Index Top 第3話 銀歌の一日 |
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第6章 他愛もない話 |
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銀歌は勢いよく後退する。 分身が追撃とともに、右拳を突き出してきた。 左手でそれを防ぎ、踏み込みとともに右手を放つ。五指を揃えて伸ばした貫き手。瞬身の術と破鉄の術を使い、首元を狙った。呼吸を乱せば、動きが乱れる。 分身は左へと移動しながら、貫き手を躱した。 銀歌は地面を蹴って、右へと跳ぶ。 狐火が燃え上がり、銀歌を追う。青白い炎。温度は一千度を超えた。狐族の基本的な術でありながら、意外な攻撃力を持つ術。 銀歌は右手に狐火を作り出し、分身の狐火を迎撃する。狐火は狐火で防げるのだ。妖狐族同士が狐火で攻撃しあうことがないのは、このせいである。 「千鳥蒼炎!」 左手に渦巻く雷炎を作り出し、銀歌は突進した。 狐火が吹き散らされる。 ドゥン! 銀歌の左腕が、分身の右胸を貫いた。 分身の右胸に大穴が開き、右腕が千切れ飛ぶ。同時に、分身の左腕の雷炎も銀歌の右胸を直撃していた。通常だったら相打ちになっていただろう。 分身が煙を残して消える。 「分身は自分を傷つけられないとは言うけどな」 銀歌は右胸を撫でた。 今の分身は安全処置を外してあり、自分を傷つけることも出来るようにしておいた。だが、胸には傷ひとつついていない。巫女装束にも傷がない。 「何だ。この服――」 ただの巫女装束だと思っていた。 右胸の部分が鋼鉄のように硬化し、分身の攻撃を防いだのである。硬化だけでなく、対妖力の防御壁すら作り出していた。着衣者の力を変換する仕組み。人間が作った防護用の式服だとは知れるが、具体的にどういうものなのか分からない。 硬化が元に戻る。 「頑張っていますねー」 かけられた声に、銀歌ははっとして縁台を見た。 夕食後から二時間半。庭で延々と分身と殴り合いをしていた。一日では何も変わらない。だが、一週間、一ヶ月、一年と続ければ成果は出てくる。 「白鋼……」 縁台に座っている白鋼。 横に杖を置き、無地の白い寝巻を着込んでいる。髪と尻尾が微かに湿っていた。風呂に入っていたのだろう。石鹸の匂いがする。 「いつから見てた?」 「君が分身を倒したあたりです。お風呂が空いたので呼びに来ました」 人差し指を立て、白鋼は答えた。 嘘は言っていないだろう。言う必要もない。しかし、白鋼の言うことは説得力があるようで、その実どうにも嘘臭い。素直に信用する気にはなれなかった。 「これをどうぞ」 白鋼は何かを放ってきた。 それを両手で受け止める。 ペットボトルに入ったスポーツ飲料一リットル。 銀歌は蓋を開けて、中身を口に含んだ。甘酸っぱく、疲れた身体に沁みる。 「ふはぁ」 息を吐き出し、全身から力を抜く。 白鋼は自分の隣を目で示し、 「座りませんか」 「嫌だ」 銀歌は即答した。 白鋼は尻尾と耳をしゅんと萎れさせる。 「……嫌われてますねぇ」 「好かれる理由もないだろ」 スポーツ飲料を飲みながら、銀歌は告げた。 「うーむ」 「悩むなよ」 首を傾げる白鋼に、ツッコむ。 白鋼は頭をかいてから、尻尾を持ち上げた。立ち直ったらしい。 銀歌は尻尾を伸ばしてから、 「……ひとつ訊いていいか?」 「ええ、どうぞ」 「女になって裸で風呂入ったりして、恥ずかしいとか思わないのか?」 訊く。 白鋼は視線を一巡りさせてから、尻尾を中ほどで曲げてみせた。尻尾の先端を指で撫でながら、疲れたように肩を落とす。 「髪と尻尾洗うのが大変なんですよねぇ。前は髪も短かったからシャンプーで簡単に洗っていたんですけど、今は毎日十五分近く……。乾かすのも疲れます」 「毎日七本洗ってたあたしはどうなるんだよ」 昔は毎日尻尾七本を洗っていた。今の白鋼のおよそ三倍の手間がかかる。生まれつき七本の尻尾があったので慣れはいたが、それでも十五分くらいかかる。面倒くささから適当に洗っていたせいで、最近は毛並みが荒れていた。 「そうですかぁ」 尻尾を振りながら、じっと見つめてくる。 なんと形容していいのだろうか。記憶にあるが思い出せない。銀歌はその名前をしばし考えて、結論にたどり着いた。尊敬。 「気持ち悪いぞ!」 「むう」 白鋼は視線を逸らした。 薄く湿った銀色の髪を撫でながら、愚痴をこぼす。 「……それにしても女って大変ですね。男だった時は、多少雑に生活していても問題はなかったのですけど、女は色々と身だしなみに気をつけないといけませんし。いずれ女であることも経験しておかなければならないとは思っていましたが、実際になってみると、生理現象からマナーまで本当に大変です」 「女であることも経験して、ってあたしの身体に何する気だ!」 顔を紅くして銀歌は白鋼を指差し叫んだ。 どう贔屓目に考えても、怪しげなことを考えているようにしか聞こえない。自分の身体を他人の勝手にさせる気にはなれない。 「知識ではなく実体験として、女として日常生活を過ごすという意味です。男に触らせる気はありません。僕の身体は女ですけど、心は男です」 「男に触らせる気はないって言っても、お前自身が残ってるだろ!」 「女に対する執着は二千年前に捨てました」 断言してくる白鋼。 「二千年前って……」 銀歌は肩と尻尾を落とした。 二千年前。日本に国の原型が出来始めた頃である。分類としては、歴史学と考古学の境目辺りだろう。大昔すぎて実感が湧かない。 背筋と尻尾を伸ばして腰に手を当てる。 「お前の自称年齢、信じていいのか? ……年食いすぎだろ。そもそも何者なんだ? 言ってることもやってることも、現実離れしすぎてるぞ」 二千歳をこえる妖怪は、聞いたことがない。その年齢をこえる者は、古の神だけだ。白鋼が古の神かと問われれば、否だろう。神とは雰囲気が違う。ただ、昼間に見せた術を使わずに事象を起こす力が頭に浮かんだ。 「僕が何者であるか――それは銀歌くん自身の手で探ってみてください」 「もっともらしいこと言って逃げるなよ」 銀歌が唸ると、耳を撫でながら苦笑して、 「……僕の正体は明かせないんですよ。正体が知られると不味い、というわけでもないのですけど。そうですねぇ……とある資格を持っている者というのが、ヒントですね。それ以上は言えません」 「資格が何であるかまでは、教えないんだろ?」 「はい」 頷く白鋼。 銀歌は短く息を吐いた。スポーツ飲料を口に含む。 意味があるようで意味のない言葉。そこからさらに、意味がないようで実は意味のある言葉を拾っていかなければならない。白鋼との会話は、どうにも手間がかかる。 「ようするに分からないってことだろ」 銀歌は唸った。 |