Index Top 第6話 帰郷、日暈宗家

第7章 吹雪の誘い


「のう、カルミア」
「はい?」
 声をかけられ、カルミアは振り返る。
 食事が終わってみんなが順番にお風呂に入っている時。カルミアは縁側に座って星空を眺めていた。都会と違ってこの辺りは星がよく見える。
 傍らには三角帽子と杖が置かれている。
「吹雪さん?」
 座布団に正座している、十代前半ほどの少女。微かな紫色を帯びた銀髪と、同色のワンピース。頭と胸元を大きな紫色のリボンで飾り、背中に刀を二本背負っていた。
 そして、黒猫が一匹。憑喪神三姉兄妹の長女、吹雪である。
「何の用ですか?」
 紫色の前髪を手で払い、カルミアは吹雪を見上げた。
 ここに来る所は見ていない。カルミアが星を眺めているうちにやって来たのだろう。この家に住んでいる人は、みんな無意識に気配を消している。
「お主に頼みがある」
 銀色の髪を撫でてから、吹雪は目蓋を少し下ろした。
 黒猫の粉雪が前足で顔を撫でている。
「頼み、ですか? わたしに出来ることはあまりないと思いますけど」
 カルミアは緑色の瞳で吹雪を見つめた。日暈家の人間に比べれば、妖精の力は微々たるもの。吹雪の頼みを聞けるとは思えない。
「安心しろ。大したことではない」
 さらりと応える吹雪。首の動きに合わせて、銀色の髪が音もなく揺れる。
「今夜真美が慎一の部屋に泊まると言っておった。あやつら学生同士で忙しい身じゃ、久しぶりに会えたのだから許嫁同士水入らずで過ごさせてやりたい。だから、カルミアは今夜は妾の所で休んでくれ」
「あ、はい。分かりました」
 カルミアは答えた。魔法を使って何かして欲しいと頼まれると思ったのだが、そういうことではなくてよかった。慎一と真美を二人きりにする。難しいことではない。
 満足げに微笑む吹雪。
「聞き分けがよくてよろしい。お主ならそう言ってくれると思った」
 半年ぶりに顔を合わせた慎一と真美。自分が邪魔者になっている自覚はある。吹雪に言われなくとも、今日は慎一たちとは別に寝るつもりだった。しばらくしたら寝る場所を貸してくれるよう、寒月に頼もうと思っていた。
「そこで、さらに話がある」
 吹雪の表情に影が映る。赤緑色の瞳に妖しげな光が浮かんでいた。口元が薄い笑みの形に変わっている。一目で分かる悪巧みの顔。
「吹雪、さん?」
 背筋に寒いものを感じて、カルミアは喉を鳴らした。
 嫌な予感を覚えながら、右手を伸ばして杖を掴む。不安を感じると杖を握りしめるのは昔からの癖だった。この杖があれば大丈夫な気がする。
「……何を企んでいるんですか?」
 勇気を出して、カルミアは尋ねた。
 吹雪の持つ雰囲気は結奈に似ている。特に、何かを企んでいる時の姿に非常に似ているのだ。慎一の近くにいればトラブルに巻き込まれることはない。しかし、今慎一はいない。逃げるのも無理だろう。
 吹雪は妙に嬉しそうに囁いた。
「お主、覗きに興味あるか?」
「えっと……」


