Index Top 第2話 白鋼、出掛ける |
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第3章 午前中の出来事 |
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金属を絞るような音を立てて、葉月の腕が壁にめり込んだ。 刀を持ったまま転がるようにそれを躱し、銀歌は体勢を立て直す。身体が小さくなっているせいで、腕力も俊敏性も呆れるほどに低下していた。妖力で身体を強化するにしても、妖力自体が弱いため、それもままならない。 後ろは壁。逃げられない。 「洒落にならんし……」 朝食を食べ終わりぐったりしていたら、葉月に修行をやらないかと誘われた。ちなみに、着ていた服は巫女装束。これ以外は認めないと笑顔で脅迫されている。 暇だったので、同意。屋敷の横の道場に連れて行かれ、軽く手合わせしてみることになったのだが……今は後悔している。嵌められたらしい。 十メートルほどまで伸ばした腕を引き戻し、葉月が走った。開いていた間合いを、半秒で消し去る。瞬身の術は使っていない。だが、その移動速度は人間の数倍だった。 剛力の術で力を強化する。銀歌は右手に握った刀を突き出した。 砂を突くような手応えとともに、刀身が葉月の胸を貫く。 気にも留めず、葉月は腕を振った。その腕はネジのようにねじれている。実際、五十回くらい腕を回したのだろう。 ライフルの弾丸のように回転しながら撃ち出される右腕。 防御は不可能。即座に判断を下し、銀歌は瞬身の術で逃げた。 ガゴン! 葉月の右腕が、分厚い木の板を麩菓子のように粉砕し、中に仕込んだ鉄板を強打した。鉄骨を鉄板に叩きつけたような轟音とともに、道場が揺れる。 壁から腕を引き抜き、葉月は銀歌に向き直った。胸に刺さっていた刀を抜き取り、横に捨てる。跡は残っていない。 「いい加減にしろ、バカ!」 銀歌は怒鳴った。首輪が跳ねる。 「ンなもん喰らったら死ぬだろ!」 今の身体では、鉄硬の術は使えても、妖力が足りず上位系の金剛の術までは使えない。葉月の拳をまともに喰らったら、骨が折れる程度では済まないだろう。今も擦っただけであちこち痛いのだ。 葉月は残念そうに眉を傾けて、 「えー。御館様があんな身体だから、最近構ってくれないんだよ。身体がなまっちゃって、なまっちゃって。たまには思う存分動かないと、錆び付いちゃうよ」 腕を回しながら、言ってくる。 「それに、御館様が戻ってきたら、身体能力テストしなきゃならないんだよ。準備運動しておかないと。いきなり本番は不安だし」 「何する気だ?」 気になったので、訊いてみる。答えは予想出来たが、聞かないのも不安だった。 「殴り合い」 当たり前のごとく答える葉月。 銀歌は尻尾と耳を垂らし、白鋼と葉月が殴り合っている様子を想像してみた。どのような感じになるのか、いまひとつ想像出来ないが、激闘になるのは間違いない。 「耐えられるかぁ……? あたしの身体……」 不安になる。 元々銀歌は近距離戦が得意ではなかった。妖術による中遠距離の戦いを得意としている。いや、得意としていた。白鋼との戦いに負けたのも間合いが原因である。手の届く間合いまで近づかれ、迫撃戦の得意な白鋼と、真正面から殴り合い。しかも、明らかに間違った使い方の銃火器に、マガツカミを宿したといわれる妖刀。 「……戦略負けか。……今さらどうにもならないけど」 首輪を撫でながら、囁く。 葉月には聞こえなかったらしい。あっけらかんと言ってきた。 「大丈夫だよ。御館様は強いから」 「お前も滅茶苦茶強いだろ」 睨みつけてやる。 葉月。液体金属の身体で、ほぼ無制限に身体の構造を変えられる。手足の内部をバネ状にして、伸ばしたり弾ませたり。組織を繊維状に変えて、耐刃性を持たせたり、半液体状にして耐衝撃性を持たせたり。