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第20話 誘う尻尾と狐耳


 窓から差し込んでくる心地よい日の光。
 畳に寝転がったまま、全身で日の光を浴びる。気温適温、湿度低め、天気晴れ。年に何度も無い、実に心地よい陽気だ。仕事も片付けたし、早急にするべき事も無い。今日は何も考えずぐったり休息を貪れる。
「お兄さん」
 聞き覚えのある声とともに、ふすまが開いた。
 見慣れたキツネの女の子である。身長百五十センチくらいで、痩せた身体に緑色のセーラー服とスカートを着込み、黒いオーバーニーソックスを穿いていた。見た目は中学生くらいだろうか。癖の付いた狐色の髪の毛を背中半ばまで伸ばしている。先端の黒い狐耳。腰の後ろでは尻尾が揺れていた。
 思考の読めない黄色い瞳で俺を見下ろしている。
 謎の狐少女サキツネ。
「何か食べるものはありませんか?」
 表情を変えぬまま、至極当然とばかりにそんな問いを投げかけてきた。無断で俺のアパートに侵入しては、冷蔵庫や菓子を漁ったりしている。基本的に残り物とか賞味期限きれしか食べないし、基本的に無害だから放置してるけど。
 寝転がったまま、俺は目を向けた。
「今日はなんもないぞ」
「むぅ」
 唇を曲げるサキツネ。
 尻尾を垂らし、緩く両腕を組む。
「いつも碌なものがないけど、今日はひときわ何にも無い……。冷蔵庫が空っぽです。スッカラカンです。食べるものはおろか、氷すらない。消臭剤しか無い」
「午前中に片付けたから」
 寝ころんだまま、俺は言った。
 冷蔵庫の中身の賞味期限切れたりしていたものは、朝の内にまとめてゴミに出してしまった。放っておくと変なものが溜まっていくし。氷も全部捨てて、現在製氷中。冷蔵庫内に残っているのは、消臭剤のみ。食べられるものは、無し。
「消臭剤食べるなよ」
「……さすがに、食べない」
 一拍の間をおいてから、否定する。
 尻尾を垂らし、目を逸らしながら。
 放っておいたら食べていたんだろうか? ――食べてたかもしれないし、食べられるんだろう。でもさすがに消臭剤は腹壊すような気がするけど、大丈夫かな? 普通は大丈夫じゃないけど、人間じゃないし大丈夫じゃなかろうか?
 ふと見ると、サキツネの姿が消えていた。
 数秒ほどして、戻ってくる。尻尾を左右に動かしながら、心持ち眼を輝かせていた。
「流し台の下を漁ってみたところ、醤油が一本」
「それ、新品だから飲むなよ」
「むう」
 俺の指摘に唇を曲げる。
 こないだ買い込んだ醤油一リットル。賞味期限切れだったり間近だったなら飲ませてもいいけど、新品をくれてやる気は無い。そもそも醤油はジュースのような飲み物ではないしな。普通の人間が一気のみしたら身体に悪いけど。
 狐耳の縁を指で掻いてから、サキツネが部屋に入ってくる。
「退屈……」
 ぼそりと呟いて、畳の上に倒れ込んだ。
 黄色い癖っ毛と尻尾が、一拍遅れてサキツネの身体を追う。
 畳にうつ伏せに寝ころんだサキツネ。両手両足を伸ばしていた。背中に日の光を受け、心地よさそうに目を細めている。
 そういえば、サキツネはよくこの部屋で寝てたっけな。
「くぁーぁ……」
 全身で伸びをしながら欠伸をしている。
 その越の辺りから伸びている尻尾。先端が茶色で残りが狐色の、いわゆる狐の尻尾だ。スカートの上から伸びている。先端がちょこちょこと動いていた。
「なあ」
 寝転がった態勢から、俺は身体を起こした。両膝を折り曲げ、あぐらをかく。
「何でしょう?」
 狐耳を動かし、サキツネが仰向けのまま顔だけ向けてきた。
 なんとも感情の読めない、暇そうな顔である。この狐っ娘は俺の知る限り、喜怒哀楽をあまり表に出さない。怒るといきなり拳やら蹴りやらが飛んでくるけど。
 俺は右手を持ち上げ、サキツネの腰辺りから伸びる尻尾を指差した。
「尻尾触らせてくんね?」
 訊く。
 瞬きするサキツネ。尻尾が疑問符のように曲がる。
