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第35話 帰路異常なし |
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風に揺れるイネ科植物の葉。 一ノ葉の背に乗った鈴音は、右手を前に突き出した。 「この先に、一樹サマのお家があるはずなのです」 「川だぞ……」 ため息混じりの一ノ葉の声。 鈴音の前には、幅二十メートルほどの川が流れていた。強風に水面が激しく波打っている。その両岸はオヒシバやエノコログサなどイネ科植物の茂った草地になっている。ただ秋も深くなったせいか、ほとんど枯れている。川を挟むように土手が作られてあった。 いわゆる、普通の川である。 鈴音は目の前の川を見つめたまま、両腕を組んだ。 「困ったのです……。こっちの方向に一樹サマのお家があるのは分かるのですが、川になっているのです。このままでは進めないのです」 「近道とか言わず素直に道なりに行っていればよかったな……。多少遠回りにはなるが、国道沿いに行っていれば普通に橋を渡れただろう」 右前足で頬のヒゲを撫でながら、一ノ葉が他人事のように呟く。 依代であるお守りのある方向へと誘導していたら、いつの間にか川岸にいたのだ。依代の位置が分かるといっても、それは直線方向としてである。途中に障害物があっても、その存在は分からない。 「これは、盲点だったのです……」 鈴音は神妙な面持ちで首を縦に動かした。 「普通は気づくものだが……」 言ってから、一ノ葉は足を進める。川に向かって。 その行動に鈴音は思わず声を上げた。 「一ノ葉サマ?」 「幸い川でよかったわ。高速道路とかだったら厄介だったが……」 前足が水面に触れる。 しかし、一ノ葉は沈むことももなく、水面に足を付けていた。続けて後ろ足も水面に付き、そのまま川の上を四つ足で歩いていく。身体が沈むことはない。歩く度に足から薄い波紋が川面に広がっていた。 「乱歩の術・水雲……」 一ノ葉は肩越しに鈴音を見やり、そう口にする。 「水の上を歩く術だ。ワシも初めて使ったが、そう難しいものではないな」 「面白そうなのです。ワタシも使ってみたいのです」 一ノ葉の足元を見つめながら、鈴音は正直に呟いた。足から薄い妖力が広がり、水面を固定している。それほど難しい術式ではないようだった。 「使えるのか?」 茶色の目に不安げな色を見せる一ノ葉。 「使ったことはないのです。でも、試して見たいのです」 鈴音はぱんと両手を打ち合わせた。両手に法力を集中させる。手を合わせる深い意味はないが、複雑な術を使う心の合図のようなものだった。 だが、一ノ葉が静止してくる。 「やめておけ、落ちて流されてたら笑い話にもならぬ。お前は多分泳げないだろうから、面倒なことになるのは目に見えている。どのみち助けるのはワシなのだ」 鈴音は背中に掴まったまま、川面を見つめた。 強風によって水面には無数の小さな波ができている。深さは一メートルもなく、流れもそれほど速くはない。だが、落ちたら大変だろう。 両手に集めた法力を戻し、鈴音は頷いた。 「今度お風呂場で試してみるのです」 「それがいいだろ」 安心したように正面に目を戻す一ノ葉。 そうしているうちに川を渡りきり、向こう岸へとたどり着く。 「さて……」 水面から土の上に移動しながら、一ノ葉が空を見上げた。鈴音も空を見上げる。 先程と変わらぬ青い空を、白い雲がかなりの速さで流れていた。太陽の位置はそれほど変わっていない。一ノ葉と一緒に一樹の家を目指してから、まだ一時間程度しか経っていないようだった。 「この調子ならば、昼過ぎには着くかな?」 尻尾を動かしながら、一ノ葉が呟いた。元々極端に長い距離を移動するわけでもなく、途中に大きな障害もない。人間よりも足の速い一ノ葉ならば、一樹の家まで行くのもそれほど時間はかからないだろう。 「なんかあっけないのです。もう少し冒険したかったのです」 足を揺らしながら口にした鈴音の言葉に。 「ん?」 一ノ葉が右へと目を移した。 鈴音も一緒に目を向ける。 風上から紙袋が転がってきた。川岸の砂利道を転がるように近づいてくる。茶色い紙製で取っ手が付いていた。どこかのホームセンターのものだろう。 近づいてくる紙袋を、鈴音はじっと見つめる。 「何かトラブルの予感なのです」 「ふん!」 だが、一ノ葉が右前足を一閃。 鋭い風切り音とともに、紙袋が裂けた。前足の爪から見えない刃を飛ばす術なのだろう。鋭利な刃物で斬ったように、一瞬で細切れになっている。十枚ほどに分かれた紙切れが、強風で空に舞い上げられていった。 「凄いのです……」 真上を飛んでいく元紙袋を見上げながら、鈴音は感嘆の言葉を漏らす。どのような術かは分からなかったが、その攻撃力は真剣以上だろう。人間相手でも十分に殺傷能力のある術を、一ノ葉は苦もなく使ってみせた。 「お前、何を期待していた?」 「あははー。気のせいなのです……」 ジト目で振り向いてくる一ノ葉に、鈴音は誤魔化し笑いを見せた。 |