いくら斬っても突いても砕いても、二秒で元に戻ってしまう。体重は三百キロ。拳で殴るだけで、文字通り鉄骨で殴ったのと同じ衝撃を与えることが出来る。接近戦での殴り合いに特化した妖怪だ。 そこで、気づく。 「ってか、今のあたしってただの実験台だろ!」 「うん」 「肯定するな! せめて言い訳しろよ!」 言った時には、目の前にいた。 銀歌の胸の前に右拳を突き出している。 「……何する気だ?」 念のため、ありったけの妖力を使い、鉄硬の術を使った。身体を鉄のように硬くして、斧の一撃でも傷つかないほどの防御力を生み出せる。逃げてもどのみち殴り倒されるのだから、この辺りで倒れておくのが妥当だろう。 「寸頚。痛くないから」 爆ぜるような破裂音とともに。 葉月の拳が撃ち出された。足から腰、腰から背中、背中から肩、肩から腕。全身をバネに変化させ、同時に弾けさせる。瞬時に最高速に達し、鋼鉄の硬さと重さを持った拳。 呼吸が止まり、視界が揺れ、銀歌の意識は吹き飛んだ。 白鋼は短く吐息して、白衣を纏った義邦を眺めていた。 「そういうことで、これ飲んでくれ」 差し出してきたコップを受け取る。 五百ミリリットルほどの紙コップ。淡い灰色の液体が入っていた。匂いはない。わずかに粘度がある。見た感じ、胡麻入りヨーグルト、もしくはバリウム。 「何ですか? これ」 「冥鬼蟲。生理食塩水に混ぜてある」 答える。 「これですかぁ」 白鋼は感心したように、液体を見つめた。 冥鬼蟲。沼護の人間が使役する蟲のひとつ。大きさは小麦粉ほどで、数は無数。莫大な霊力を蓄えることが出来、あらゆる物質に潜り込み、組成に直接干渉する。しかし、希少価値は極めて高く、霊力を与えてもほとんど増えることがない。 話には聞いていたが、実物を見るのは初めてだった。 「体内から、強引に治す……というわけですか」 「言っただろ、修理だって。お前さんの身体は、再生機能がほとんど逝ってる。ちまちま治してたんじゃ、十年かかるわい。まったく、マガツカミなんて使うなよ」 「いえ、どれほどのもんかと興味あったんで」 頭をかきつつ、笑う。 日暈家から保管を頼まれて、半ば忘れかけていた代物。そこへ銀歌討伐への参加依頼が来て、試しに使ってみたら、予想以上の威力。結果、身体機能が壊れた。術で強引に応急処置を行っても、それ以上自然治癒しない。 神酒や殺生石で強引に身体を治してきたが、限界がある。 「念のため訊いておきますけど、再生力は元に戻るんでしょうね? 嫌ですよ。百年もぼろぼろの身体でいるのは。せっかく面白い身体を手に入れたんですから、色々と研究したいですよ。新しい術の開発もしませんと」 「安心しろ。細胞機能が極端に低下してるだけで、治せば元通りになるわい。日本一の名医を信じろ。さっさと飲み干せ」 「分かりました」 頷いて、コップに口をつけ、冥鬼蟲を飲み込んでいく。 「ぅぐ……」 白鋼は喉を引きつらせた。苦味と渋味の入り混じった、凶悪な味が口の中に広がる。文字通り、虫を噛み潰したような味だ。不味いとしか形容出来ない。 吐き気をねじ伏せて、胃に流し込んでいく。左目から涙がこぼれる。 全て飲み干してから、白鋼はコップを突き出した。 「まずい。もう一杯!」 「ベタなギャグはいいから、服脱いで包帯取って、そこの担架に寝ろ」 「はい」 白鋼は椅子から立ち上がる。 上着を脱いで、それをかごに入れた。上半身はぐるぐると包帯が巻かれている。肌が露出しているのは、左腕とへその辺りだけだった。しかし、身体の線が露骨に出ているため、何も着ていない時よりも色っぽい。 ふと視線に気づいて、義邦を見る。 目が合った。 「……自分の身体が若い女であることに、ちっとは自覚持て」 「包帯取ったら、そんなことも言っていられませんよ」 白鋼はからかうように、笑う。 |