Index Top 第7話 妖狐の都へ |
|
第9章 秘められた想い? |
|
葉月が倒れた霞丸をまじまじと見つめてから、銀歌に目を向ける。 「知り合い?」 「顔見知りと言えば、顔見知りかも」 頭痛を覚えながら、それだけ答えた。 大滝霞丸。名門大滝一族宗家の跡取りである。先代が病で夭逝し、今は若き当主になっているらしい。都を出る前から変人だったが、変人度は変わっていないようだった。二十年程度で変わるとも思えない。 焦点の合っていない赤い瞳を、銀歌に向ける。 「おやー。お嬢ちゃん、おれのこと知ってるのかいィ……? そりゃ、光栄だなー。あと、そちらーの、メイド服の素敵なお姉さんー。今度一緒にお茶でもどーですかーなァ?」 と、葉月に声を掛けた。 「無理です」 「うぁー。酷いィ」 即答されて、さめざめと涙を流している。畳に倒れたままウォッカの蓋を開け、中身を口に入れた。三口ほど飲んでから、瓶に蓋をする。アルコール臭い吐息。もはや何と言っていいか分からない有様だった。 白鋼も霞丸の背中を眺めながら、表情を曇らせていた。 視線で尋ねてくる葉月に、銀歌は頭に浮かんだ情報をそのまま、口にする。 「派手好き、酒好き、遊び好き、女好き、仕事嫌いの放蕩息子。そんな男だ」 「それでも実力はありますから。普段は駄目男ですけど、決める時は決めるのが彼ですよ。緩急が極端と言うか、爆発力が凄まじいと言うべきか。ともあれ、この若さで大滝一族をまとめ、妖狐族の十二位になった実力は本物ですよ」 その台詞に、思わず霞丸を凝視する。 「出世したな、オイ」 畳に突っ伏している泥酔男。駄目息子の皮を被った切れ者と噂されていたが、当時はただの噂だと思っていた。しかし、噂は事実だったらしい。それでも、今の風体を見てそれが事実とも思えない。 「それが、何でこんなに酔っぱらってるんだ?」 銀歌は霞丸を指差しながら、白鋼を睨んだ。空魔の話が正しければ、事前会議でここまで酔いつぶれることはないはずである。 唐突に、霞丸が跳ね起きた。 「銀歌ァ、好きだー!」 叫びながら飛びかかるが、白鋼は再びあっさり躱した。何もない空間を抱きしめてから、着流しの裾を踏み、顔面から畳に突っ込む霞丸。顔を押さえて唸っている。 今白鋼のことを『銀歌』と呼んだ。 「事情を説明しろ」 「さっき、口説かれましてね……」 尻尾を動かし、白鋼が乾いた作り笑いを見せる。 霞丸の女好きは都でも有名だった。きれいな女を見れば、とりあえず口説くという無節操さ。しかし、普段の言動や恰好が災いして、相手にされることは少ない。振られ屋の霞丸という的確なあだ名も付けられていた。 銀歌も何度となく声をかけられ、返事の代わりに拳を叩き込んでいた記憶がある。 葉月が羨ましそうに白鋼を見つめた。 「御館様モテますね」 「元の素材がいいんですよ。変に飾らず大人しめの服装で普通にしていれば、超一級の美人ですからね。自覚が無いというのは恐ろしいことです」 と、銀歌に目を向ける。 「続けろ」 その一言に、白鋼は咳払いをして、 「最初は適当にあしらっていたんですけど、飲み比べ挑まれまして――大人気なく対抗してしまいました。ちょっとやりすぎましたね」 「酒で女を酔わせるってのは、らしくないな」 霞丸が女を口説く時は、愚直に正面突撃。ついでに粉砕である。酒で酔わせてどうにかするという搦め手を使うとは聞いたことがない。 「泡盛、テキーラ、ジン、スコッチ、ウォッカ――」 ふらりと、入り口から姿を現したのは、空魔だった。紺色の着流しの袖を合わせて襖の縁に背を預けている。口にした酒の名前。霞丸が飲んだ酒だろう。どれも度数の高い蒸留酒だ。倒れたままの霞丸を同情するように眺めている。 「?」 その表情に、銀歌は微かな違和感を覚えた。 空魔は一度銀歌を見やってから、白鋼に目をやり、 「酒に強い霞丸がここまで潰れるとは、お前もその場の乗りで酒飲ませまくるな。これでは明日の会議には出られそうにもないが……。どうする?」 