 ぶっちゃけ、前々から触ってみたかった。何度か触っているといえば触ってるけど、じっくりと触ったことはないからな。もふったら気持ちよさそうだし。セクハラスレスレ、というか普通にセクハラな事を口にしている自覚はある……。
 考え込むように黄色い眼を動かしてから、小さく首を動かした。
「ん……。許可します」
「サンクス」
 礼を言ってサキツネに近付く。
 ゆらゆらと左右に動いている尻尾。微かに赤みがかった黄色い毛に覆われていて、先端は黒い。いわゆる狐の尻尾である。スカートには尻尾穴が開けられているらしい。下に穿いているパンツにも、尻尾穴が空いているんだろう。
 考察はさておき、俺はそっと手を伸ばしてサキツネの尻尾に触る。
「………」
 サキツネの動きが一瞬止まった。
 ぴたりと尻尾の動きも止まる。
 手に伝わってくる、尻尾の手触り。サキツネの髪の毛は癖っ毛だけど、尻尾の毛はそれほどでもない。もこもことしたやや硬めの毛の集まり。
「おお、すげー」
 尻尾を触りながら、俺は素直に感心する。
 手の平から腕を通り背中まで駆け抜けていく、心地よい痺れ。遠慮無く、尻尾を撫で、握り、指で梳き、やさしく指を絡ませる。思わず口元ににへらとした笑みが浮かんだ。
 この感触は、結構癖になりそうだな。うん。
「ぅ……」
 畳に顔を伏せたまま、サキツネが固まっている。口をきつく閉じて、声を押し殺している。広げていた両手を握り締め、時折肩を小さく震わせていた。
「ぅくッ!」
 どうもくすぐったいっぽい。猫や犬にとっては尻尾は敏感な部分である。骨格的には背骨に繋がってるようだし。だからこそ他人に触られるのを嫌がる。そこを考えると、俺ってそれなりに信用されてるってことかな?
 だが、遠慮はしないッ!
 鼻の穴を広げながら、俺はサキツネの尻尾にもふもふと手を這わせる。ちょっと人に見せられない顔してる自覚あるけど、問題ない。手付きも微妙に卑猥であるが気にしない。許可は貰ってあるからな!
「ふむふむ」
 長い毛の奥に指を差し込むと、尻尾の芯がある。毛は芯を中心にして、少し後ろ向きに生えているらしい。毛に逆らうように手を動かすと、淡い反発が手の平に伝わってくる。尻尾の先端から根元に向かって撫でると、痺れるような快感に背筋が震えた。
 うー。癖になるぜ。
 サキツネはうつ伏せのまま固まっている。
「ッ……」
 時折、喉から微かな息が漏れていた。
 頬の辺りが赤くなってるけど、もしかして感じてる? 性的な意味で。
「ん?」
 もふもふと尻尾を触りながら、俺はふと眼を留める。
 サキツネの頭から生えた二本の狐耳。尻尾や髪の毛と同じ、微かに赤みを帯びた黄色い毛で覆われた三角形の耳。先端は白い毛が生えている。いわゆる狐耳。そういえば、サキツネの"耳"の部分がどうなってるか、まだ知らないな。
 俺は右手を伸ばして、そっと狐耳を摘んだ。
「ィぅッ――!」
 その瞬間、サキツネの身体が大きく跳ねる。電気ショックでも受けたみたいに派手に。喉から擦れた悲鳴がこぼれた。これは予想外の反応。髪の毛が逆立ち、尻尾の毛が爆ぜるように膨らむ。
 マズいかも……
 俺はすぐに、サキツネの尻尾から手を放した。
 そして、サキツネが立った。
 両手を畳に突き、下半身を跳ね上げる。いわゆる逆立ちの態勢だった。黒いオーバーニーソックスに包まれた両足が天井に向く。ふわりと翻るスカート。癖の付いた狐色の髪の毛が左右に広がるのが見えた。
「え……?」
 眼を点にして硬直する。
 逆立ちの態勢から、逆袈裟懸けに振下ろされるサキツネの右足。アクロバティックなその動きは、斬りかかってくる刀を思わせた。細く痩せた体躯とは裏腹に、異様に高い身体能力をもって、俺の頭めがけて足が振り抜かれる。
 ほんの一秒程度の出来事。
「あ……」
 やっちゃった……。
 上下逆さまのサキツネの顔には、無責任にもそんな言葉が浮かんでいた。
 ゴッ。
 どこか遠くでそんな音が響き。
 俺の意識はどこかへと放り出された。

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11/4/2