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第26話 山の幸 前編


「道に迷った、なう」
 人気のない道を歩きながら、サキツネは呟いた。
 どこかの山の中の細い道だった。舗装はされていない。踏み固められた地面と適当に茂った雑草、そして落ち葉が沢山。周囲には沢山の広葉樹が空に向かって伸びていた。街中とは違い、空は青く透き通っている。空気も冷たく美味しい。
「ここどこだろう?」
 答える者はいない。
 頭をかききつつ、尻尾を振る。
 そこで、サキツネは足を止めた。
 目の前には十字路がある。どちらも獣道程度の細い道だが、一応道が交差しているので十字路である。そこを一人の少年が歩いていた。
 十歳くらいの少年。年齢よりも妙に落ち着いた雰囲気を持っている。人間ではないようだった。後ろで縛った長い黒髪、黒い着物と袴姿で、肩には黒い羽飾りを付けている。背中に大きなリュックを背負い、両手で地図を広げていた。
 サキツネには気付いていない。
「もしもし」
 声をかけてみる。
「はい?」
 少年は地図から眼を放した。
 足を止め、サキツネを見つめる。驚いたように。
「少年がこんな所で一人、何をしている?」
 単刀直入に訊いてみる。
 少年は一度目を閉じた。指で頬をかいてから、首を傾げる。
 風に吹かれた木々の葉が、小さな音を奏でていた。山の風は冷たく住んでいる。どこからか動物の鳴き声が聞こえた。二人の間に漂う沈黙は少しうるさい。
 しばらくして、少年が口を開いた。
「簡単な山岳訓練してます。本音を言うと山の山菜とか見つけて、調理してみたいなって。この辺りの森は、山菜が多いらしいので」
 笑いながら、人差し指を周囲に向ける。
 まだ葉の残る木々。しかし、夏場の青々しさはない。山は秋に向かっいる。秋の味覚、木の実や山菜、きのこ。それを調理して食べるようだ。
 それらの料理を思い浮かべ、サキツネは頷く。
「あ、山の持ち主の許可は貰ってますよ」
 少年が付け足した。山菜やキノコの違法採集。問題になっているらしい。
 それはさておいて、サキツネは右手を挙げた。黄色い瞳で少年を見つめ、告げる。
「同行を希望します。ごはんください」
「はあ……」
 曖昧に頷く少年。