「酔醒し注射しておきますよ」 「外道が……」 涼しげな白鋼の言葉に、ジト目で呻く。 醒酔薬と言うものがあると、白鋼が以前口にしていた。新陳代謝を高め、アルコールを分解する仕組みである。泥酔状態でも一時間で素面に戻るが、その間は地獄らしい。 「言ったでしょう。僕は男に口説かれる趣味は無い、と」 「とはいえ、察してやれ……。意中の女を奪われた男の気持ちを」 廊下の暗闇に向けて呟かれた、寂しげな台詞に。 銀歌は思わず立ち上がっていた。聞き捨てならない言葉。 「待て、意中って何だ。意中って」 「そいつは、銀歌に惚れていたんだよ。根は初心だから、まともに告白もできず失恋したようだがな。それで現れたのはかつての銀歌で、中身は別人の男。声をかけても釣れない反応。それで適当に理由付けてヤケ酒だ。そういうことだ、風歌」 と、翡翠色の瞳を向けてくる。 ぐるぐると思考を空回りさせてから、銀歌は改めて霞丸を見下ろした。赤くなった顔を向けてくる霞丸。酒に融けた赤い瞳で、銀歌を凝視している。 「そうかァ、君があの風歌ちゃんか……。なるほどー、髪色は違うけど、銀歌の子供の頃にそっくりだな。うん、本人じゃない君に言っても仕方のない事なんだけど、言わせてくれィ。おれはぁ銀歌の事が大好きだー!」 大声で叫んでから、手に持っていたウォッカの残りを全部胃へと放り込む。 風歌という仔狐。銀歌の記憶と経験を大まかに写し取った写し身という、間違った情報。霞丸はその情報は知っているらしい。 「え……。お前らあたしにどうしろって……」 露骨に狼狽えながら、銀歌は周りを見やった。自慢ではないが色恋沙汰には疎い。突然の告白に、顔が赤くなっている。何故か顔を背ける空魔、苦笑いのまま動かない白鋼、目を輝かせている葉月。見た限り頼りになりそうな相手はいない。 のそりと起き上がる霞丸。乱れた着物を無理矢理直して、真顔で口を動かす。 「銀歌、結婚してくれ」 「へ……」 銀歌は固まった。酩酊のせいで、銀歌と風歌の違いも曖昧になっている。皮肉にも、その混乱が、正確な事実を引き当てていた。 「まずは、誓いの口付けを――」 言うが速いか、銀歌の肩を掴み、顔を近づけてくる。酒臭い息と、異様な迫力を伴って近づいてくる唇。それを両手で押し返しながら、銀歌は慌てて叫んだ。 「誰かこいつを止めてくれ!」 そして、声が上がる。 「そこまでだ。イモウトをたぶらかす悪い虫め」 「お前は呼んでねええええ!」 天井板を壊し、床に降り立った長身の男。矢羽根模様の白衣と紺袴の銀狐。葉月の声真似などでもない、紛れもない銀一だった。右手で霞丸を指差し、左手で身体に付いた埃を払っている。何故ここに現れたのかは、もはや考えてはいけないのだろう。 「おーぅ。出たなぁ……? このシスコン兄貴がァ。いつまでイモウトにー、くっついてるつもりだーァ? 妖狐を捨てて結婚までしてるくせにー」 銀歌から離れ、霞丸はふらふらと銀一に向き直った。酔った眼差しながら、殺意めいた光を灯している。両手を前に突き出し、何やら奇妙な構えを取ってみせた。 その構えを見ながら、葉月が歓声を上げる。 「うわぁ。酔拳ですよ、酔拳。わたし、初めて見ました」 「中国拳法にそういう型はありますけど、酒で強くなるというのは作り話ですよ」 眼鏡拭きで眼鏡のレンズを拭きながら、白鋼は律儀に解説していた。 銀一も迎え撃つように両手を持ち上げる。指揮者が指揮棒を持つような体勢。 「振られた男がいつまでも未練引きずってるとは情けないことさ。それに、兄には幼い妹を守る義務があるからね。お兄ちゃん舐めるなよ?」 ばちばちとお互いに視線で火花を散らしていた。 「いわゆる修羅場だな……。お前が原因なんだから、何とかしろ……」 「そうですね」 空魔の冷たい言葉に、白鋼は両手を軽く打ち合わせた。妖力が収束し、一瞬にして術を組み上げる。あまりに速すぎて、何の術かは分からなかった。 両手を、それぞれ霞丸と銀一に向かって振る。 それだけで、二人は意識を失い崩れるように倒れた。 「幻術・意思斬りか」 ぼそりと空魔が呟く。 |