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第19話 恐怖の時間は終わらない? |
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時計を見ると、夜の十一時前。 一樹は何度か背伸びをしてから、ベッドに腰を下ろした。 「鈴音、いつまでむくれてるつもり?」 机の上に座って、一樹に背中を向けている鈴音に声を掛ける。HDDのトラップに、カーテン自動開閉装置のせいで、拗ねてしまったのだ。 「ワタシの気が済むまでなのです」 振り向きもせずに、鈴音が答える。一樹が謝るまで拗ね続ける気のようだった。 一樹は眼鏡を取り、ナイトテーブルに置く。HDDを盗み見た件は自業自得であるが、カーテンのネタはいくらか罪悪感があった。しかし、今すぐ謝るという気はない。 「それなら仕方ない」 一樹はため息をつく。 ぴくりと鈴音の肩が動くのは、見逃さなかった。 気づかない振りをして告げる。 「秋の夜は冷えるけど、風邪引かないように気をつけてよ?」 「……ふ、福の神は風邪を引かないので大丈夫なのです!」 語気を強めながら、鈴音が言い返してきた。だが、その言葉に先ほどの余裕はない。本人は平静を装っているつもりなのだろう。あいにく鈴音は自分の考えていることが、すぐに口調や表情に出てしまう。 「物事には順番というものがあるからね」 そう告げてから一樹はベッドから立ち上がり、電気のヒモを引っ張った。蛍光灯が消え、オレンジ色の常夜灯が暗く部屋を照らす。薄暗い室内で、鈴音が少しだけ振り返ってくるのが見えたような気がした。黒髪が白衣を撫でる微かな音が聞こえる。 今の言葉の意味が理解できたかどうかは分からない。 布団を持ち上げ、一樹はベッドへと潜り込む。まだ冷たいがそのうち暖かくなってくるだろう。肌寒く薄暗い室内。鈴音のいる机に背を向けてから、目を瞑る。時計の秒針が奏でる音を聞きながら、意識を淡い眠気の中に漂わせていると―― すたすたと床を歩く音が聞こえた。 「一樹サマ――」 続けて、耳元で鈴音が声を掛けてくる。 「一樹サマのHDDを勝手に盗み見て、ごめんなさいなのです。これはワタシが悪いのですから、余計な言い訳はしないのです。だから、布団に入れて欲しいのです」 力の抜けた声音で謝ってきた。その口調に嘘や偽りはないようである。演技である可能性も考えられるが、鈴音にそこまで器用に感情を隠すのは無理だろう。 「案外早かった」 声に出さずに呟く。 寝返りを打って、目を開けると目の前に鈴音が立っていた。 両手を垂らして、申し訳なさそうな顔で一樹を見ている。元気なく下がっている、頭のアホ毛。自分のやったことについては反省しているようだった。 一樹は小さく吐息してから、布団をめくって上体を起こす。常夜灯の薄暗い明かりに照らされた室内。ぽんと鈴音の頭に右手を置いて、 「ぼくもカーテンの開閉機械で脅したのは、悪かったと思ってる。済まなかった。でも、あのまま怯えてるのはさすがに気の毒と思ったから」 「うー。そうなの――」 カタン。 音は突然だった。軽いものが床に落ちるような音。 「一樹サマァッ!」 右手首にがっしりと抱きつきながら、鈴音が大声を張り上げる。薄い胸を右手の甲に押しつけているが、本人にその自覚はない。涙目で見上げてくる。 「人がせっかく謝ってるのに、いきなり何でこんないたずらを――」 パタパタパタ、カシャン! 言葉にすればそんな感じだった。立て続けに何かの落ちる音。 鈴音が大袈裟なまでに身体を強張らせるのが分かった。 一樹は一言告げる。 「ぼくは何もしてないよ」 「なら、何なのです……。もしかして、お――」 半泣きの声で鈴音が言ってきた。だが、自分の推測を口に出そうとした所で口を止めて、腕を握りしめる力を強くする。本当に幽霊だったらと思ったのだろう。 一樹は鈴音を抱きかかえてベッドから起き上がり、電気を付けた。 部屋が白く照らされる。 「やっぱり」 そこにあったのは予想通りの光景だった。 床に散らばったシャーペンやボールペン、サインペン。一緒にペン立てが転がっている。それらは元々机の上に置いてあったものだ。 「何なのですか、これは……?」 散らばったペン類を見つめ、気の抜けた呟きを漏らす鈴音。何が起ったのか、まだ分かっていないようである。 一樹は落ちたペンとペン立てを拾い上げ、机の上に戻した。 「鈴音がこっちに来るときに裾か髪の毛引っかけて、ペン立て倒したんだよ。多分。それが、床に落ちて音を立てた。幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってね?」 放心している鈴音に笑いかけてから、電気を消し、ベッドに戻る。小さな身体を抱きかかえたまま、布団に潜り込んだ。痩せた胸板に、鈴音が身体を預けてくる。ついさっきの恐怖から逃れるように。身体が微かに震えているのが分かった。 「一樹サマ……」 ふと鈴音が口を開いた。 「前から思っていたのですが、一樹サマはお化けが怖くないのですか?」 「僕は幽霊とか妖怪とか、そういう非科学的なものは信じないから」 鈴音の背中を撫でながら、一樹はそう答えた。 「ワタシの存在あっさり全否定しないで欲しいのです」 呆れたように鈴音が反論してくる。 自ら福の神と名乗る人形サイズの女の子。普通の人間には見えない。これを無理矢理解釈するなら幻覚だろう。しかし、鈴音はそこに存在しているし、見える人間もいる。 一樹は鈴音の頭を撫でながら、小さく笑った。 「冗談だよ。幽霊も妖怪も、科学的に解明できる要素を持っているから非科学的って一蹴するのは間違いだ。インチキが多いのも事実だけど。いつだったか幽霊なら気合い入れて殴れば追い払えるって言ったの、鈴音じゃないか?」 「そういえば、そんなこと言ったような気がするのです」 最初に会った日の夜のことを思い出したのだろう。 「それに、存在するものなら、それは解明できるものだ。解明できる可能性があるものを恐れる理由はないよ。未知のものだけど、不可知のものじゃないから」 「うぅ。難しい話なのです」 鈴音が眉根を寄せるのが分かった。ここから語り出すと小難しい上に長い話になってしまう。寝る前にするような話ではないし、鈴音にも辛いだろう。 「そう思うなら、もう寝よう」 「はいなのです」 一樹の言葉に頷いて、鈴音は目を閉じた。 しかし、一樹は声に出さず、誰へと無く問いかける。 「でも、何でペン立てが倒れる音がしなかったんだろうね?」 |