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第27話 一樹が見せたいもの |
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ホワイトボードに書かれているのは、細い三角形が二十個ほどだった。 「つまり、円の面積というのは、長さが限りなくゼロに近い底辺と、半径分の高さを持った三角形が無数に並んでいるものと考えられる。結果『円周×半径÷2』というさっき教えた三角形の面積を求める式で面積を求められる」 布団の上で倒れている琴音を眺めながら、一樹は続ける。1+1=2の証明から、ゼロと無限大について語り、積分を通って、今は小学生レベルの面積の求め方に移っていた。一時間ほど経っただろうか。 「そして、この式を円のパーツごとに分けると、『直径×π×半径÷2』となり、直径の半分が半径だから『半径×π×半径』となり、おなじみ『半径×半径×3.14』という円の面積の求め方になる、と。分かった?」 ホワイトボードを机に置いて声を掛けるが、返事は無い。 琴音は両目から涙を流したまま、燃え尽きていた。両腕と両足を縛られたまま、放心状態。もはや涙も枯れているだろう。五分ほどでギブアップ宣言をしたが、無視して語り続けること一時間。少しやり過ぎたと思う。 「もう限界かな?」 一樹は琴音に近づき、手足を結んでいた紐を解いた。紐を取られても、ぐったりして動かない。動く余力も無いのだろう。さながら壊れた人形である。 「終わったよ」 ぽんぽんと頭を叩き声をかけると、琴音の赤い瞳に少しだけ光が戻った。赤い袖で涙を拭ってから、擦れた声を絞り出す。 「うぅ、ようやく、終わったのだ……。長い時間だったのだ……。だが、これしきのことで、オレの心はは折れたりしないのだ……!」 「なら、次対数関数行ってみようか?」 一樹の呟きに、琴音は何も言えぬまま涙を流し、ふるふると首を振った。中学生以上の数学の話を聞いても内容は理解できないが、難解な話であることは分かるらしい。内容を無視すればいいのだろうが、そういう事もできないようである。 「オレの負けなのだ……。だから、もう許して欲しいのだ……」 琴音が敗北を認めた。 「よろしい」 一樹は小さな頭に手を置き、余裕たっぷりに微笑む。 琴音は頭に置かれた一樹の腕を振り払い、大きく息を吸い込んで身体を起こした。その場にあぐらをかいてから、両手を黒袴の膝に置き、口元を引き締め睨み付けるように見上げてくる。涙目であることを強引に誤魔化して、 「約束通り、オレはお前を認めたのだ。さあ、何でも言うのだ。オレにできることなら、何でもやってやるのだ」 「うーん?」 数歩後ろに下がって、椅子に腰掛けてから、一樹は眼鏡を取った。霞んだ視界。眼鏡拭きでレンズを拭いてから、再び掛ける。霞んだ視界が元へと戻った。 「コレといってやって欲しいことは無いんだよね。あんまり騒いだりせずに大人しくしていてくれれば、ぼくはそれで満足だよ」 「欲の無い男なのだ……」 琴音の呟きに、一樹は続けて言ってみた。 「それに、君何ができるの?」 その問いに、琴音の目が点になる。見ての通り、ぬいぐるみ程度の大きさと重さで、猫並にすばしっこいものの単純な力はそれほどでもない。法術が使えるが、法術自体それほど便利なものではないようだった。 「え、と?」 頬を流れ落ちる冷や汗。しばし考えてから、琴音はぽんと手を打った。赤い袖とポニーテイルの銀髪が揺れる。何か思いついたようだった。 「お前に嫌いな奴がいたら、厄を招いてやるのだ!」 「いや、そういう相手いないから」 一樹はそう答える。 「うぐ」 傷ついたように琴音は胸を押さえた。厄神としての力は、あまり人に歓迎されるものではない。その自覚はあるだろう。 「ま、そういうことは期待してないよ。鈴音もほとんど何もしなかったし、せめて部屋の掃除手伝ってくれるくらいはしてほしかったな……」 「あいつは怠け者なのだ……。オレは、気が向いたら手伝ってやるのだ」 腕組みしながら横を向き、琴音が呻く。鈴音の言葉では、得られる自然エネルギーは常に一定なので、無駄遣いしたくはないとことこだが、あまり説得力はなかった。 思わず笑いそうになったのを口を押さえて誤魔化しつつ、一樹は尋ねてみた。 「ところで、いつになったら鈴音に戻るの?」 「オレは知らんのだ。でも、そう遠くない時期に戻るのだ。小森一樹、お前はオレよりあいつの方がいいというのか……。やはり、福の神の方が人気者なのだ」 ぐっと拳を握って悔しそうな顔をしている。 一樹は時計を見やった。午後九時半。 「さて、まだ寝るには早いよね」 そう言いながら、テレビの上に置いてあったリモコンを手に取る。テレビのリモコンとDVDレコーダーのリモコン。 部屋を横切り、琴音の隣に腰を下ろし、リモコンでテレビを付けた。ドラマが流れて言いたが、ビデオボタンを押し、青い画面に映る。それから、DVDレコーダーのハードディスクを開き、保存してある番組表を見せた。 「ビデオでも見る?」 「鈴音の時みたいに怖い番組見せても、オレには通じないのだ」 唇を曲げ、琴音が赤い瞳で睨み付けてくる。ただ、それがただの強がりであることはすぐに分かった。膝が微かに震え、視線も落ち着いていない。やはり基本的な部分は鈴音と変わっていない。 だが、気づかぬ振りをして一樹はひとつのアニメを選択する。 「ぼくだってそうワンパターンなことはしないって。これは有名な名作アニメだよ。CM全部カットしてあるけど、全十三話はちょっと時間掛るかな? でも、明日は休みだし、多少夜更かしは大丈夫かな」 ハードディスクの動く音がして、アニメが再生される。 水中から見るような光。暗い空を飛んでいくカラスのような鳥、そして暗い空を落ちていく一人の少女。幻想的な雰囲気のアニメだった。 「ほう、なかなかきれいな絵柄なのだ」 琴音が腕組みをしながら、感想を口にしている。 「灰羽連盟ってアニメだよ」 テレビを見つめる琴音に、一樹はそう告げた。 |