「えっと……」
 座布団の上に座ったまま、カルミアは部屋を見回していた。
 屋敷にある空部屋のひとつ。六畳の部屋で戸や窓は閉め切られ、音や気配などを外に漏らさない結界まで張ってある。座布団に正座したままお茶を啜っている吹雪と、傍らで丸くなっている粉雪。
 小さな卓袱台の上に置かれた四角い機械と十二インチの液晶モニタ。ノートパソコン一台。その傍らに置いてある辞書ほどの箱。何かの受信機だろう。
「多分、この端子をここにいれて……」
 そして、千歳がモニタの後ろに配線を接続している。既に風呂から上がっていて、水色のパジャマ姿。微かに湿気の残る髪を背中に流している。
 分厚い説明書を片手に機械を弄っていた。電気の通る独特のノイズ。
 モニタの正面に移り、千歳は満足げに首を動かす。
「よしオッケイ。これで完璧、できあがり」
「……これ、何ですか? これから何するつもり、ですか?」
 杖を握り締めたまま、緑色の瞳を機械に向けた。これらがどのような機械かは想像できる。しかし、否定してもらうことを期待していた。
 あっさりとその希望を打ち砕く吹雪。
「盗聴盗撮機器一式じゃ。倉庫から持ち出してきた。妾は機械を使うのが下手じゃから、千歳に仕込みを頼んでおる。もうそろそろ終るじゃろう」
「何を盗撮するつもりです?」
 どちらへとなく問いかけてみる。これから何が始まるのかは大体想像がついていた。逃げる機会は既に失っているだろう。大人しく覚悟を決めなければならない。
「アニキの部屋」
 片目を閉じながら、千歳は当然とばかりに答えた。予想通りの答え。
 パソコンの実行キーを叩くと、モニタに画像が映る。
 ほとんど家具の置かれていない慎一の部屋だった。机と空の本棚だけである。荷物は片付けてあるようだった。数日実家に戻るだけのために、部屋の荷物を出すことはしないだろう。しかし、きれいに掃除はしてある。
 床に敷かれたふたつの布団。その一方に座っている真美。白いパジャマ姿で、待ち遠しそうに微笑んでいた。慎一が来るのを待っているのだろう。
「久しぶりに出会った男と女。二人きりの夜。何か面白いことが起こると思わない? 思うよねぇ? せっかく二人きりにしてあげたんだから、何か面白いことしてくれないとあたしたちとしても困るよ」
 人差し指を振りながら、千歳が怪しげに笑った。口元から犬歯が覗いている。
 その姿を眺めながら、カルミアは慎一の言っていた愚痴を思い出していた。千歳は結奈に似ている、と。ついでに、慎一が結奈を子供扱いしている理由も納得する。
「そういうことじゃ」
 腕組みをしながら、大仰に頷く吹雪。止める気もないらしい。
 しかし、淡い希望を込めて、カルミアは口を開いた。
「わたしは子供なので、こういうことには参加してはいけないと思いますけど」
「ふむ……。見た目は子供で精神年齢も子供。じゃが、お主を人間に直すと十八歳は越えているじゃろ? 妾も伊達に長生きしているわけではない。妖精の秘密くらいはいくつか知っておる。逃げようとしても無駄じゃ」
 緑色の瞳を細め、吹雪が言ってくる。こともなげに。
 何かを言いかけてから、カルミアは口を閉じた。自分の見た目は子供であるが、妖精としては成体に近い。子供のように見えるが、実際は子供でもないのだ。妖精にとって年齢というものがさほど意味がないのも事実であるが。
 それはさておいて、カルミアは別のことを尋ねた。囁くように、だが鋭く。
「……どこまで知っているんですか?」
「ふふ、それは秘密じゃ。妾も言えぬ。ただ、秘密というものは如何に隠しても漏れるもの。お主がそれを気にすることはない。妾たちから秘密が漏れることはないがの。妾たちは口が硬いのでな。それでも、完璧とは言えぬが」
 口元を右手で隠し、楽しげに微笑む吹雪。赤緑色の瞳、色白の肌、銀色の髪。それらから事実を読むことはできなかった。何を考えているのか読めない。
 じっと見つめ合うカルミアと吹雪。
 スピーカーから聞き慣れた声が飛び出す。
『お待たせ』
「あ。アニキ来たよ」
 マイペースに千歳が呟いた。カルミアと吹雪の会話には触れないつもりらしい。自分が踏み込むことではないと判断したのだろう。単純に興味がないのかもしれない。
 モニタに映る慎一の姿。いつも着ている寝間着姿である。
『慎一さん、待ってましたよ。いっぱいお話しましょう!』
『楽しそうだな。はは、久しぶりの二人きりだしな』
 楽しげにはしゃぐ真美に、苦笑混じりに告げる慎一。布団の上に座って、左右を見回す。カルミアを探したのだろう。
 慎一の雰囲気を察し、真美が笑顔で答えた。
『カルミアさんは、寒月さんの所に行くと言ってました。今夜はずっと二人きりです』
『気を利かせてくれたのか。あとで礼を言っておこう』
『そうですね』
 無邪気に頷く真美。
 吹雪が不敵に呟くのが聞こえた。
「さて、何が起こるやら」

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