Index Top 第8話 夢は現実、現実は夢

第6章 奇術師と蟲使い、そして妖精


「劇場、ですか……?」
 その空間を見渡しながら、カルミアが呟いた。
 高い天井と広い空間、いくつも並んだ客席。正面にはカーテンで閉められたステージが見える。結奈が開けたのは、入り口の扉だった。絨毯の敷かれた緩い階段が、ステージ正面まで続いている。明かりは点いていないため、暗い。
「うーん。ボス部屋みたいなの想像してたんだけど……。劇場は予想外だったわ」
 左右を警戒しつつ、結奈は足を進めた。敷かれた絨毯はかなりの高級品らしい。一応黒鬼蟲を床に広げておく。傍らを飛びながら付いてくるカルミア。
「これから何が起こるんでしょう?」
 ステージのカーテンが左右に開き始めた。
 結奈は足を止め、正面に目を向ける。
 パッ!
 乾いた音とともに、ライトが点いた。結奈は左手を目の上にかざして、急な明かりから目を守る。劇場全体を照らす天井のライト。ステージ上を照らす強い光。
「紳士淑女の皆々様方。ようこそ、奇異なる夜へ」
「小森……」
「カズキさん……?」
 ステージに立っていたのは、小森一樹だった。
 服装は緑色の燕尾服。緑色のジャケットとスラックス。上衣の胸元には、スペード、ハート、ダイヤ、クラブの模様が刺繍されている。胸元から見えるのは白いシャツで、首元には赤い蝶ネクタイ。頭には赤いリボンを巻かれた緑のシルクハットを乗せている。
 それは、奇術師のような出で立ちだった。
 一樹は左手の袖から一メートルほどの黒いステッキを取り出す。
「時々思うことがある。ぼくは何で慢研にいるんだろう、と。大学には数学研究会もあるし、奇術同好会もある。そっちに所属すればいいと思うのに、ぼくは慢研にいる。多分、鬼門寺部長に惹かれたんだと思うよ。あの頭脳は凄い」
 ステッキを動かしながらステージを歩き、一樹は独り言のように言葉を連ねていた。芝居がかった動きで、芝居がかった口調である。
「雰囲気が昼間と違いますね……。真剣というか、殺気を纏っているというか……」
 一樹を見つめ、カルミアがそんな感想を口にする。
 結奈は無言のまま、それを聞いていた。一樹は智也の術に捕らわれている。一樹本人は普通に夢を見ているだけだが、その夢で起こることは結奈たちには現実のように効果を及ぼす。本人でありながら、本人でない力を作り出すのだ。
「無知なる者は万能……なんて」
 結奈の呟きには構わず、一樹は続ける。
 一樹の手から離れたステッキが、空中を動いていた。
「でも、ぼくが慢研で目を付けたのは、木野崎なんだ。ぼくとゲームしても勝率は三割にも届かないけど、多分それは本気じゃない……。見た限り、本気で頭使えば、木野崎は部長よりも強い。だから、賭けよう。ぼくが勝つか、木野崎が勝つか」
「何を賭ける気かしら?」
 右手から蟲を作り出しながら、結奈は目を細めた。
 一樹はギャンブルには金品を賭けない主義である。本人の話だと、ギャンブルとは九十九回勝っても一回の負けで全てを失うものだかららしい。しかし、本心では危険な賭けに憧れていたのだろう。予想外というものでもない。
「命――」
 明確な答えとともに、一樹が両手でステッキを上下に挟んだ。一メートルほどの棒が、縮むように手の中に消える。古典的なステッキ消失の手品。仕掛けがあるのか、文字通り種も仕掛けもないのかは分からない。
「カルミア――」
「イン……」
 一樹が右手を差し出す。
「ボディ……!」
「とりあえず自分の身は自分で守ってね」
 近くに浮かんでいるカルミアに手短に告げ、結奈は左へと跳んだ。
 前触れ無く、虚空からステッキが飛び出す。
 結奈がいた場所――心臓の位置にステッキが出現していた。術式も見えず、術の類ではない。だが、紛れもなく空間転移である。その場に止まっていれば、胸を串刺しにされていた。現実という制約がないため、容易く無茶な攻撃を放てる。
(In body……って。いきなり殺す気ね)
 緑色の瞳でステッキを凝視するカルミアが見えた。
「ッ!」
 結奈は左腕と左足から鉄鬼蟲を放ち、身体を前後の椅子に固定する。真下の床には、何もない。だが、そこから猛烈な危険の匂いがしていた。もし普通に着地していたら、無事では済まなかっただろう。
 ステッキが床に落ちた。絨毯の上に落ちたため、音は聞こえない。
「さすが木野崎。そこでちゃんと気づいたか」
 一樹の言葉に床板が開き、鋭利な刃が姿を見せる。落とし穴。
 近くの床に降りてから、結奈は両腕を組んだ。頭を左右に振って、ポニーテイルを揺らす。身体の周りを漂う鉄鬼蟲。目蓋を下ろし、口元に笑みを浮かべつつ、
「二段構えの罠……あんたの得意技ね」
「……大丈夫ですか、ユイナさん?」
 心配そうに声をかけてくるカルミアにウインクを返してから、結奈は目で遠くに避難するように示した。飛んでいくカルミアを見送ってから一樹に目を戻し、右手を振る。
 手から放たれる無数の赤い蟲のつぶて。霊力を喰らい高熱を生み出す灼鬼蟲。
 灼鬼蟲の蟲手裏剣がステージに降り注ぐ直前、一樹は大きな黒い布を取り出し、目の前にかざした。黒い布によって一樹の姿が見えなくなる。
 赤鬼蟲がステージの床板やカーテンを貫き、発火させた。一樹が取り出した布も貫いていたが、床に落ちたのは燃える布だけ。
「人体消失マジック……。意外と厄介ね、手品って」
「トゥ・ソード……!」
 ドドドッ!
 砂を叩くような音が、立て続けに響く。四方八方から飛来したおよそ五十本の剣を、広がった鉄鬼蟲が受け止めていた。銀色の刃がライトに照らされ、不気味に輝いている。
 右手で眼鏡を直し、結奈はにやりと微笑んだ。
「舐められたものね。あたしはまがりなりにも守護十家沼護一族の正式退魔師。この程度の攻撃でどうにかなるほど軟弱な鍛え方はしてないわよ」
 澄んだ音を立て、鉄鬼蟲が剣を潰し折る。
(面倒ね……)
 見栄を切りつつも、実はそれほど余裕があるわけでもない。力よりも頭を使った勝負。この場合、相手の情報を多く持っている一樹に分がある。
(でも、技も頭も力の中にありって言うわ)
 壁に立ったまま、一樹が見上げてきた。
「この程度で倒せるとは思っていないよ。でも、その砂みたいなのは厄介だ。虫……なのかな? よく分からないけど。もっとも、賭けは難しいほど面白いと思うよ、ぼくは」
 入り口の真上に、床と水平に立っている。壁歩きの術などではない。ごく普通に壁に立っていた。重力の方向という概念が、ここでは幻想に過ぎない。
「ソー」
 一樹が手を振り上げる。
「ヘブン……!」
「避雷陣!」


