Index Top 第7話 臨海合宿

第2章 集合場所


 電車に揺られること二時間。
 さらに、目的の駅から歩くこと二十分。バスもあったのだが、健康のためという理由でバスには乗らなかった。単純に待つのが面倒だったのだが。慎一たちの面子には、二十分歩くだけで疲れるような者はいない。
 空気は暑いが、風はどことなく涼しく、潮の香りを含んでいる。
 目の前に広がるのは海辺の海浜公園である。待ち合わせ場所だ。
「さ、着いたわね」
 一番最初に入り口のゲートをくぐり、結奈が得意げに振り向いてくる。
 碧ヶ浜海浜公園。千葉県碧ヶ浜近にある大きな公園である。砂浜近くには展望台やボート施設やマリンハウスなども作られているが、残りの敷地のほとんどが草地と森とスポーツ施設からなっていた。海から吹き込んでくる潮風と砂を陸の深いところに入れないことが目的なので、その作りも当然だろう。
「これから、待ち合わせ場所に行くんだけど。凉子来てるかしら?」
 先頭を歩きながら、結奈が道の左右を見回している。結奈と飛影、浩介、リリル、慎一とカルミアという順番で歩いていた。
 緩い曲線を描いたタイル敷きの歩道。左右には、針葉樹を中心に植樹してある。
「あと、小森来てるんじゃないか? あいつ、待ち合わせの時はいつも一番乗りしてるから。凉子さんと一緒にいるんじゃないかな」
 浩介が声を掛ける。
「コモリさんって、さっき話してた人でしょうか? シンイチさんに似て真面目な人みたいですし、お友達になれると思いますよ」
 右肩に掴まったカルミア。両手で握った杖の先を動かしながら、楽しそうに話しかけていくる。カルミア自身も真面目な人間と相性がいいらしい。
 慎一は頷いた。
「だといいな。僕の周りには変なの多いし。ただ、いくつか引っかかることあるけど」
 リリルが肩腰にちらりと視線を向けて来る。が、すぐに正面に顔を戻した。
 小森一樹。大学二年生の漫研部員らしい。変人揃いの漫研内部では、割合常識人のようだった。あとは、完全理系頭脳らしい。変な人間でないなら問題はないだろう。
「あー、いたいた」
 結奈が手を振る。
 公園の第一広場。丸い広場の中央には、高さ五メートルほどの銀色の柱が立っている。頭に浮かんだのはエジプトのオベリスクだが、形状しか似ていない。材質はステンレスだろう。これが待ち合わせ場所の目印だった。広場の左側には芝生が広がっている。
 銀の尖塔を囲むように並んだ石造りの椅子に座っている二人。
「凉子さん……。やっぱ来てたか。結奈の冗談だと期待してたんだけど、世の中そう甘くはないよな。警戒する相手が増えるのは大変だ」
 浩介が呟いた。呆れと諦めの含まれた声。
 一人は白と黒のワンピースを着た長い黒髪の女の子だった。猫耳と尻尾はないものの、紛れもなく凉子である。年格好だけを見ると私服姿の女子高生だろう。背が高く、筋肉質の身体で、運動部に所属しているように見える。
 凉子と向かい合っているのは、一人の青年だった。
「枯れ枝……?」
 口には出さずに、慎一は思ったことを呟く。
 年格好は慎一たちと同じくらい。短めの黒髪に、気の好さそうな顔立ちで、眼鏡を掛けている。薄緑色の半袖カジュアルシャツと白っぽいズボン、スニーカーという普通の格好なのだが、とにかく身体が細い。本当に細い枝と思うほどに。
「何やってるんだ? あの二人」
 尻尾を動かしながら、リリルが訝るように二人を見つめる。
「ババ抜きじゃないですか? お互いにトランプ持って睨み合ってますし。待ち時間の暇潰しに遊んでいるんじゃないですか?」
 飛影が肩翼を持ち上げ、見たままを答えた。
 確かにババ抜きであるが、雰囲気がおかしい。ただの遊び以上に空気が緊迫している。正確には、カードを二枚持ち髪の毛を逆立てるほどの気迫を飛ばしている凉子と、一枚のカードを持ったまま静かな緊張感を見せている一樹。
「だよな……。だけど、ババ抜きってここまで殺気立ってやるものか……? 何か賭けてるわけでもなさそうだし。どっちにしろ、凉子がボロ負けしてるのは分かるけど」
 リリルがこめかみに指を当てる。戦況は明らかだった。二人で行うババ抜きは、表情と手札の読み合い。運に頼る要素は実は少ない。素人はその限りではないが。
 一樹が一枚カードを引き、自分のカードと一緒に捨てる。迷いのない動き。どちらがジョーカーなのかは、分かっていたようだった。
「また負けたァ! って、五回も続けて何で一回も勝てないの……!」
 両手で頭を抱え、凉子が仰け反る。黒髪が大きく跳ねた。五連敗中らしい。放り捨てられたジョーカーがひらひらと宙を舞い、捨てカードの中に落ちる。
 だが、完敗を受け入れたわけではないしい。すぐさま体勢を直すと、カードの山を集めてひとつにまとめた。それを一樹の前に突き出す。
「もう一回!」
「いや、もう終わりにしよう。みんな来てるし」
 と、一樹が結奈たちを示した。動かす腕も細い。座っていた椅子から立ち上がり、ズボンに付いた埃を払っている。