 目の前で大きなリュックが揺れている。野営道具や調理道具など、色々持って来ているようだった。かなり重い荷物だが、足腰は安定している。
 枯れかけた小川の横を走る山道を、二人は登っていた。
「山の中で食べられるものといったら、とりあえず山菜とキノコ類と川魚でしょうか。時期的にキノコが中心になりますね。動物類は捕まえるのが大変そうですし、捌くのも大変そうなので今回は無しです」
 前を歩きながら説明する少年。飛影と名乗った。
「なるほど、色々なものがある」
 サキツネは渡された山菜図鑑をページをめくり、印刷された写真を眺める。食べられる野草、木の実やキノコ。草類は春のものが多く、キノコ類は秋が多い。こうして図鑑を見てみると、意外と食べられる草が多い事に驚く。
 周囲を見回してから、飛影が足を止めた。
「たとえば、これ」
 道の横に生えている草を指差す。
 高さ三十センチほどの草だった。何株か集まって生えているらしい。真上に伸びた細い茎には実がなっている。そこはかとなく食べられそうな気配があった。
「セリですね。春の七草のひとつです。山じゃなくても、田んぼとか川縁とか水に近い場所なら平地でも見られます。もう秋ですから、これは食べられませんけど。春の小さいものは調理してみたいですね。七草粥とか」
 そう説明してくる。
 サキツネは腰を屈め、葉っぱを指で毟り、それを口に入れた。尻尾を左右に動かしながら、前歯で半分に噛み切り、奥歯で何度か噛み潰す。口の中に広がる青臭い匂いと、喉の奥まで届く苦み。適当に咀嚼した葉っぱを呑み込んでから、眉を寄せる。
「苦い」
「時期が時期ですから」
 苦笑いをしながら、飛影。
「他にはどんなものが?」
「そうですね……」
 サキツネの問いに、少し考え、周囲を見る。
 飛影は地面に落ちていたドングリを拾い上げた。
「ドングリも頑張れば食べられます。一応栗の仲間ですし、大昔は主食として食べられていました。渋みを抜くのに手間がかかりますけど」
 サキツネは落ちていたヘタ無しのドングリをひとつ拾い上げ、口に放り込んだ。丸くて表面はやや滑らか。下の方は少しざらついている。犬歯に挟んで噛むと、あっさり潰れた。割れた皮と、潰れた中身が口に広がる。
「う……」
 強い苦みに顔を強張らせながらも、サキツネはドングリを咀嚼し、呑み込んだ。
「うむ。渋い」
 眉間にしわを寄せて呻く。
「食べられないって言ってるのに、何で食べるんですか」
 両腕を下ろして飛影が呆れ顔を見せる。
 サキツネは眉を内側に傾け、胸を張って、尻尾を上に伸ばす。言い切った。
「食べろと言われた気がした」
 何も言わずに、飛影がため息を付く。
 ふと思いついたように、地面に落ちている石ころを指差し、
「……そこらの石を拾って、調理すれば食べられるとか言ったら、食べます?」
「挑戦は受けよう」
 緩く腕を組み、目蓋を下ろし、狐耳と尻尾を立て、サキツネは断言した。黄色い瞳に鋼の意志を灯し、飛影を真っ直ぐに見つめる。出されたものは残さず食べる。売られたケンカは素直に買う。そんな覚悟であった。
「そんな事言ってると、本当に石のステーキ作りますよ。まったく……」
 横を向いて投げやりに呟いている。
 その顔を見ながらサキツネは、石のステーキを想像していた。平たい石を油を引いたフライパンで焼いて、塩胡椒やニンニクなどで味付けした料理。当たり前だが石は食べられない。しかし、この少年なら食べられるように調理してくれる。
 そんな期待感があった。
「あ。そうだ」
 ぽんと手を打ち、腰に手を伸ばした。
 腰に差していた鞘から、クナイを一本取り出す。十五センチほどの両刃と、十センチほどの柄。柄は平たい棒状で、滑り止めの糸が巻き付けられている。柄頭には金環が取り付けられていた。表面や巻糸から、最近に作られたものと分かる。刃の側面には製造番号らしき数字が記されていた。
「ナイフとか小刀とか持ってます? 素手で山菜とかキノコ取るのは大変ですから。無いなら、オレのクナイ一本貸しますよ」
 と、サキツネを見る。
「無問題」
 サキツネは自身満々に答え、背中の倉庫から一本のナイフを取り出した。
 丸い柄と二十センチ近い片刃、刃には艶消しの黒が塗られている。刃の先端部に、鞘と組み合わせて使うための、小さな穴が開いていた。
 自分のクナイを腰に戻し、飛影は驚き半分呆れ半分でサキツネのナイフを見つめる。
「M9バヨネット……ですよね、これ? 銃剣ですか? こういう山歩きの場合はナタとか採集ナイフの方がいいんですけど、これはボウイナイフの親類ですから、山菜採りにも使えるかな? 軍用ナイフは大きな多目的ナイフですし」
 腕組みをして、考え込む。ナイフのあり方について一人議論をしているようだった。銃剣は採集ナイフとして使えるか。もしかしたら武器マニアなのかもしれない。
 サキツネは鞘とベルトを取り出し、ナイフを腰に固定する。
 飛影が訝しげに、鞘とベルトを見つめた。
「それどこから取り出しました?」
「乙女の秘密」
 真面目に即答する。
「……いいですけど」
 追求はせず、飛影は一度道の正面を見た。
 僅かに水の流れる小川に沿って、山道は右に曲がっている。その向こうは木に隠れて見えなくなっていた。飛影がどこに向かっているのかはまだ聞いていなかった。
「ところで献立を聞きたいのですが」
 サキツネの問いに、飛影は一度目を閉じてから、
「一応キノコ汁と川魚の塩焼きを予定しています。他に何か取れたら、塩焼きかおひたしでも作ろうかと。天ぷらを作ろうかとも思ったんですが、道具の持ち運びが大変そうだったので断念しました」
「それは残念」
 山菜やキノコの天ぷらを思い浮かべ、サキツネは尻尾を下ろした。キノコの天ぷらは美味しそうである。しかし、油や鍋などの持ち運びと片付けが大変なのだろう。
「まずは水を確保しましょう」
 飛影が地図を広げた。
 サキツネはその地図を覗き込んだ。山の地図らしい。既にどこで何をするのか予定があるようで、散策や釣り、野営などの文字が書かれている。
 今歩いている山道の先を指差し、飛影は言葉を続ける。
「この辺りに湧き水があります。そこで水を汲んできます。それから、この沢に沿って下ってから、この河原で魚を釣ってから、料理ですね」
「了解」
 サキツネはそう応えた。

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12/1/22