していることが分かる。鈴音と同じようで少し違う、淡く薄い唇の感触。
 一樹は唇を放し、琴音の頭を再び撫でた。
「……!」
 顔を真っ赤にして口元を震わせている琴音。
 一樹は抱えていた琴音を床に下ろす。
「うぅぅ……」
 両手を握り締めたまま、琴音が呻き声を漏らす。鈴音のようにパニックになって暴れ出すということは無いが、できるなら今にも走り出したいのだろう。
 ごくりと喉を鳴らしてから、琴音が大きく深呼吸をした。
 頬を赤く染めたまま、ジト眼で言ってくる。
「お前はつくづく、つくづく無意味に凄いのだ……」
「そう言って貰えると嬉しいよ」
「褒めてないのだ……」


 二人が落ち着いた頃には十一時を過ぎていた。
 ベッドに腰を下ろした一樹。その膝の上に、鈴音と琴音が並んで座っている。落ちないように、一樹は両手で二人を軽く抱えていた。
「一樹サマは大胆なのです」
 鈴音が恥ずかしそうに口元を手で撫でている。まだ感触が残っているのだろう。
 しかし、おもむろに目蓋を下ろし、眉毛を内側に傾け、したり顔で頷く。
「でも、これからワタシは一樹サマのお嫁さんになるのです。この程度で取り乱していては身が持たないのです。これから、色々あるのです」
「ああ……。そうなのだ」
 ため息をつき、琴音は呻いた。照れ隠しのためか、ふて腐れたようにそっぽを向いている。一樹の手に右肘を乗せ、頬杖を突いて。頬はまだ赤い。
 ふと思いついたように、鈴音が琴音を見た。
「ところで琴音は……どうなるのです? ワタシと琴音は一心同体なのです。一樹サマと一緒になるには、琴音も一緒じゃないとマズいのです」
「むぅ?」
 琴音が鈴音に目を向ける。
「仙治さんの話だと、二人を融合させちゃうみたい。鈴音一人だけだと、人間にするには容量が足りないらしい。人格もまとまっちゃうって言ってたけど」
 その言葉を聞いて、琴音が振り向いてくる。
 一樹とずっと一緒にいるために、鈴音を人間にしてしまう。仙治の考えで、一樹と鈴音はそれに同意した。しかし、まだ琴音の返事を聞いていない。
「構わないのだ」
 一樹の考えを察したように、琴音は無愛想に答えた。
 右手で一度頭をかいてから、大きく息をつく。
「オレも鈴音と一緒にお前の妻にでも何にでもなってやるのだ。心の準備はもう出来ているのだ。いつでも好きなように似るなり焼くなりするのだ」
「ありがとう、琴音」
 一樹は笑いながら、琴音の頭を撫でた。
 その手を琴音が振り払う。
「でも、まだ僕も二人と一緒になるって年齢にはちょっと早いから、二人とももうしばらくこの小さい身体のままでいてくれないかい?」
「分かったのです」
「気長に待つのだ」
 鈴音と琴音はそう答えた。

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10/12/24