 肩を跳ねさせ、凉子が視線を移した。
「結奈に浩介くんに、あと慎一さん……」
 驚いたように目を見開いていた。カルミアと飛影とリリルの名前は出さないものの、きっちりと視線は向けている。一応三人は人間枠外で来ているのだ。
 凉子はカードを片付けている一樹を指差す。両目から涙を流しながら、
「結奈、私のカタキを取って! この人凄く強いよ」
「また、凉子も無茶な相手に挑んでるわねぇ。ポーカーフェイスも出来ないあんたが小森相手にカードゲームで勝てるわけないでしょ。そいつ一部じゃぷちカイジとか呼ばれてるし、あたしでも勝率二割五分が限度なんだから。無理よ……」
 ぱたぱたと手を振りながら、結奈が答える。何を言っているのかはよく分からないが、言いたい事は理解できた。策略を得意とする結奈でも、一樹と真正面から頭脳戦をするのは厳しいらしい。
「ぷちカイジって、それは酷い言われようだな。人をまるでギャンブル狂みたいに。ぼくが賭け事をはしないのは、木野崎も知ってるだろう?」
「でも、ゲームが得意なのは事実じゃない」
 カードをケースに収める一樹に、結奈は言い切った。首を左右に振ってポニーテイルを揺らしてから、敗北に打ちひしがれている凉子を眺める。
「小森……あんたがババ抜きしようって言ったの? あんたから他人にゲーム持ちかけることはないってのは知ってるけど。承諾しちゃったの?」
「風無さんが待ち時間の暇潰しにババ抜きしようって言ったから、つい」
 一樹が凉子のリュックにカードを入れた。
 凉子は長椅子の上に膝を抱えたまま座り、悔しげに涙を流している。凉子がどれほどの実力なのかは知らないが、手も足も出ずに完敗したのは堪えているようだった。
 浩介がため息混じりに口を挟む。
「少し手加減してやれよ。凉子さんって、負けるの嫌いなんだから」
「手加減は苦手で……」
 苦笑いとともに、さらっと答える一樹。そういうものではないが、そうとしか言い返せないのだろう。しかし、浩介の言葉は逆効果だった。落ち込んでいる凉子が、さらに凹んでいる。影を纏うほどに。
 カルミアが戦いたように言ってきた。
「凄い人ですね。カズキさんって」
「ああ」
 慎一はそれだけ答える。他に思いつく言葉が無い。
 青い空には雄大積雲がいくつか浮かんでいる。大きな雲だが、雨を降らすには至らないだろう。数日は夕立もなく晴れという天気予報だった。最高気温は三十度前後とまだ熱い。周りに緑が多いためか、この辺りは空気が涼しい。
 一樹が慎一に向き直った。温厚な性格と怜悧な知性が見て取れる焦げ茶の瞳で、ハーフリム眼鏡のレンズ越しに見つめてくる。
「えっと、君が日暈だったか? 樫切に呼ばれたって聞いたけど」
「ん。よろしく。日暈慎一だ」
 片手を上げて挨拶をする。
「ぼくは小森一樹、よろしく。色々と噂は聞いてるよ」
「あんまり目立ちたくはないんだけどね。トラブル呼び込むこと多いから」
 慎一は目を逸らした。色々と心当たりはあるのだが、思い出したくはない。好きで目立っているわけではなく、普通に行動しているだけで目立ってしまうのだ。
 自分は意外と天然なのかもしれない――そんなことを思いつく。
「ところで、最近樫切や木野崎と仲よくなってたみたいだけど、日暈も漫研に入るの? 合宿まで付いてきて。入るなら歓迎するよ」
「悪いけど、そういう気はない」
 乾いた笑みとともに、慎一はきっぱりと否定した。
 結奈や浩介と親交ができたのは、退魔師という仕事柄である。自分が退魔師でなかったら、二人と知り合うこともなかっただろう。それを縁と言えるかどうかは、怪しい。
「そうか、残念だ」
 吐息してかぶりを振る一樹。本当に残念がっているようだった。慎一が漫研に入ることを期待していたらしい。ただ、何について期待されているのかは心当たりがない。
「気の合いそうな真面目な人が欲しいのかもしれませんね」
 飛影がそんなことを口にした。慎一に語りかけるような口調ながらも、独り言にも聞こえる声。あながち間違いではないのかもしれない。
「さてと」
 結奈がぐるりと辺りを見回す。自分たちを除くと人は少ない。時間と場所の問題なのだろう。凉子は未だに落ち込んだままだが。
「残るは、部長たちね」
「部長って、あのキモンジさんですか? 変な人」
 両手で杖を握り締め、カルミアが結奈の視線を追うように目を動かしている。口調に潜む微かな怯え。結奈の姿で部長鬼門寺智也と会った時の記憶を思い出したのだろう。
「物凄い変人三人組ってコースケから聞かされてるんだけど……。偵察で見た感じ、本当に変人集団だった。一応迎撃準備しといた方がいいか?」
 右手に魔力を集めながら、リリルがあからさまな警戒を見せている。
 慎一も漫研の三人組のことは噂で聞いていた。
「もう来てると思うよ」
 一樹が辺りを眺める。と――
「まあ、その通りなんだ」
 そんな声が聞こえてきた。

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