「……ッ!」
 空を裂く雷電に身を竦めながら、カルミアは劇場の天井へと飛んでいった。普段は人間の目線程度の高さを飛んでいるが、飛行高度に制限は無い。結奈の近くにいるのは危険であるし、結奈の邪魔になってしまう。
 結奈が術を展開し、稲妻を誘導する。四角錐状に軌道を逸らされた雷撃が、椅子や床を粉砕していた。結奈を狙ったようだが、ひとつも当たっていない。雷系の攻撃は雷術で回避できるという慎一の言葉を思い出す。
「わたしはどうすればいいでしょう……」
 天井の隅辺りまで移動したまま、カルミアは自問した。小さな妖精一人いても戦力にはならず、足手まとい。普通に考えるなら、離れた場所で隠れているのが一番安全だろう。
「沼護秘術・蟲津波」
 グゴォンッ!
 轟音とともに、劇場が揺れる。
 黒い砂山が床から湧き出すように現れた。
 それが何か、カルミアはすぐに分からなかったが……数秒して、結奈の作り出した桁違いな量の蟲だと理解する。広大な劇場空間の二割を埋めるほどの大量の蟲を動かし、劇場を破壊しながら、一樹へと迫る。
「……やはり力業で来たか」
 緑色のシルクハットを手で押えたまま、手品のように空間を飛んでいる一樹。その顔には焦りが見えた。だが、同時に余裕もある。手札はまだ全部出していないのだろう。ここは夢の世界。現実に縛られない現象を容易く起こせる。
「ここは夢の世界。現実じゃない……」
 カルミアは、そう呟いた。事実を確認するように。
 空気も音も物質も全て本物のように見えるが、ここは精巧な幻の世界。慎一や結奈などの人間の退魔師は、その幻の中で自己を固定し、現実と同じように動くことができる。反面、現実と違うことはできない。
「わたしは……妖精」
 カルミアは両手で銀色の杖を握った。身体から溢れる魔力を、蒼水晶に集めていく。作り上げられる複雑な魔法式。現実でない世界では、本来の現実からやや乖離した妖精は、その力を強くこの仮想世界に及ぼすことができるだろう。
「なら、わたしがやるべき事は――」
 そう決断し、カルミアは静かに呪文を唱え始めた。

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