Index Top 一尺三寸福ノ神

第29話 因果応報


「さあ、行くのだ! 小森一樹ィ」
 肩に乗った琴音が、右手で前方を指差している。
 一樹の両肩に両足を乗せ、左手で髪の毛を掴んでいた。頭にしがみつくような肩車。鈴音は抱きかかえられるのを好むが、琴音は肩に乗るのが好きらしい。
 土曜日の朝八時過ぎ。住宅街を行き先も無く歩いていく。散歩に行くと騒いだ琴音に連れ出されたのだ。適当に歩いたら帰るつもりである。
「散歩って言っても、琴音は歩いていないと思うけど……。鈴音も散歩が好きな割に自分で歩こうとしなかったし、自分で歩くの嫌いなの?」
「男が細かい事を気にしては駄目なのだ」
 ぺしぺしと右手で頭を叩きながら、琴音が偉そうに言ってくる。
 一樹は眼鏡を動かしながら、問いかけた。
「細かい事かな?」
「細かい事なのだ。オレがそう言うのだから正しいのだ」
「無茶苦茶な……」
 琴音の言い分にため息をつく。
 頬を撫でる冷たい風に、一樹は視線を上げた。羽雲の浮かぶ青い空。さすがに十一月も半ばを過ぎると寒い。普段着の上に冬用コートを着込んだ防寒姿である。普通の人間よりも体脂肪が少ないので、寒さには弱い。
「そういえば、そんな格好で琴音は寒くないの?」
 赤い着物と黒い袴。その上から何か羽織っているわけでもなく、生地が厚いというわけでもない。普通に考えれば、かなり寒い格好である。
「防寒の術を纏っているから、寒くはないのだ」
 顔は見えないが、得意げにしているのは分かった。防寒の術。名前からして寒さを遠ざけるような術なのだろう。もっとも、琴音も鈴音も一着しか服を持っていないようなので、季節に合わせてそういう術を使う必要があるのかもしれない。
「便利だね」
 一樹は本心からそう呟く。
 琴音が前髪を払う気配が伝わってきた。
「確かに便利だけど、お前が考えるほどお気楽なものでもないのだ。神様は神様なりに、人間には分からない苦労もあるのだ。……あ」
 何かに気づいたような琴音の声。
 一樹は足を止め、琴音が目を向けた方向へと目を向けた。琴音の顔は見えないが、どちらを向いたのかは気配で分かる。
「どうした、琴音?」
 道路の反対側に、一人の男が見えた。これといって特徴のない五十歳くらいのおじさんである。散歩か何かだろう。煙草を吸いながら歩いていた。
「あの男、歩き煙草は危ないのだ」
 男を見ながら、眉根を寄せる琴音。顔は見えないが、不思議と表情は分かる。
 男が吸い終わった煙草を、そのまま横へと放り投げた。くるくると回りながら、煙草がアスファルトの地面に落ちる。微かに紫煙を漂わせていた。
「煙草のポイ捨ても迷惑なのだ……。最近のおじさんは躾がなっていないのだ」
 琴音が呻く。その声には微かな怒りが見えた。
 そして、右手を男に向ける。
 不穏な空気を感じ、一樹は尋ねた。
「おい、何する気だ?」
「因果厄招き」
 パッ、と紙を弾くような音を立てて、何かが放たれる。
 小石が空を切るような音が聞こえた。見えない何かが空を走り、男の頬に当たる。一樹には何も見えなかったものの、琴音が何かを放ったようだった。
「ん?」
 男も自分の頬に何か当るのを感じたらしい。足を止めて、不思議そうに自分の頬を撫でている。見た感じ、痛みなどは無いようだった。
 しかし、頬には何も付いていない。手にも何も付いていない。
 きょろきょろと辺りを見回している男。
「何した……?」
「世の中とは因果応報なのだ」
 その答えを証明するように。
「カァー」
 一樹は視線を持ち上げた。
 電柱に一羽のカラスが留まっている。調度男の立っている真上。
「もしかして……」
 これから起る展開を予想し、一樹は呻いた。
 予想通り、男が真上に顔を向ける。続いて起った事も予想通りだった。
 ペチャ。
「………。うあぁ!」
 男が一拍遅れて悲鳴を上げた。その頬にカラスの糞が直撃している。蹌踉めいてから、手で自分の頬に触れ、くっついた糞に思い切り顔をしかめていた。ポケットから取り出したハンカチで、手と頬にくっついた糞を拭ってから、早足にその場を後にする。
「琴音、今のって……」
 一樹の問いに、琴音が肩からするりと前に移動する。慌てて持ち上げられた一樹の右腕に両足をついた。不安定な腕の上で、蹌踉めきもせず腕組みをして仁王立ちしている。口の端を持ち上げながら、ポニーテイルの銀髪を動かした。
「オレが厄を招いたのだ。煙草を捨てたことに対する応報なのだ。何かを捨てれば、自分にも何かが捨てられる――当たり前のことなのだ」
「難しい事言うね」
 思わず感心する一樹に、琴音はふっと鼻を鳴らす。
「厄神というのは、福神以上に難しい神様なのだ」

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